舎爐夢ヒュッテの日記とGUESTのページ

1999年4月29日 10度晴れ

男の子、お誕生
おめでとうございます。
予定よりも、早すぎる出産で大変でしたね。
次にお会いする時は、ベイビーのお顔拝見できるのを楽しみにしています。
今日から、満員御礼の忙しい日々が続きますね。
今宵の美しい満月が、赤ちゃんをよんだのでしょうか?
桂子より

かわいいかわいい赤ちゃんの誕生ほんとうにおめでとうございます。
ウテキアニに向かう車の中で赤ちゃんも朋子さんもよくがんばったと思います。揺れ
る車での陣痛は耐え難いものがあると思いますが,朋子さんの強さを感じました。小
泉さんも私もハプニングとはこのことかと,思いがけなくついに出産のおめでたい席
に立ち合うことになり,沙也をおんぶして,貴重な体験をさせていただきました。
小泉さんも言葉に表わせないくらい生命の誕生のすごさに感動していました。
赤ちゃんの名前決まったら早く呼びかけながら再会したいです。子宝,お宝朋子さん
も赤ちゃんを胸に最も幸せな時を味わっていることでしょう。明日またファミリーで
ゆっくりと赤ちゃんとすごせる時がもてますように。
                                高橋  喜代
KEN said
有難うございます。私は全く知らずに4時頃帰ってきたら生まれたという知らせでし
た。仁の時も愛美の時も2人だけの出産だったので今回は証紙抜けです。でも母子共
に無事で何よりでした。2550グラムで高橋さん達に支えられてのとても良い出産
だったようです。真弓先生の講演会が済んで車に乗ろうとしたときに陣痛が始まりウ
テキアニについて10分で生まれてしまったようです。
今度は3児の母としてお会いできると思います。

1999年4月23日 18度曇り午後より雨

セッサという新しい雑誌の撮影がありました。グルメ調達秘密の隠れ家というタイトルらしいです。
6月発売だそうですので書店で手に取ってみてください。


撮影内容・ テラス席での朝食
        ディナー
        客室
        外観
        ダイニングルーム
        吹き抜けのリビング
        600坪の畑
      
ページ構成・ 全部でカラー3ページです。そちらのご紹介と、たとえばレシピ紹介  
などをさせていただきたいと思います。当日、ライター兼エディ   ターが説明させていただきます。

レタスのこぼれだねの苗を植え替えました。耕さないとこぼれ種が芽を出して一杯です。恵みの雨です。

1999年4月22日 18度曇り

お隣の籾山さんの所と10ベース2のケーブルが繋がり専用線が使える様にになりました。まだサーバーは立ち上がりませんが設定がすめばいよいよサーバーの立ち上がりです。

午前中みんなで蕗のとうを取りに出かけてきました。初夏を思わせる日差しの中気持ちの良い時間を持てることができました。

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1999年4月20日 18度曇り

喜代さんsaid

昨日の農作業楽しかったです。わたしも100坪も借りてしまったので,なんとかお父
さんも連れ出してやってみたいと思います。昨日の夜も,主人は会社から10時すぎに
帰宅。会社もいろいろ大変なことがあるようで,今年に入りずっと忙しく,昨日も帰
るなり沙也をだっこして,大変なんだよと沙也に言って,逆にだきしめている沙也に
癒されていました。畑の話をして一緒にやろうと誘ったのですが,いやだと言います
。会社が忙しい時だからこそ,あの場所へ行けば,元気がでるような氣がして,散歩
だけでもいいからと,主人を連れ出せるようひそかにこの先のわが家の姿を創り上げ
ている所です。10年程前,主人が雑誌でシャロムのことを知り,たまたまシャロムに
空きがあり,家族で泊まったことがきっかけで,信州での今の生活があるように,ま
た,あの畑に行くことで,またもう一つの転機がわが家にもあるかもという予感を感
じつつ,主人が畑に行けるよう祈っているのです。
焼物のことなどで,お父さんも本当はいろいろパソコンをいじりたいのだと思います
。シュタイナーの皆さんとも主人も焼物などを通じて交われる日が来るといいなと私
もイメージを膨らませています。
というわけで,今は,わが家も夫婦のありようや生き方を問われている時でもありま
す。
畑がいいきっかけになりますよう。ジャーン。(いろいろと書いてしまいました。)
昨日のうちに,もう再び耕してくださったんですか。やること早い。感謝です。力も
百倍ですね。
また,よろしく。                   高橋 喜代

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桂子さんsaid

大地の男,健二様へ
今日は素晴らしい一日をありがとうございました。
今日の日をズッート以前からとても楽しみにしていました。
初夏の陽気と美しい空の下で、真っ黒に輝く美しい大地に種をまけたこと、とても楽
しかったです。また採れたての、菜の花のおひたしのおいしかったこと。
もう、なにもかも大地の男健二様のおかげです。
本当にありがとうございました。
私を含めて、ほとんどの人が農業初体験で、このような恵まれた形で、チャンスを与
えてくださったことに、感謝です。
庭もない家に住んでいる、ふつうの主婦にとっては、畑をやるなんていうことは、あ
こがれでもあったと思います。面倒をみてくださるということは、すごいことだなぁ
と、つくづく思いました。
来週なにを蒔こうかと、これから考えることも楽しみです。
また、来週もよろしくおねがいします。
桂子より



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豊田さんsaid

昨日は有り難うございました。至れり尽くせりで感謝しています。
土曜日には主人を連れて行きたいと考えています、きっと驚くでしょう!
 臼井さんが林原さんとお知り合いかもしれないとは前から思っていたのですが
主人とは十石で知り合いました。でも私達の知っている十石小屋はもうすでにできあ
がっていて当初のメンバーの人たちの事は話で聞くだけでした。主人は信州大学の現
役の山岳会
の部員の頃に竹前さん(ご存じかもしれませんが)に誘われて避雷針などをボッカ練
習を
かねて運び足繁く登っていたようです。その行き帰りに良く林原さんの所でお世話に
なっていたようです。私が十石に登ったのはもっと最近です。十石で小屋開け、閉
め、トイレの穴掘り
などに参加して多くの事を学べたけど十石を想えば想うほどどうしてこんな小屋をこ
こに
たてちゃったんだろうと思ってしまいます。当初の事は良くわかりませんが、人の思
いや
行動力、その1つ1つがたとえ善であってもスーパー善にはならないんだな〜と淋し
く思っています。
 昨日の上野さんのご主人のお話は感動しました。私(30代)が社会に出てから影響

たくさん受けたのが私達より10〜20才上の人たちですなわち学生運動世代かなと思っ
て居たら上野さんも学生運動をしていたとおしゃっていたので社会が育んでゆく人間
のサイクル
(ちょと大袈裟かな)みたいな事を考え中です。はたして私達はどんな大人に見える
のだろうかどんな社会を造っているのか・・・・。責任重大です。
 少し前のメーリストを転送します。今後ともよろしくお願いいたします。    
   豊田

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続いて” Cancer and Nutrition” G.Schmidt著から、
    一般的な癌予防に関してのこの短い概略のなかで、私たちの
    栄養的実践は完全にそして根本的に方向転換をしなくてはなら
    ないこととがわかりました。これまでのことを要約しますと;
    穀物が植物食の中心で、穀物には七種類の食用になる形、(小
    麦、ライ麦、カラス麦、大麦、粟稗の類、米、とうもろこし)
    があり、植物からの栄養摂取の中心となります。穀物領域の他
    に、純粋な三つの部分を持ついずれも非常に多種多様な緑の植
    物があります。そして第三番目の要素としてミルクと乳製品が
    加わります。
    精神科学をもとにした観点では、栄養的な考慮が癌の問題の中
    心となりつつあります。この取り組みは、癌はorganism全体の
    病気であること、そして人間の代謝全体・・形成の力全体・・
    は、常に不均衡と退廃の方向に向かう傾向があると考えていま
    す。現代栄養学の全体的な実行には基本的な見直が必要で、徹
    底的に新しい取り決めが要求されるということを、私たちの討
    議は示しています。この変革は土と農耕方法を抜きには始まり
    ません。食品の精製や調整法もそれに続かねばならないでしょ
    う。たべものを選ぶ折の品質や量に関しても、新しい考え方が
    適用されるでしょう。第一にそして真っ先に、その人自身の気
    持ちと考えかたを変えなくてはなりません。   (略)
    前癌状態は臨床上或いは適切な検査(blood crystalization、
    capillary dynamolysis)により決定することが出来るので、も
    し癌形成が生体内で進んでいるならば、食事に変化を起こさね
    ばならないでしょう。このような傾向のある人や、もう既に悪
    性腫瘍が明白となった人の多くは、普通ここで検討したような
    意味での栄養的衛生に、充分な注意をはらっていません。もし
    そうだと、患者の全存在が持つ相互作用機能のバランスは充分
    に維持されません。この点から治療(人智学の医学文献に記
    述されているような)が開始されるべきです。しかしここで明
    らかにした栄養的ガイドラインを考慮することなしには、その
    様な治療が完成されないであろうという意見を表明したいと思
    います。どのような場合でも、これらのガイドラインに従うこ
    とが治療の効果を高め、多くの患者を普通の前癌状態に戻す助
    けとなります。精神科学に基づく栄養摂取と食事法は、精神科
    学を基礎とした治療の一部です。
 (Dr.Gehard Schmidt  「Cancer and Nutrition」Anthroposophic Press, 
Inc.)

”Cancer and Nutrition”のガイドラインから
1  食品は栽培法から始まって品質のよいものを得ること。”バイオ
   ダイナミック”(デメター印)のものが最良。”有機的”生産物の
   品質でも改善される。

2  病気の人は、ラクトベジタリアン食(乳製品を加えた菜食)にす
   ることが望ましい。移行は徐々に可能。

3  食事の基本は
   a)ミルクと乳製品
     カードミルクでつくられたもの、バターミルク、クオーク
     カテージチーズなどを選択。
     高脂肪のチーズや熟しすぎたチーズは避ける。
          生の牛乳とそれからつくられたものを使う。
   b) 穀物
          精製されていないかたちで、そして出来るだけ新鮮なもの
     蕎麦も含めて七種の穀物を代わる代わる使う。
   C)緑の植物の三つの部分
     可能な限り毎日の各食に植物の三つの部分の各性質を持っ
          たものを加える。
            根と種:神経感覚系を活気づけ、炭水化物の代謝を正常化する
      葉  :リズム系を活気づけ、脂肪代謝を正常化する
      花と果実:代謝系を活気づけ、蛋白質代謝を正常化にする
 
4  食べ物はおいしく病人を元気づけるものであること。スパイスや
   ハーブを適度に使う。

5  病人の甘いものの要求には、蜂蜜、ナツメヤシのシロップ、梨の
   シロップ、砂糖大根の糖蜜などを適量使う。生のサトウキビ糖も
   適度に。野生の果物、熟した果物、干した果物をがよい。人工的
   な甘いものはきびしく避ける。精製された白い粉と精製された砂
   糖でできたお菓子はごくまれに。

6  脂肪の源として亜麻仁油、ひまわり油、小麦胚油、コーンオイル
   などの高価不飽和脂肪酸。オリーブオイルや新鮮なバターもよい。
   アーモンドやナッツからもオイルが供給できる。脂肪の摂取は中
   庸に!

7  蛋白源には全ての穀物が一番。蛋白質の総摂取量は品質に注意し
   て最大50グラムが限度。農場でとれた新鮮な卵は限られた量で
   のみ。

8  食べるのは厳格に規則正しく。癌の人には一日5−6回食を勧め
   る。食事は家族の団らんとともになるべくゆっくり時間をかける。
   良く噛むこと。
9  出来るだけ次のものは制限するべき。冷たく冷やしたもの、凍っ
   たもの、缶詰、照射された食べ物、ジャガイモ、チョコレート、
   ニコチン、コーヒー、紅茶。

10 次のものは除かれるべき。トマト、きのこ、すべてのアルコール類。

11 生のものと調理したものとのバランスをとる。特別な場合には、
   一時的に生の食べ物によるダイエットが癌患者によい効果をもた
   らすこともある。

12 食べ物はいつも新鮮な材料を使い、出来たてをたべる。暖めなお
   しや時間がたったものはやめる。

13 断食は医師のケアのもとで短期間、厳重な指示のもとでのみ。

14 全ての患者には、段階に応じて、三つの添加補助が必要。
   a)食欲を刺激する栄養的補助(例えば、ビッターズ、チコリジュ
   ースアプリコットティー、ハーブとスパイスをまぜたもの、海
   の塩preparations)
   b)栄養物をよりよく使うための消化補助(weledaのFragador の
   ようなnerve food preparation、ブラックソーン・クロフサスグリ
   ・クランベリー・クロウメモドキなどのジュース、白樺のエリキ
   シル、アーティーチョークのpreparations、weledaのカルシュウ
   ムサプリメント1と2)
   c)腸の解毒と排泄と脱石灰の補助(リンシードpreparations、植物
   性緩下剤、カードミルクの製品など)

15 患者とその個人的背景を可能な限り配慮した食事計画を!
   本人がその食事を好み、何のためになされているのかを理解する
   と共に、自分に何がどのくらい必要であるかがわかるよう学ぶ
   ことも必要。

今の時代に癌が多いことについては、精神科学の知識から見ると
”人が古い本能的な絆と保護(protectedness)から解放されつつある、
進化の一つのポイントに達したと見ることが出来ます。そして今、人間
は世界に対して、そして彼自身に対して、意識した関係の修得を学ば
ねばなりません。”
最初に書きましたように、シュタイナーの発言、癌は栄養摂取の深い
問題とかわっており、健康的な栄養摂取の実践がもし広い基礎にたっ
て確立されたらなら癌には対抗できる・・・この”広い基礎にたった
健康的な栄養摂取の実践”を確立するには、先ず人と食べ物の間に新
しい意識的な関係が必要だということです。このような意識の力が、
”人類進化の新しいステージへの途上で癌と戦う為に、多いに寄与する
ことでしょう。”とあります
          
以上でUdo.Renzenbrink著の「Diet and Cancer」R.Schtainer Pressと
Gehard Schmidt著の「Cancer and Nutrition」Anthroposophic Press.の紹介
を終わりとさせていただきます。著者はお二人ともM.D.でいらっしゃる
ようです。
Kazeさん、Yuccaさんをはじめ、長い間おつきあいいただきました方々
本当にありがとうございました。
又関連したことなどを、時折書き込みさせていただきたいと思っています。
***** Itoh *****



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KEN said
みんなの喜びは自分の喜びを実感しています。
土日畑で家族の会話が広がるといいですね。農作業はきっと大きな実りを食べる以外
にもたらせてくれると思います。
気持ちの良い汗を家族と共に流しましょう。
ではまた

1999年4月18日 18度曇り

こんにちは
  らいとすたっふ通信の編集を担当しております三條と申します。
毎回あとがきとして、半田さんのインタビューをわかりやすくお伝えできないものかと、
試行錯誤した体験を掲載させていただいております。つたない文章で大変恐縮ですが、私
たち一人一人がみな光であること...そんな意識への再生としてお役に立つことが少し
でもありましたら幸いです。今後とも何かありましたらいろいろとご指導くださいませ。



黄泉の国への印篭

派遣店員としてデパートに勤めながら、世界の本物を見に行くという生活をやめてライト
スタッフで働き出してから2年の月日が流れた。
  旅をしてあちこちをさまよっていた頃は、見知らぬ土地で叱られたり、しんどい思いを
よくした。だから親切にされる度に「あぁ、私も人を暖かくもてなすことが出来る空間を
提供できる人になりたい」と思ったものだった。
  その頃の私には食べるもの、見るものすべてが真実でないように思えてしかたがなかっ
た。ほとんどすべての都内のデパートをまわったり、世界で有名といわれるものを見て歩
いたりと、作られたものの中で日常生活を過ごしていた故なのかもしれないなぁと感じ、
岩手の大自然のユースホステルで働いてみたり、和歌山の有機農業に1ヶ月住み込みで畑
や牛や鶏を飼うという自給自足の生活してみたりした。
  しかし自然は私をやさしく迎えてはくれたが、私の中の何かがまだ満足していなかっ
た。おいしいものを食べても、素晴らしい人に会ってもその感動が持続することはなかっ
た。
  都市にも自然にも日本にもない何かがあるような気がして、私はインドからチベットへ
と渡る9ヶ月の旅に出た。

  インドでは生きるということに対して、ただ何となくという生活をしている人を見るこ
とは少なく、金銭的に貧しい人々が町中にいて、みな必死に生きていた。常に死と背中合
わせにあるということからくるであろうその迫力に接する度に、何故か私は生きる力を取
り戻していった。
  今にして思うと、あれこそが生命エネルギーではなかったかと思う。彼らの瞳の中に宿
る、叫びにも似た光を見る度に、何か熱い、生と死の狭間を見た上でなおかつ生きるとい
うことを選び、必死に近寄ってくるその様子には忘れることが出来ない不滅の力があった
ように思う。

不可触賤民という身分の彼らは、インドでは神の子と呼ばれている。それはたとえ物乞
いであっても前世に縁のあった人であったかもしれず、自分たちが犯したかもしれない罪
を彼らに施しをすることによって償う機会が与えられるのだと考えるからだ。彼らの存在
があってこそ自身を救えるのだと...。
  また祭りの日には断食をするという習慣があり、前夜から食物をとらない。食べること
から得るエネルギーを絶つことにより、神聖な日に神のエネルギーをより多く感じること
ができるという恩恵がもれなく与えられると考えるためだ。ヴェーダという太古から伝え
られている森羅万象宇宙のすべての原理を教える体系があり、西洋ではそれを科学的に立
証した結果、絶大なる真理が存在するとして研究が進められているそうだが、その中の一
つに生命の科学と呼ばれるものがある。そこでは、果物と乳製品と木の実が純粋意識をも
たらす食べ物とされている。私はせっかくの機会だからとそこで得た食物に関するほんの
一部の知識をしばらく体験してみることにした。
  至福意識をもたらすというそれらの食物は非常に消化がよく、ゆえにいつも空腹状態と
なった。いつも「いつやめようかな」と考えるばかりで、なんとなく心地よいと感じるこ
とはあっても、神のエネルギーが入ってくるという神聖さを味わうどころではなかった。

  暑い日差しの中でくらくらし3週間が過ぎると、私はだんだん神の子と呼ばれる人々の
気持ちがわかるようになった。以前は彼らは本当に演技上手で、俳優さんの比ではないと
さえ感じていたけれど、お腹が空いて極限状態に陥るとそれは演技ではなく、ただ死にそ
うな時にはそんな表情になるのだということが、自分の顔を鏡で見てよくわかった。
  生きているという実感を得ることは、もしかしたら、死と向かい合わせになるまでの極
限状況の中に自分を置くということを選ぶということなのかもしれない。だからこそ私は
旅という非日常の世界に生きることで、満たされない何かを得ることができたのだろう。


  そういえば、シャンバラ(地上の楽園)への通路があるというカイラス山へ行こうと、
チベットへヒッチハイクで標高5000mから6000mを超えて、首府ラサに着いた時にも私の
身体はかなり衰弱していた。幸いにして「今の君の身体でカイラスへ行くことは、死にに
行くようなものだ」と諭してくれる人が現れ、ようやく病院へ行き一命をとりとめたのだ
った。そんなふうにこの世のものとは思えないほど美しいと感じた所では、必ず生死に関
わる危険な立地条件がワンセットになっていた。
  待望のカイラス山は、紺碧の空の中で蜃気楼のように純白に輝きながら空中に浮かんで
見えた。その回りを廻るのには3日間かかる。その途中夢で何度も見た光景に出会い、感
動のあまり忍者か山伏のように岩山を標高5000mの中駆け下りていた。あのような光景を
見るためにもう一度それに伴う危険を侵す勇気は今の私にはもうないけれど、彼の地は私
の心に多分永久に存在し、生きる至福を与えてくれるだろう。

  苦しい時の神頼みではないけれど、苦しいことと楽しいことは常に表裏一体であり、そ
の両方を体験するという経験こそが何よりわたしに不足していたのだ。様々な体験を経て
中国から日本に船で帰ると、あんなに何もかもが無味乾燥にしか思えなかった場所が、す
べて真実に見えるようになっていた。
  チベットで昔から伝えられているお話で赤い鬼と青い神というようなお話がある。ある
人がすごい形相の赤い顔をした鬼を見たといい、またある人がとてもやさしい青い顔をし
た神を見たという。しかしどちらも同一人物で神は様々な顔を持ち、神に善も悪もなく見
るものによって変化して見えるだけなのだというものだ。

インドでは外国人はアウトオブカーストと呼ばれ、階級制度外として一番低い身分より
も更に低い者という地位を与えている。私はそのことにとてもなんだか恥ずかしい思いを
していた。
  旅をよくしていたせいか、一ヶ所に根を張りその土地のために一心にがんばっている
人々に比べて、自分は良いところだけを見て去っていく無責任な存在のように感じていた
からだ。
  神の子と呼ばれる彼らにも素晴らしい役割があり、私に生命力を鮮やかに見せてなおか
つ罪を帳消しにする、という魅力的な演技を十二分にこなしている。なのに、私には生ま
れた地でその国に何か役に立つことがどんなに素晴らしいことなのかという最低限のこと
さえ、わかろうという意識がなかったのだ。

  自分の住む土地で安らげる空間をもたない者に他の人を迎える場を持つことはない。そ
んなあたりまえのことがわかるようになってからというもの、母なる大地インドが私を癒
してくれたように、こころを至福で満たすこと。それ以外に自分を満足させることはでき
ないと今は感じるようになった。瞳を閉じると一切がなく、そこには無限に広がる空間が
存在する。その暗闇に光りを与える時に支えになるのは良いことをしたという記憶であ
り、自身の宇宙のすべては銀行のようにそこに貯えられる。至福は常にその記憶とともに
あり、その鍵は私たちのこころのあり方にかかっている。至福への扉は良いことをした時
にのみ開き、黄泉の国へと旅立つ時その記憶だけが私たちの唯一の持ち物となる。

  自分中心にしか考えることができなかった私に、常に私にとって良いと思えることだけ
を与えてくれた母のように、私も良いと思えるすべてを差し出せる人にならなければなら
ない。

  それが旅で学んだ最大の真実だった。

1999年4月17日 20度曇り

すっかり暖かくなり温室のゼラニュウムも植え替えて窓辺に置きました。温室は野菜の苗で一杯です。畑も新しく借りた2反7畝をトラクターでおこしました。これで畑を約5反歩やることになります。

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1999年4月16日 20度曇り

豊田さんへ
資料有り難うございます。
まさに資本主義の次に来る世界を彷彿とさせます。
人はお金のために働いているわけではありません。
喜びを共有でき自分が必要とされ生かさせる。21世紀はそんな時代です。
今度私達が立ち上げるサーバーはリナックスのフリーBSDです。ソフトは無料です。
お隣の籾山さんとお金抜きでおつきあいさせていただいています。
みんなが喜ぶ世界 インターネットの中で すでに構築されています。時代は変わりま
す。21世紀は本物が評価される時代です。シュタイナーの中にも資本主義の次に来
る経済を予感させます。おもしろい時代です。豊田さんに会えたこと感謝していま
す。
ではまた

件名 : 豊田です。

> 先日の集まりは知らない事だらけで「ふわぁ〜」って感じでした。
>高橋信次さんの本は大昔一冊だけ読んだ覚えがあって豚カツの
>好きな宗教家として残っていたのですがその人の啓示・・・・?と言う気分です。今
>は。
> アメリカからのメールは嬉しいやらびっくりやらです。確かに私の友人もパリにお
>嫁に
>行ってパリからインターネットしていますが・・・。アメリカ〜のメールで先日のメールリスト
>の事を思い出しました。このこととどうつながっているのかは私の頭の中の勝手ですが・・。
>長いですがとりあえず転送します。

>山下です.みなさんこんにちは.
>
>今,インターネットで起きていること.
>それは,従来の経済原則を破壊するものがあります.
>
>その例として,以下に日経ビジネスの99/03/31のリナックスOSの記事を取り上げてみます.
>
>インターネットを考える上でみなさんのご参考になればと考えます.
>長文ですが,そのまま載せています,お付き合い下さい.
>
>*****************************************************************
>リナックスが問う情報の価値、市場経済変えるネットワーク化
>
>(99/03/31 日経ビジネス)
>
>日本経済新聞論説委員
> 吉野 源太郎
>
> リナックスというコンピューターの基本ソフト(OS)が業界に革命を起こすのでは
>ないかと言われている。
>
> このソフトは実際、特徴的な作られ方をしている。仕様書に当たるソースコードが
>インターネット上に無料で公開され、世界中の技術者がやはり無料で次々と勝手に改良しているのだ。
>
> ソフトウエアは開発者の創造性の結晶だ。これが著作権で保護され利用者に高く売れるからこそ
>先端技術産業は高収入が得られるというのが従来の常識だった。だがリナックスは誰でも自由にイ
>ンターネットから取り込める。
>
>ビル・ゲイツ氏の予言の皮肉すでに実用化の事例も出ているようだ。何しろ無料だから、普及に弾みがつけばたちまちディフ
>ァクトの標準になってしまう可能性もあると言われている。そうなればマイクロソフトの独占的な
>パソコン支配が崩れ去るだろう、というのが「革命」の意味である。

> 改良作業は現在も続いている。そのスピードはすさまじいらしい。作業には何の契約もない。参
>加している先端技術者の数は数百人にのぼるというが、大部分は互いに顔も知らない。
>無償で作業する彼らの心境を、リナックスを最初に開発したリーナス・トーバルズ氏は「好きだ
>からついコンピューターの前に座ってしまう」と言っている。この話を聞いて16年前、シアトルに
>マイクロソフトのビル・ゲイツ氏を訪ねた時のことを思い出した。
>
> 同社の本社は当時まだ小さい建物で、その前に旅篭のようなホテルがあった。「仕事が終わった
>ら電話する」という彼の指示どおりこのホテルにチェックインしたが、待てど暮らせど電話は来な
>い。ようやく会えたのは日付が変わった午前2時過ぎだった。
> 仕事部屋のソファにはよれよれの毛布がかかっている。「たいていここで寝ちゃうんだ」。ジー
>ンズにTシャツ姿の天才技術者は「仕事が面白くてしかたない」と言って笑った。
>
> 当時はIBMの大型コンピューターが全盛の時代だった。彼はこうも言った。「コンピューターは
>必ずもっと使いやすくなって人々の間に普及する」。
> ゲイツ氏は現在のトーバルズ氏ぐらいの青年だったが、事業家としても類まれな才能を持ってい
>た。その後、大成功を収めたその事業が今、「事業」に関心のない技術者たちによって脅かされよ
>うとしている。この事実には歴史的な意味があるように思える。

>産業革命に始まる産業と技術の歴史は初めから矛盾をはらんでいた。技術は常に普遍性を追求す
>る。そうでなければ役に立たない。しかし技術の事業化となると話は別だ。苦心して開発した技術
>だからこそできるだけ高く売りたいと誰もが考えるが、値段が高くなれば普遍性には限界が生まれ
>るからだ。

> リナックスはこの矛盾を一気に突破してしまった。「高く売りたい」という動機が、ネットワー
>クの出現によってどこかに消えてしまったのだ。仕事の成果に毎日、反応があり、知的な興奮が続
>く。「創造的で普遍的な意義への満足感があればカネなどいらない」(トーバルズ氏)という、と
>んでもない人種がたくさん生まれてきた。
> マイクロソフトの本当の敵は実はリナックスではなくインターネットだという皮肉な言い方もで
>きなくはない。そしてその結果、資本主義社会は難しい問題を抱え込むことになった。
>
>資本主義の常識が覆る 「金銭の報酬」は市場経済の根本的な動機である。これまでは先端技術などの知的
>生産物も例外ではないとされてきた。ところがリナックスによって情報家電などが爆発的に普及するとしたらど
>うだろう。この常識はひっくり返り、知的生産物は無料であってこそ社会に貢献する、カネ儲けは
>不道徳だということになるかもしれない。
> 問題はさらに資本主義の本質に問いかける。市場経済とは実は売り手と買い手、あるいは売り手
>や買い手同士の間の情報格差を前提としているからだ。誰もが同時に同質の情報を得られることに
>なれば市場は成立するのか。
> それともこれらの出来事は資本主義に代わる新しい経済社会を予言しているのだろうか。折しも
>崩壊寸前の日本の将来を考える上で、ひょっとするとこれは大切な話なのかもしれな
>い。
>
>**********************************************************************

>「今,インターネットで起きていること (その1 リナックスOS)」に続いて,
>
>「今,インターネットで起きていること (その2 コンピュータ・ウィルス・メリッサ
>騒動)」の記事をインターネットを考える上での参考としてお届けいたします.

> CNET Brief Japan (http://japan.cnet.com/)
> Tech News 4月3日(土)
> メリッサ容疑者がニュージャージーで逮捕される
>
>
>ところで,
>今回の記事について,少し解説しますと
>ポイントはウィルスの怖さもさることながら
>このウィルスの発見,対策,犯人逮捕までに係わっているひとびとが無償協力やボランティアというより
>むしろ積極的にインターネットのセキュリーティのためにみな自分の意志で行動を起こしているという点です.

1999年4月15日 18度曇り

春からシャロムの仕事も始まり,いよいよ朋子さんのお腹も大きくなりいろいろ忙し
いのに,昨日も,長いことおじゃましてありがとうございました。またまた,画像処
理できなくてせっかくの写真が写らず残念無念です。
インターネットといい,シュタイナーといい,先日のバイオリンのみかさんのお話し
といい,何か必要なものが必要な所に必要なだけ集ってくるし,それを分かち合い楽
しんでいるという感じをすごく受けて,この先も色々と面白くなってくるという気が
します。
皆でやる畑のことも楽しみです。そして,連休に鶴田さん達とまた交流の時が持てる
と思うとそれも楽しみです。
明日は,松本の丸山さん宅での酵素玄米の講習会に健二さんとスタッフの方も出られ
るということで,7,8名の参加者の講習会となるようで,これも楽しみにしています
。では,また明日。      高橋  喜代

御無沙汰してます。お元気で春の安曇野を満喫しておいでのことと思います。
3月末にレッツゲームを清水さんはじめ10名ほどで試しました。とても面白かった
です。
お金のいらない物々交換の世界ができる実感が持ててみんな興奮気味でした。
以前少し書いたかと思うのですがドイツでグリンピースに関わっていた友人(今は名
古屋にいます)
がまだ信州に行ったことが無いそうです。もうすぐ日本を離れそうなので是非信州の
春を見せたいと
思っています。彼もお金を超えた世界や、もっと良いソーラーパネルを開発したいと
いう夢を持った
物理学者です。ゴールデンウイークに行こうと思っています。臼井さんを紹介したい
のですが
シャロームは満室でしょうか?多分無理だろうなぁと思いつつ、もしかしたら・・・
と思って書いています。
部屋が無理でもお目にかかりたいものです。いつ頃ならご都合宜しいでしょうか。
ご連絡お待ちしております。

鶴田紀子

1999年4月13日 18度曇り

こんにちは。
4月12日(月)〜13日(火)にかけてお世話になった、富山の上田です。
時間ができたので(子供のお昼寝)、早速メールをしています。

子供ができてからお友達と旅行に出かけるのは、今回が初めてでした。アパートに一
人おいてきた夫のことを頭の隅で考えつつも、今まで閉じていた羽を大きく伸ばし、
大変リフレッシュできた旅になりました。
夕食、朝食とおいしい食事をいただくことができ、大満足です。ご主人がおっしゃる
ように、メニューを考えることから始まって、買い物、食事の準備から後片づけまで
(ついでに部屋の掃除も!!これが結構大変)、いつもしていることをどなたかにし
てもらっているというのが、この上ない贅沢でした。
シャロムの皆さん、ありがとう。そして、今回の贅沢をさせてくれた夫にも感謝、感
謝。

実は今、家を新築中で、6月に新居が完成するのです。今回シャロムに泊まらせても
らって、新居のインテリアについてもこっそり勉強させてもらいました。さりげなく
野の花を飾ること、手作りカーテン、手作りの電気スタンドなどを見て、ホームセン
ターに通って「これもほしい、あれもほしい」と思っていた気持ちが、どこかに吹っ
飛びました。
それから、松井るり子さんの新しい本も読ませてもらったんですけど、その中にあっ
た「シュタ部屋」にも挑戦しよう、と心に決めて帰ってきたのです。

そうそう、子安さんのビデオを見せていただき、ありがとうございました。
そのビデオ作りのためのドイツ旅行記をまとめられた本を以前読んだことはあったん
ですが、フォルメンやエポックノート、それにシュタイナー学校の建築のことなどを
映像で見ることができた事は、大きな収穫になりました。

それから、シュタイナーの勉強会にも参加させてもらい、ありがとうございました。
難しい本をみんなで考えながら読みすすめていく体験は、何年ぶりだったでしょう。
大学時代、ルソーの「エミール」やフレーベルの「人間の教育」をみんなで読んでい
たのですが、その時の目的のほとんどは単位を取るため。今回のように、自分から何
かを収得したいと思い勉強することのすばらしさも一緒に学びました。
そして思いがけずバイオリンの演奏会もあり、うれしくてうれしくて、「いいときに
来たな」と心の中でにやにやしていたのです。
初めての参加だったのに、本を見せていただいたり、さりげなく子供に気を使って下
さったり、皆さん優しい方ばかりで、素敵な勉強会でした。皆さん、ありがとうござ
いました。


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シャロムは時間が止まっているように感じました。何かと気ぜわしい毎日。時間を気
にせず生活することが今の私たちにとっての幸せなのかな、と思いました。私たちも
そうですけど、子供にとっても。時間に追われず大自然の中で遊びに没頭する我が子
を見て、ふと気付かされるものがありました。そしてそこには気持ちに余裕のある自
分がいました。毎日をそんな風に過ごせたらいいな。
それでは、またお会いできることを楽しみに。素敵な時間、空間をありがとうござい
ました。

富山県 上田節好 

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1999年4月10日 10度 雨

土曜日だというのに雨模様で肌寒い1日でした。長井さん家族も元気そうで何よりです。満室の土曜日です。

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1999年4月8日 10度 曇り

安曇野も早い木は桜が咲き始めました。でも今日はとても寒い花冷えの1日でした。畑に種を蒔きましたが風が冷たく途中で作業を中止それほど寒い1日でした。午後は籾山さんとサーバーマシーンの組立をしました。いよいよ本格的にサーバーの立ち上げの準備です。

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1999年4月7日 13度 曇り

籾山さん所とケーブルを結ぶ工事を始めました。約100メーターをユンボーで掘りビニールのパイプに入れて埋設しました。3時頃から雨になり作業中止の昨日の作業を受けて今日は10時頃から作業開始です。何とか埋設が終わり今度はマシーンの組立です。IPアドレスも降りていよいよ設定もできそうです。

1999年4月3日晴れ 15度 晴れ

10日ほど前、人形芝居をしていると言う日本人旅行者に逢い、紙粘土でつくった
お雛様をもらいました。穂高のように旧暦のひな祭りとして飾っています。が、い
つのまにかもう3日なのですね。2年前、愛ちゃんのお雛様と、仁君の入学祝と、
宇佐ちゃんのお誕生日と、臼井さんのお誕生日祝いを一緒にしたのを思い出しまし
た。遅ればせながら、

50歳お誕生日おめでとうございます!!

仁君はもう3年生なのですね。いやー早い。今は春休み、今日はベットメイキング
のお手伝いかな。大阪からおじいちゃんかおばあちゃんも来ているのかな。もう少
ししたら来るのかな。今年に春は家族も増えて賑やかな春になりますね。

カントリーメールでノカンゾウ、フキノトウの話を聞くと、体がぞくぞくして野歩
き・山歩きをしたくなります。2年連続して行けたクラフトフェア−もつい最近の
事のように思い出します。穂高の春は本当に大好きです。

もうすぐ30歳のじゅんこでした。では、また。


1999年4月1日晴れ 20度 晴れ

春になって何度か雪が降りましたが気温が上がりあっという間に解けてしまいます。松本城の桜もつぼみを膨らませているようです。これからが一番いい季節です。おおいぬのふぐりが青い小さな花をいっぱい咲かせています。ダンコウバイの黄色の花も林の中で見かけるようになりました。

 

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