安曇野便り NO.12  (20013)

信州で学んでいること
                    長野県南安曇郡堀金村 稲角 尚子

 みるみるうちに日が長くなってきました。12月下旬から2ヶ月間ずっと雪が解け
ず、一面の雪景色だった安曇野ですが、さすがに3月に入ると日中の気温が高くな
る日も出てきて、どんどん地面が見えてきました。時折、寒の戻りもあって首を
すくめますが、確実に春の女神はこちらに向かって微笑みかけてくれています。
久しぶりに見る地面は、昨年のあの悪夢のような草取りを思い出させてぞ〜っと
するのですが、それでも、雪の下から顔をのぞかせているフキノトウの姿にけな
げさを感じるうれしい季節です。
 その春の訪れと時を同じくして、昨年の10月中旬から「3度目の正直」で飼い始
めたニワトリが卵を産み始めました。最近では5羽のメンドリ全部がほぼ毎日産む
ようになってきて、いつも何かと頂いてばかりの近所の方たちにようやく「自家
配合飼料・平飼有精卵」をおすそ分けできるようになってきました。冬の間、庭
の雪面にキツネの足跡がしょっちゅう見られましたし、実際私も夜明け頃にうち
の庭をわが物顔で歩くキツネにご対面しましたが、キツネにニワトリを2度もやら
れた後、息子が鶏小屋の壁面に有刺鉄線を張り巡らし防御態勢を万全にしたこと
もあって、今のところ中3生とキツネの闘いは中3生の勝利のようです。この冬は
特に寒い日が多く、鶏小屋の壁面の上半分は金網だからいくらなんでもニワトリ
たちも寒いかも?と金網の部分をビニールで覆うとかベニヤ板を張るとかいろい
ろ考えた中3生。暖かい日中はお日様に当たった方がいいだろうし、風通しが悪く
なってもいけないし・・と、ある日電器屋さんからパソコンが入っていた大きな
段ボール箱をもらってきました。その段ボール箱の一面にニワトリが出入りでき
る穴を開けてやって「おい、マイナス10度くらいの寒い日はこの箱の中に入れよ
」。暗くなってから見に行くと4羽は止まり木の上。2羽はあろうことかその段ボ
ールの箱の上で身を寄せ合っている始末。それを11羽抱きかかえて段ボールの
中に入れてやり、よ〜く言ってきかせるのだそうですが、彼が寝る前に(夜9時す
ぎ)もう一度見に行ってみても結果は同じ。何日か続けたものの「やっぱり、あ
いつらアホや」。結局段ボールの箱の上に糞ばかりがたまって、中3生のやさしい
志はニワトリの習性というやつに負けたのでした。
 そんなこんなで悪戦苦闘した冬の寒さ対策を結局何も必要とせず、ニワトリは
成長し、ようやく「金の卵」を産み始めたというわけです。メンドリが卵を産み
始めた頃からオンドリはオンドリとして自覚し始めたようで、えさやりや採卵の
ために鶏小屋に入ろうとする私たちに対して攻撃的になってきました。体の小さ
い下の子たちには実際につつこうとするので、小3の娘は負けじと声を張り上げ棒
を振り回し、小6の息子は後ずさりします。「このオレに向かってオンドリが羽を
振り上げ威嚇しよった。バカにされてなるものか」とわざと大きな足音を立てな
がらオンドリを追う父親(生物学者!です)の姿もおかしい。そのオンドリも中3
生だけには従順で逆らわない。ニワトリの習性というやつも本当の飼い主の前で
は弱いのかもね。

 長らく連載させていただいた安曇野便りも今回で最終回にさせていただくこと
にしました。初めは連載も3回程度を想定していたのですが、丸々1年間毎月欠か
さずに書くことができましたのは、何といってもおもしろい比較材料に事欠かな
かったせいだと思います。「日本の教育」だとか「日本の学校」「日本の子ども
」に「日本の親たち」と、私たちは何でもひとくくりにして話をしがちですが、
そのことがいかに大胆すぎることだったかと改めて感じました。同じ日本で、同
じ公立校で、同じ学習指導要領のもとでの学校教育といっても、イロイロあるん
ですね。逆に言えば、「みんな一緒」が極端に好きな香川の学校だって、もっと
思いっきりイロイロやったっていいってことになります。
 たとえば、今までの連載の中で触れる機会を逃してしまった話題のひとつに、
中学校での時間割の違いがあります。香川では、まだ昔からのスタイルそのまま
で、「月曜日は社、体、国、数、理、音」などと曜日によって時間割が決まった
ものになっていました。こちらでは、6時間目だけが固定されているものの(月は
学級活動、火は総合学習、水は6時間目はなし、木は生徒会(委員会)活動、金は
道徳)、1時間目から5時間目までと土曜日の3時間については「スライド方式」に
なっています。これは、1年を通してクラス別の時間割(全部で28コマ)が決まっ
ていて(国、選択、技家、数、体、音、理、国、数、社、美、英、国、・・・と
いった具合)、今日の15時間目がそのスライドナンバーの15(国、選択、技
家、数、体)だったとしたら、次の日はスライドナンバー610(音、理、国、数
、社)が当てはめられます。その次の日が祝日だったとしても、その祝日の次の
日に次のスライドナンバー1115(美、英、国、・・)の授業があるというわけ
。なるほど、これだと祝日だとか、学校行事だとかで、ある曜日の授業が何度も
抜けたりせずに各科目がまんべんなく授業されることになります。「え〜っ!ま
た体育が抜けるの〜!」なんていう「体育命」の子たちの嘆きもなくなるという
わけ。こんな些細な「改革」だって出来るんだよね。
 あるいはまた、息子が先日受験した(合格発表はまだ)県立高校は1時間の授業
時間が65分で5コマなのだそうです(火曜日だけ506コマなんだって)。授業の
集中度とか充実感とかで考えられたアイデアかな?
 小・中学校の長期の休みの日程とか期間なども各校バラバラという話は、以前
NO.5)にもお伝えしましたが、まずは、こういった休みの取り方、授業時間の
長さ、時間割・・など学校の基本的な事項から「この学校ではどうするか?」と
話し合ってみたらおもしろいのかも。何でも従来通りを旨とする環境では、学校
独自の試みだとか、独創的な総合学習だとかは生まれっこないもんね。何よりも
「話し合ってアイデアを出し合う」だとか「一度やってみよう」だとかそういう
機運が学校の中に生まれてくるのではないでしょうか。
 こういったイロイロありの学校運営については、堀金小・中ともに毎年発行さ
れる冊子「学校要覧」に詳しく書いてあります。香川でも最近になって、(気恥
ずかしい)校訓や教職員の写真などを主な内容とする三つ折り程度の学校要覧が
発行されるようになってきていましたが、こちらでは小学校は56ページ、中学校
では89ページという堂々たる冊子になっています(保護者は代金750円を支払いま
す)。この中に教育方針はもとより、職員組織、校務分掌、日課表、教育課程、
年間行事予定などなど・・・が項目別に出てきます。その中にある「学校で学ぶ
こと、学び方」という項では、教科の学習の進め方はもとより、学級活動や生徒
会活動、同和教育や図書館教育(小・中ともに、香川で多くの人が熱望していた
専任の司書の先生がいます)などについても基本理念や具体的取り組みが書かれ
ていて、こういった記述の中にこそ、その学校の方針が見えてくるものです。私
が早い段階からこちらの学校の様子をだいぶ理解できたのも、この「学校要覧」
に負うところ大です。

 これまで1年にわたってお伝えしてきたように、様々な試みをしている長野県の
学校教育ですが、一番の懸案事項というと(これは全国的にも言われていること
でもあるのですが)「学力低下」ということなのだそうです。特に、文部省が言
い始めるずっと以前から「総合学習」に取り組んでいたり、地域の特性を生かし
た独自の授業計画を立てたりしている長野県は、高校入試でも12学区制を取り入
れたりして、これまではできるだけ高校間格差を是正する方向で進んできたよう
に見えます。ところが、こういった流れは当然のように、全国的に見ても「長野
県は学力が低い」(センター試験の平均点が低い)ということに結びつけられる
ことが多いらしいのです。「学力」って何なのだろう。「学力」を伸ばすってこ
とは本当に必要なのだろうか・・?

 実際、うちの子どもたちに聞くと、小・中学校でのテストの問題は香川の方が
ダンゼン難しかったと言います。こちらでの小学校のテストは何しろ問題が少な
い。10問で100点になるような問題数の少ないテストが多いそうです。小3の娘の
場合には5問で100点ということさえあると言います。「香川ではどの科目も問題
数が圧倒的に多かったしけっこうひっかけ問題もあったけど、こっちではそうい
うことは絶対ないよ」・・などなど子どもたちの感想を書き連ねると「難しいテ
ストにしなかったら、子どもは勉強しなくなる」と言う人が必ず出てきそうです
よね。でもなぁ、テストって教える側がちゃんと教えられたかどうかがわかれば
いいのだから、子どもをひっかけるためにやるものじゃないハズ。だから、少な
くとも小・中学校では基礎的なことがわかっていればそれでいいんだよね。ある
程度、どの子も「より上を目指してガンバレ」なんていう激励には素直に応えて
くれるんではないかと思います。だからこそ、その極端な例として有名難関私立
校などを受験する子も出てくるのでしょう。でも、そのことが本当に「学ぶこと
は楽しい」ということにつながるのでしょうか?勉強に限らず、スポーツだって
小さい頃から鍛えれば鍛える程、時にはほんのわずかの「天才」も生まれるのか
もしれないけれども、少し大きくなってきた時に「僕には才能がない」「私には
向いてない」と早々に見切りをつける子どもが出てくることの方が圧倒的に多い
のでは?私たちが子どもたちに伝えたいのは、人生に希望を持って生きることな
のに、より難しい課題を与えて競争させて、逆にニヒリズムを植えつけてしまう
ってことはあるんじゃないでしょうか。

 実は、うちでも失敗したことがあります。夏休み前に、高校に進学したいとい
う意志を固めた中3の息子が、「もうちょっと、ゴリゴリした問題をやってみたい
」と言い出しました。初めは「いいの。そんなことしなくたって」と言っていた
私たちでしたが、あんまり熱心に言うので「まぁ、こういう田舎暮らしだから、
ちょっとは刺激もいるのかねぇ」なんて思って、昔、父親が高校時代にやってい
たという「会」の通信添削(中学生用)を申し込んだのです。今まで、習い事
も塾も通信添削も一切やらせたことがなかったから、わが家にしては画期的なこ
と。はたして息子は熱中し、喜々として添削用紙に向かい、返ってくる答案をニ
ヤニヤと眺め、成績の全国ランキングに一喜一憂し始めました。同時に、当然と
いえば当然のことながら、学校でやる基礎的な勉強に「やる気が出ん」と言い始
めたのです。そして、学校から受験用に課されている「整理と対策」のような問
題集(県立高校を受験するには十分な内容)などを一切やらなくなりました。も
ちろん親二人とも、基礎的なことをやる意味を言って聞かせたり、こういう雰囲
気の子がいることで(実際には言動にうつすことはないにせよ)他の子に与える
悪影響について何度も何度も根気よく話しました。しかし、彼の「おもしろいこ
とをやりたいだけなんや」という原始的な主張はけっこう強固でした。結局、親
がやれたのは「このままでは傲慢になる。とにかく、うちは国立大学付属高校と
か私立の難関校とかに子どもをやる気はないんやし、こういう通信添削は必要な
い」と支払いを中止することでした。息子は「付属高校とかを受験できなくても
いい。おもしろい問題だからやりたい」と泣いて頼みます。親は「そんなおもし
ろいゲームのためにお金は出さへん」と突っぱねる。・・・結構、うっとおしい
日々でした。
 数ヶ月で「おもしろいゲーム」をやめさせられた息子が、しゃあないと基礎的
な勉強をするようになったか?そうは簡単にいきません。自分がおもしろいと思
うものはやらせてもらえないし、学校ではともかく家でまで自分にとって魅力の
ない勉強をする気にはなれないということらしい。でも、部活もない中学3年後半
の半年。暇で暇で仕方ないからか、ニワトリの世話と畑の仕事以外はむさぼるよ
うに本や新聞を読んでいました。漱石、芥川、はたまた三浦綾子・・完全に「受
験勉強」とは無縁の生活をしている息子に、時には「どうするつもりなんや」と
胸ぐらをつかみたい気持ちにもなりました。でも、「やれ」と言われてやるよう
な子でもない。親にはとことん忍耐がいるものです。結局、受験の10日くらい前
からようやく少しパラパラと見直す程度のことをしただけでした。
 これで不合格にでもなれば、「だから最低限必要なことはやらないとね」で一
件落着なのですが、反対に合格してしまうと話がややこしくなります。でも、ど
っちにしろこれでよかったのかも。「より上を目指して」がんばらなくちゃと知
らず知らず追い込まれるのって、やっぱり不幸だもの。本を読みまくる中で何か
少しでも心を耕すきっかけができるかもしれない。必要以上のゲームで競争して
、それでいいことなんかあらへん。学ぶってことはそういうゲームとは違うんや

 「競争」によって、子どもに「やらせる」ことはけっこう簡単だと思います。
点数も上がることでしょう。でも、そういった「学力」が何の意味を持つのでし
ょうか。だからって、幸せに結びつくものではない。
 信州に住むようになって何が一番よかったといって、公務員や一流会社のサラ
リーマンなどではなく、こだわりのペンションを経営したり、有機農業をやった
り、ポリシーを持ったギャラリーとか本屋をしているような大人たちに、子ども
たちが身近に接することができるってことです。もちろん、香川にもそういう人
はいましたが、私たちがあまりに市の中心部に住んでいたせいもあって、出会え
る頻度が極端に少なかった。以前、旅行で信州に来た時以来、私たちがその魅力
に惹かれてたびたびお邪魔する木彫作家の小坂さん(作品のほとんどはフクロウ
)は、工房を訪ねる度に子どもたちと一緒に古新聞でバラの花などを作ってくれ
ます。12時間滞在している間、他に誰もお客さんが来なかったある日、小6の息
子が尋ねました。「おじちゃん、もうかってる?」・・・小坂さんは答えました
。「なかなか厳しいものがあるなぁ。でもな、人間好きなことやってる時が一番
幸せとおじちゃんは思ってる。フクロウ彫ってる時ってなかなか思い通りにいか
なくて苦しいけど、それでもやっぱり好きなことだから楽しい。できたものをお
客さんが気に入って買ってくれた時って、お金がもらえるからだけじゃなくって
ホントうれしいよ。自分でも気に入ってるものに限ってすぐに買い手がついたり
して、手放すのがつらいこともあるけどね」
 人間何が幸せかわからない。つくづくそう思います。長男として上級学校への
進学はあきらめざるを得なかった大家さんとか、近所の農家の方たちの中にも哲
学者がいます。そういった人たちの割合が多そうなのも信州らしいところです。
そういう「哲学」が、競争によって、その結果としての学力によって、子どもの
中に育まれるとはどうしても思えないのです。
 次第に、親の言うことに耳を傾けるというよりも、出会った人の生き方に影響
を受けるような年齢になってきたわが子が、これから、自分は何をしたいか、何
をやることが一番楽しいかを模索しながら、どんな生き方をするようになるか。
親としては、信州の人と風土に期待するところ大です。

 雪が消えてきた安曇野の田園地帯。昨日の夕方、大家さんが土手の野焼きをし
ました。勇壮に燃え始めた火を見て、高校受験が終わったばかりの息子がすぐに
すっ飛んでいきました。枯れ草を広げて必要な場所を焼いたり、燃え広がったら
困るところは松の枝で叩き消したり「火を管理するって難しい。でもおもしろか
った」と灰の臭いをプンプンさせながら戻ってきました。
 安曇野での田舎暮らし、学ぶことはまだまだありそうです。
                    長野県南安曇郡堀金村 稲角 尚子