安曇野便り NO.7 (2000年10月)
「いいじゃん、それ」
長野県南安曇郡堀金村 稲角 尚子
先日の鳥取県西部地震。今や日本全国どこでも地震に無縁のところはないんだ
ということが頭ではわかっていても、やっぱりビックリしましたよね。香川でも
だいぶ揺れたようですが、大丈夫でしたか?うちでも改めて「もし、ここに地震
がきた時に、家か学校にいるんだったら親や先生の指示に従うことができるだろ
うけれど、遊んでる時とか道を歩いてる時とかだったらどうするか?」という話
をしたところです。できるだけ何もないところで頭を保護してしゃがむこと(田
んぼや畑の中に入ってもええん?)道を歩いてる時だったら塀のそばは崩れてく
るかもしれないから近寄らないこと(ここは家をブロック塀で囲っているところ
はほとんどないよ)こっちの方が安全だからいらっしゃいと言ってくれる大人の
人がいたら従うこと(知らない人についていってもええん?)などなど、いちい
ち(・・・)のように聞いてくる子(主に小3の娘)に話してきかせるのは骨が折
れます。骨は折れるけれど、話し合っておくことで、とっさの時の臨機応変の知
恵につながるかもしれません。でもホント、親って疲れるよね。
全国的にも注目された長野県知事選挙。「変革」を求めた人がいかに多かった
かを思う時、私はからだ中に勇気が湧いてくるのを感じます。一見、日本の中で
も最も保守的な地域のひとつのように思える信州の地ですが、そこに住む人たち
と知り合えば知り合う程、柔軟な考えの「在野の賢人」が多いなぁと感じるので
す。そして、何か新しい提案が出てきた時に、きちんと議論して検討しようとい
う雰囲気がまだあるのがうれしい。
たとえば、私は今年度中学校の文化部(PTA新聞づくり)の役員をしているので
すが、その活動方針を決める最初の会合の時に、そのPTA新聞の配布についての意
見が出ました(中学生がいるいないにかかわらず、 PTA新聞を村の全世帯に毎回
配布しているのです)。その時出た意見は、労力の大変さを考えれば配布の必要
性を再検討してはどうかというものでした。それに対して「そんなにみんなが読
んでるとは思えないし、やめてもいいのでは」とか「読んでるか読んでないかで
はなく、中学生のことを村の人に伝えておくのも大事」とか「各地区の集会所に
置かせてもらう手もある」とかいろいろ意見が出る中で、村の広報紙の配布時に
一緒に配布してもらえないか役場に要請してみようということになりました。私
は新参者でもありほとんど聞いてばかりだったのですが、何かを「やめる」こと
をタブー視せず議論する雰囲気があるってことだけでも感動ものでした。
あるいはまた、安曇野の中を南北に突っ切るように計画されている地域高規格
道路(高速道路と連携して広範囲な地域間を結ぶ道路。時速60〜80キロで走るこ
とができる)について、環境保全の立場から住民たちの間に反対運動が起こって
いることを受けて、「計画説明会」が各地で開かれた時(5月)のこと。すでに堀
金村から大町市の間の15・が昨年末に建設省から調査区間の指定を受けているの
ですが、大町市、松川村、穂高町に続いて開かれた堀金村での説明会に参加した
住民は約130人。何と言っても文字どおりの日本のムラ社会だからそれほど意見は
出ないのでは?と思っていたら、「経済効果に期待したい」といった賛成意見が
でる一方で、「世の中厳しい経済状況なのに、この借金はこれからいったいどう
なるのか」「住民合意はどうやってとっていくのか」「周辺に与える影響は?」
といった反対意見や慎重さを求める意見が次々に出てきたのには正直驚きました
。もちろん、参加している人の中には、道路がどこを通ることになるのかという
ことに関心のある(農業の先行きがないからできるだけ高く自分の土地を売りた
がっている)人も多いんだよとあとから聞いたのですが、それでも会議で意見が
イロイロ出るって健全だよなぁと、香川から越してきた住民はそれだけで感心し
てしまいます。
そんなこんなを思う時、今回の県知事選での「変革」を求める県民の選択は当
然といえば当然という気もしてきます。香川にいた頃、あれだけ求めた変革の風
は壁に当たってはねかえされるばかりでした。香川と長野はどこがどう違うのか
?私は、やはりそこに「教育」の力を感じるのです。自分の意見をみんなの前で
言うということが可能かどうか?その意見を聞いて考える(議論する)雰囲気が
あるのかどうか?
長野の教育界では、特に「数学」の力が弱いと嘆く声が大きいそうです。うち
の子どもたちの話を聞いても、確かに同級生の多くが数学に苦労しているといい
ます。でも、「教育」でもっとも重視されるべきが数学の力とはどうしても思え
ない。まして計算の速さでは決してないと思うのです。「数学」が弱くたっても
っと大事なことを学んでほしい。
小6の息子がこっちに転校してからは「めあて」や「反省」「短作文」や「○○
カード」に悩まされなくなって、担任の先生にうれしそうに日記を書いて提出し
ているという話をNO.3(2000年6月)「個々の教師の取り組みや考えが見えてきた
」に書きました。その息子が6年生になってすぐ、日記にこんなことを書いていま
した。
「ぼくは5年のときもいいましたが、なぜ学校に行って体操服に着がえなくてはい
けないのかが分かりません。体育のときだけ着ればよいのではないのでしょうか
。そうじのとき、ぼくは別によごれてもいいですし。それに、入学式のときは私
服でそうじしました。ぼくは学校にいってすぐ体操服に着がえたくありません。
いいでしょうか。校長先生も強せいはしないといっていましたし。いいか悪いか
を言って下さい。そうじゃないと女子がうるさいですから。お願いします」
5年生の3学期に転校してきた息子は、ここの学校に標準服がないことをとても
喜んでいました。校章も学年章も名札もありません。靴や帽子も自由です。体操
服も今まで使っていたものをどうぞと言われました。しかし、自由服で登校した
子どもたちが、登校してすぐ体操服に着替えていることに気づくと「体操服が制
服なのかな?」と首をかしげ始めました(松本市やその周辺の郡部の小学校では
ほとんどの学校でこういった慣習があるようです。長野県全体にあるかどうかは
不明)。「この学校の子は学校では体操服に着替えるんだよ」と言われてとまど
いながら体操服を着始めたものの、しばらくして「体操服を着たい人だけが着た
らいいと思います。人によって暑さ寒さの感じ方もちがうと思うし、よごれるの
を気にするか気にしないかも感じ方がちがうと思います」と言ってみたりしてい
ました。しかし、そこは転校生。あまり強くは主張せずにいたようです。しかし
、学校にも慣れ、毎日の生活の中で、また日記帳を通じて担任の先生への信頼感
を深めていった彼は、6年生になって改めて同じ疑問を問いかけ始めました。
担任の先生は初め「この学校では学習着として考え、着替えてるようだよ」と
息子に話をされていたようです。しかし、彼は5・6時間目に体操服を着ないでい
いと(彼のクラスでは)許されていたことを取り上げ「それでは学習着ではあり
ません。それに5・6時間目に着ていたとしても、それは制服になるのではないで
しょうか」と譲りませんでした。「職員会議で話し合ったけれど、やはり学習着
として考え、着替える方向になったよ」と先生が答えても、「そういうみんなに
関することなのに、なぜぼくたちみんなにきちんと言わないのでしょう。だれか
児童の代表もいっしょにいれて話し合うとか、それができなければ、けいじした
りして決まったことを発表しなくちゃいけないのではないでしょうか。ぼくは決
まったこと、みんなに関することは知りたいです」と日記に書いていました。
子どもがこういう問いかけをしてきた時、私たち大人はどうするでしょうか。
いい加減うるさいなぁと次第に不快になってきて力で押さえつける場合もあるか
もしれません。息子にとって幸いなことに、担任の先生は何日にもわたる子ども
の問いかけに面倒がらずにつきあってくださったのでした。先生は「きちんと言
わなくて悪かった。不思議に思う気持ちはよくわかるよ。先生も今まで考えたこ
とがなかったし、この学校に来て間もないので事情がよくわからずにいたんだよ
。クラスのみんなにも話してみないか。さっそく時間をとるね。このことについ
て他の友だちがどのように考えているか、先生も知りたいし」と言ってくれたの
です。息子が喜んだのは言うまでもありません。
その日、緊張しながら友だちに語り始めた息子は、「みんながなんで〜!とか
言ってくると思った」と言います。しかし、「着たい人だけが着るのでいいと思
う。ぼくは着たくない」と話す彼に、あちこちから「いいじゃん、それ」という
声があがったのでした。緊張していた息子の顔がいっぺんに満面の笑みになった
こと、容易に想像できます。
子どもから出てきた疑問の声をおとなの力でつぶしてしまうのではなく、みん
なの前で言わせてもらったこと、そしてその「異見」に対して「いいじゃん、そ
れ」と答えてくれたクラスメートたち。彼は運動着を着るかどうかではなく、「
意見を言うってうれしいこと」と学んだのでした。そして、ますます先生や友だ
ちを好きになっていったのでした。こういうことが、子どもにとって貴重な体験
であり、学びであり、「教育」だと思うのです。
そんな「教育の力」をこのところ何かにつけて感じています。何もかも従来通
りは安心だけれど、個々人の思いは抹殺されがちです。よくないと思えることや
、少数ではあっても誰かがしんどいと感じることならば、よりよく変えていくこ
とを面倒がらずに考えたい。時間はかかるけれども、みんなで議論して検討した
い。長野にはそんな雰囲気がまだある気がします。
今回の知事選で「変革」を訴えるうねりに、長野県民はけっこう「いいじゃん
、それ」のノリで応えたのかもしれないと私は密かに思っているところです。
さて、10月初めの金曜日と土曜日の二日間。中学校の文化祭(村のシンボルで
もある常念岳の名をとって常念祭と呼ぶ)が開かれました。高松にいた頃の中学
校の文化祭は、職場体験やボランティア体験などの体験学習を半日したらそれで
ほとんど終わりというものだった(合唱コンクールというのは別にあった)ので
、回りの子がやたら気合いを入れているこっちの文化祭っていったいどんなんや
?と中3の息子もイメージがつかめないまま当日を迎えたようです。
もちろん、保護者や地域の人にも開かれている文化祭。意見文発表、福祉講演
会、総合学習についてのステージ発表、バンド演奏などステージでの個人発表、
吹奏楽部の演奏会、選択音楽のメンバーによるステージ、合唱コンクール、自由
発表の音楽会(コンクールとは別にそれぞれのクラスで考えたやり方で演奏する
)、常念太鼓(堀金村の伝統芸能)の演奏(今回初めて挑戦した中1生有志と保存
会の方たちそれぞれの演奏)、そしてさまざまな作品展示(技術の作品・写生会
作品・習字・短歌・俳句・理科の自由研究・被服作品・リースなどなど)もある
し、ホント盛りだくさん。そして、ほんの1時間ほどですが、競技は棒倒し・騎馬
戦・ムカデリレーだけという運動会も含まれています(ちなみに、練習時に怒声
のこだまするアノ運動会はここの中学校にはありません。かわりに1学期に個々人
が選んだ種目に出る陸上クラスマッチがあります)。小学校は2日間とも休みにな
り、6年生の息子は半日をクラスでまとまって見学に行きました。私も丸々二日間
のうちのほんの一部ですが、見学に行きました。
そこで見えてきたのは、生徒たちの多様な姿でした。サッカー少年だとばかり
思っていたA君が、清々しく端麗な習字を書いてるのに感心しました。陸上の県大
会に出たUさんは、セミの声も何もかも音が消えてしまうスタート前の静寂さと緊
張感を俳句に詠んでいました。 Mさんの一生懸命歌う姿は私たちの胸に迫るもの
がありました。 Nさんが丁寧に丁寧に描き込んだということがよくわかる校舎の
写生画にも目を奪われました。パートナーは蝶の鱗粉集めを理科の自由研究でや
っていた女子生徒の作品を見て「間違いもあるけど、よくやってるなぁ」と感心
していました。ステージでも、生徒たちは緊張しながらも一生懸命演じ、歌って
いるのがよく伝わってきます。ひとりでセリフを言ったり、ソロで歌ったり、ド
ラムを叩いたり、踊ったり、トランペットを吹いたり・・・そんな体験が子ども
たちをどれほど成長させることかと思います。合唱の最中にソロで歌った男子生
徒が歌い終わって深々とお辞儀をした時、演奏中なのに大きな拍手が起きました
。こんな体験から「歌う」ことに病みつきになる子が出てくるかもしれません。
先生たちの普段とは違う姿にも接しました。常念太鼓に挑戦した先生はヤンヤ
の喝采を浴びていました。校長先生のテノールや保体の先生のソプラノの声量に
驚きました。教職員の展示コーナーに、生徒と一緒に写生会の時描いたという理
科の先生の絵がありました。格別うまいわけではないけれど「いい先生なんだね
ぇ」と私が言ったら、息子が「そうやで!」と強調して言っていました。その息
子はというと、後夜祭の花火がすごかったと言って珍しく興奮して帰ってきまし
た。後夜祭は未成年の主張、カラオケ、ファイヤーストーム点火、フォークダン
ス(あのオクラホマミキサーを踊ったそうです)と続き、花火で最高潮に達した
のだそうです。この夜空を彩る花火に、あの薬草集めと加工用トマトの収穫作業
のお金があてられたといいます!
今までは、中学校というと「管理」「受験」など負のイメージでしか語れない
ような気がしていました。でも、こうやってテストの成績だけではないひとりひ
とりの子どもたちの姿が見えてくると「日本の学校もまんざら捨てたものではな
いなぁ」という気がしてきます。学校行事は大変だけれど、その時間とエネルギ
ーを割いてもなお、得るものが大きいものもあるのではないでしょうか?見えて
くるのが成績だけではないいろんな場面が学校の中にあるってことは、けっこう
大切なことかもしれません。
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