1996.1食と暮らしの雑誌コンパ21インタビュー記事 枇杷友美樹

数千枚の年賀状から 

--このペンションの建物を作るのに、三年間もかけられたそうですね。どうしてですか。

臼井 それはやはり、自分で作りたいという気持ちが強かったんですね。業者に頼めば何千万というお金でできますが、それを自分でやれば、それだけのお金を働いたことになる。暮らしを細分化すれば効率はいいけれど、失うものも多いような気がするんです

−−もともと自給自足の夢をお持ちだったんですか。

臼井 とにかく僕は山が好きで。高校時代から山岳部にいたり、大学の頃は山小屋のアルバイトに行ったり。その後東京で一年間 都会のサラリーマン暮らしをした後は、こっちに帰って穂高町営の山小屋で山暮らし。五年間ほど働きました。その五年間のうちに、好きな旅をしながら各地のユースホステルや民宿のいろいろな良い点を山小屋に取り入れて、また来たい宿を目標にみんなで最善を尽くしたら、最初3000人ちょっとだった年間宿泊数が毎年1000人くらいずつ増えていった。これはうれしかったですね。

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北アルプス槍ヶ岳   燕岳

−−どんなことを実行されたんですか。

臼井 まずね、山小屋に着いた人にお茶を出そう、と。安いお茶なんですが、汗水たらして登ってきて、ザックを降ろしてすぐに飲む一杯のお茶が、実にもうおいしいんですよ。くたびれた時の一杯の水は最高のグルメでしょう。自分自身がそう思っていましたから、どんな時にも心がけてお出ししました。で、夜は集まってもらって、スライドを使いながら、翌日の天気や周辺のガイドやコースの概要なんかの話を30分くらい。最後に全員の写真を撮って、それを正月に年賀状で送っていたんです。みんな喜んでくれて、大半の人が返事をくれました。やめる頃には年間6000人ほどが泊まる小屋になっていましたから、何千枚と年賀状が来て、町長がもらう数より多いから、おまえは山小屋で何やってんだと町長に呼び出されて聞かれたくらい(笑)。

‐−山小屋をやめてペンションを始められたのは、どうしてですか。

臼井 僕にとって山は、理想の世界だったんです。そこでは同じ自然環境の元で誰もが平等で素晴らしい世界です。こんな世界は山ぐらいしかないですね。素晴らしい世界です。でも消費ばかりで生産ということがなく、ある意味で美しすぎた。で、もっと下界の人間関係の中で自分を磨きたいという想いや、自分の宿をやってみたいという願望が強くなってきたんですね。ただ、ずっと頭の中で思い描いていた小さな宿を、自分の生まれた安曇野で作りたいという気持ちはありましたけど、まず資金がないわけですよ。土地は、親父の土地とここを交換してもらいどうにかなりましたけれど、それ以上は、ない。どうしようかと考えに考えて、そうだ、手元にはこれだけ年賀状の返事がある、と。そこでその人たちに、ぜひ出資してほしいとお願いすることにしました。5年間有効の無料宿泊券1枚と2割引券5枚が付いて1口五万円の会員を募ったんです。労力面、精神面、資金面、いろんな面でバックアッブしてもらえたらありがたいと事情を詳しく書いて、ダイレクトメールを出しました。そしたら、2〜3力月で、2500万円ほどが集まりました。これも、うれしかったです。

−−16年前で、2500万円もですか?

臼井 ええ、ありがたいことに。それと山小屋にいる時に貯まっていた自己資金約1000万円と、銀行に借りたお金を足して5000万円。

−−それだけあったら、もう充分・・・

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手堀の基礎工事 左より小川、清水、萬井、斉藤さん

臼井 いや、できなかったですね。設備面を削りませんでしたから。部屋は全部床暖房ですし、最初から、間に合わせではなくちやんと本物を目指したかった。

--壁も漆喰だし、大きな暖炉やオーディオセットだし、新建材も使っていませんから。

臼井 やりたいところは、ちやんとやろうと。

その代わり、自分でできるところは自分でやる。山小屋にいたので、大抵の水道配管や壁塗りなんかの大工仕事はできますから、素建てだけプロに頼んで、あとは、労力面で協力すると言ってくれた学生の連中なんかが入れ替わり立ち替わりで手伝ってくれました。その分とても時間はかかりましたが、時間がかかることは悪いことじゃない。木が乾燥したり、いいこともいっぱいありましたよ。

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かけやを振るっているのは臼井さん 山男大活躍 

壁塗りは杉本、槌谷、長岡、富山、仁科さんすっかりプロ級になった。

現在もまだまだ未完成ですが、そうやって器はなんとかできた。ところがその後、今度は人が思ったほど来ないわけですよ。この時は、なかなか大変でした。二年目には銀行の返済に困るようになりまして弱っていたら、山好きで山小屋に来ていた雑誌の編集長がドキュメント風に雑誌に取り上げてくれてそれを契機にようやく泊まる人も増え、なんとかやっていけるようになって、少しずつですが、畑を耕し始めたり、いろんなことを手掛けたりする余裕も生まれてきました。

素晴らしき田舎暮らし

---年間のサイクルは、どんな感じですか。

臼井  一番忙しいのは7月、8月ですね。その他は、連休と土日がけっこう忙しいくらいで、あとはそれほどでもない。冬の間は、家族でインドやネパール タイにでかけたりします。暖房の燃料費や日本の生活費を考えたら、経費は安くつくくらいなんです。

−−こういうお仕事は波があるんですね。

臼井 それがまたいいところなんです。百姓は、ペンションのオフシーズンに仕事がたくさんあって、7〜8月が収穫期。多くのゲストに提供できるようになりました。自分のところでこうやってようやく生産から消費までがスムーズに回るようになってきました。で、米は一年分、味噌は三年分あるし、二反歩の畑があるので、災害にあっても食料が心配になるということがありません。田舎暮らしって、いいですよお。春先に野に出れば、食べるものだらけなんですよ。一日行けば一週間分の食料は採れます。それから徐々に北に行くと、1〜2カ月はずっと採れ続けます。帰りに温泉なんかに浸かってくると、山菜採りもレジャーになる。泊まった人で希望者がいれば一緒に行きますし、食事にももちろんお出ししますし、本当に楽しいですよ。畑もそうですよね。種を播く。しばらくするとと芽が出てくるんですよ。芽が出て実れば、米なんか一粒が1500粒から3000粒になる。たった6ヶ月の間にですよ。お金だったら銀行にいくら積んでも3%くらいしか増えないでしょう。自然というのは、本当にすごいですよ。でも本当に最近だなあ、こんなふうにゆとりをもって、いろんなことを見られるようになったのは。

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4反の畑の様子です。今年はサツマイモが豊作でした。

−−マクロビオティックについては、どんなふうに考えておられますか。

臼井 いろいろなことを学ばせていただいた中で、最終的にはマクロビオティックに落ち着くといいますか、自然保護にしろ食料問題 健康問題にしろ、ファッションにしろ、みんなおそらくどんな人でも行き着くんじゃないかと僕は思っています。本当に、おいしくて、いい食事ですよね。身土不二も一物全体も、実際そのとおりですもの。その土地のものを丸ごと食べる。これは非常に自然であるがままの姿です。自然から遠くなればなるほどそういう当たり前の姿がわからなくなって、今の時代だとこだわらなければできないことになってしまったかもしれないけれど、みんなどこかで気がついていることではないかとも思うんです。だから、それを伝える側の人間として僕はある意味で軽薄でいいと思っているんです。全然関心のなかった人に、こんな食事方法があることを理解してもらうのがとても大事なことだと思いますのでね。伝える側が間口を狭めるのではなく、ワッと広げて切り口もたくさん用意して。たまたま間違ってシャロムヒュッテヘ来て(笑)、玄米を食べたらおいしかったという人もけっこうおられます。みんな玄米はおいしくないという先入観があるんですね。先入観が変わったら見事にいろんなことが変化していく人もいておもしろいですよ。ここには実に様々な人が来られます。考え方も全然違う人がいて、僕はそれでいいと思います。同じ色の人だけではダメなんです。お互いに伝え合うものがありませんからね。いろんな人がいて、影響しあっているのが社会生活ですから。その中から、お互いが学び合えたらとても素晴らしいでしょう。

情熱は発酵する

−ダイエットプログラムを実施しでおられるのも、そういうお考えからですか。

臼井 切り口として、ダイエットもいいんじやないかと思うんです。今の若い女性の雑誌を見たら、すごい勢いでダイエットのことが載っているわけですよ。でもその結果、体を崩している人がいかに多いか。精神的にダメージを受けている人も多いでしょう。でもマクロビオティックなら、体のバランスが良くなって健康になって、その延長線にヤセるベストの体重になるということがあるわけですから、この方法をもっと広く伝えてあげてもいいんじゃないか。そしてとにかく三日間、完全菜食でやってもらうと、なにか多少の変化でも感じてもらえますから、そこをきっかけにしてもらえるよう話をさせていただくんです。出発が違っても本質がうまく伝えられればね。

1nitiryouri2.jpg (5341 バイト) 旬を食する玄米自然食のメニュー

−−これから自給自足の生活がしたい、自然食関係の仕事がしたいという人に、なにかアドバイスがありましたら・・・

臼井 僕はね、やっぱり想い、情熱だけだと思うんです。想いがあれば、いろんなことは後から解決してくる。

---情熱はあるけれど、不安もそれ以上に多い場合がありますけれど・・・

臼井 情熱は、自分のなかで発酵するまでに時間がかかるものです。その発酵が終わって自分はこういう道を行くんだという確固とした考えがあれば、いろんな人にいろんなことを言われても揺れないし、そんなに大変なことにはならないと思いますよ。

‐−経済的な不安も多いようなんですが。

臼井 たしかに経済的には収入がガクンと落ちるかもしれないけれど、でもね、人間って生きていけるんですよ、本当にありがたいことに。それから新しい縁ができる。金銭抜きで生まれた出会いです。お金を介した関係には限界があるけれど、金銭抜きで育んだ関係には変わらない繋がりがある。お金のないドン底を味わうと、逆にこう温かい気持ちが持てるようになってきますし、困っていれば誰かが手を差し伸べてくれる。そういう時に人の本当の優しさや強さに出会うことができる。

何かに依存して生きるのではなく、自分で自立して生きることは素晴らしいことだと思うんです。そのためにマクロビティックや百姓やその他の自給自足的な暮らしの技術を、僕はもっと学び共有したいですね。そしてまた逆に、自立するためには自然を含めた他者からのいろいろな手助けが不可欠ですから、

他者と共に生き、仕事を通じて、

他者のために生きることができれば最高ですね。‐−どうも、ありがとうございました。

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