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8月8日
お天気は晴れ。安曇野は涼しいかと思いきや、とても暑かった!
シャンティクティはたくさんの人で、「今回は、いつも+10人だから」と、朋子さん。
今回は特別ゲストが来られるということで、参加者もいつもの倍以上ということでした。
今回のゲストは、島田啓介さん(だーさん)。ティク・ナット・ハン師の本を多数翻訳されている方です。
1日目は、だーさんから、瞑想や今ここを感じるということを、いろいろと体験しながら教えていただきました。
最初は、横になってリラックス。だーさんの誘導で、自分の呼吸や身体の感覚を感じながら緩めていきます。瞑想だからって、無理に集中したり、何かを悟ったりしなくてはと力む必要はなくて、眠くなったら眠ってもOK。ということで、穏やか〜な声に導かれながら、ふーっと意識が遠のきつつ、気持ちよくなっていきました。
次は、島田さんの奥さん、さなえさんのリードで、座って身体を緩めていきます。身体をひねったり、地球になって太陽の周りを一周するつもりで、ゆっくりと頭を回したり。痛い所とか、かたくなって伸びにくくなっているところ、気持ちいいところなど、自分の体の状態をそのまま感じて受け入れます。自分の体って、意外と大丈夫と思いがちで、丁寧に意識をむけることって普段は出来てないなあと感じました。
次は、世界のいろいろなものの持つ性質が、私たちの中にもあることを感じてみました。
呼吸、吸って吐くことを意識しながら、花‐みずみずしい、朝露‐さわやか、山‐どっしり、空‐広がる。最後は、周りの仲間を感じ、微笑みかける。
その次は、外へ出て、歩く瞑想です。シャンティクティの畑を、最初はみんな一列になって歩いて行きます。その後は、一人一人ばらばらに、好きなように歩きます。
歩くときに意識することは、一歩一歩、足の裏の感覚を感じながら、どこか遠くの目的地に着くためではなく、「着いている」という気持ちで歩いて行きます。地面や、日差しや風、木々や畑の緑、鳥や虫の声、一緒に瞑想しているみんな、いろいろなメッセージを感じます。その間、声は出さないで。私たちは普段、しゃべりすぎているから(確かに、と納得)。まわりの、全てのものとつながっていることを感じます。やってみると、まわりから語りかけてくるメッセージというか、ふと気づくことがありました。
そして、大地に触れる瞑想。
大地と一つになる。先祖に感謝する。感謝と思いやりを持って、私のエネルギーを愛する人たちに伝える。そのようなテーマの短い言葉をとなえて、大地に触れます。
ちょうど8月、お盆の時期なので、いつもより一層ご先祖とのつながりを意識してすごしたいですね、とだーさんは言われていました。
いろいろな瞑想体験をして、ここでお風呂へ。今回は八寿恵荘のカモミールの湯へ。
そして夕食。メニューは、ケーマサマン(カレー)、厚揚げのトマト炒め、ナスのナムル、夕顔のスープ、ごはん、サチさんの梅干し。
おいしそうな食事の準備ができたところで、いつもの夕食とは違います。
食べる瞑想です。最初の15分間は黙って食べます。調理してくれた人、食材となったものたち、それらを育ててくれた人…今、自分が食べているものの背後にある様々なものを思い感じながら、食べ物とのコミュニケーションをする、より深く味わいます。
黙って食べると言っても、難しい顔をして食べるのではなく、誰かと目があったら微笑んで、と言われましたが、深くゆっくりと味わいながら、周りの人と無言でコミュニケーションする、というのはなかなか難しく、ほとんどみんな黙々と食べている感じでした。
ゆっくりとよく噛んで、味わって食べるととても満足感があります。普段、いかにガツガツと食べ過ぎているかということを感じました。
夕食の後は、今ここを生きることや瞑想のこと、マインドフルネスについてなど、お話し、質問&シェアリングタイム。いろいろと興味深いお話がありました。
私たちは、目標を持つ故に苦しむという面がある。「今ではないいつか」にばかり意識がいって、今はまだ出来ていない、十分ではない、もっと頑張らなくてはと思い、自分を苦しめていることがある。Happiness
is here and
now.常に、今ここにすべてがあると考え、「今ここ」に全力で、今起こっていることをていねいに、全部受け止め、今ここにあるものを味わい尽くすこと。「Happiness」という歌の歌詞とても簡潔にわかりやすくありました。
幸は今ここ 悩みは捨てた どこにも行かない 急がなくていい
なんにもしない 急がなくていい
どこかに行こうか でも急がない
何かをしようか でも急がない
ティク・ナット・ハン師が、取材に来ていた記者の「何から始めれば良いか?」という質問に「まず第一に、家に帰ってテレビを消して、家族がお互いに今、幸せかどうかを問うこと」と答えたという話は印象的でした。確かに、自分は瞑想をして、また他のことをして楽しみ、幸せを感じているけれど、家族は不満を感じているということ、ありがちです。家族といっても一人一人別の人間で、ただ同じことをすれば幸せかというとそうでもなく、違っていても、違うことをしていても、共に幸せになれることを知り、実現していくことで、もっと多くの人や、すべてのものと、お互いに違っていても共に幸せでいることができるということを信じられるのでしょうね。
シェアリングタイムは、話し聴く瞑想ということで、どんな人の言葉にも真実が含まれていて、法話と思って聴く。正しい、間違い、好き嫌い、などジャッジせず、ただ話す、聴く。そのままに聴くということも、意識すると、普段の会話でもいつもジャッジしているということが分かります。
大事なことに意識を向けること、今おこっていることを十分に感じることって、本当に普段は出来ていないものだと思いました。
そして、こういう機会にいろいろと体験しても、普段の生活に戻ると忘れてしまうというのもまた普通のことで、少し工夫が必要。
・日常の中で体験を取り戻すことをする。例えば家でも5分だけ食べる瞑想をやってみる。
・仲間を持つ、つながりをつくる。こういう場で出会った人たちと。
・日常と非日常のギャップを埋める。本を読んだり、YouTubeなどの動画を観たりするのも有効。
いろんなことを、無理やり努力してやるのではなく、働きにまかせる、ということも大事で、ブロックをはずせば自然に入ってくるということも興味深く聞かせてもらいました。
いつも意識せずに当たり前だと思っていることこそ、当たり前ではない奇跡であり、私たち一人一人は、他の人やものと切り離されて存在するのではなく、全てのものとつながっていてだからこそ、今、目の前に起こること、身近な人との関係を大事にしなくてはいけないんだなあと理解しました。
力を抜いて、ゆったりとした呼吸になると、自然と微笑みの表情になる・・・いつもどこか力が入っている私ですが、時々意識してやってみようと思いました。
音のない拍手や、蓮の花の合掌、おもしろい作法というか・・・いろいろとあったのですが長くなってまとまりきらないのでこの辺で。 ひろみでした。
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9月も、もう来週ですね(汗)、参加します。
またよろしくお願いします。
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