●舎爐夢ヒュッテ便りとGUESTのページ
今年も南インドに出かけます。サイババに逢ってきます。17日よりインドの旅日記です。 |
12月31日 晴れ 仁が水ぼうそうなので 食事はインデアンキャンティーンからテイクアウト インド式のお弁当に2食分入れて12ルピー けっこうおいしくておなかがいっぱいになります。毎年なので去年いた給仕の人も覚えていてくれました。
12月30日 晴れ 仁の背中にぼつぼつが出ているのと愛美の調子が下痢でもう一歩良くないのでサイ病院に行く。始まるのが10時からだというので近くのスタジアムで行われているサティアサイユニティカップのクリケットの試合の様子を見に行く。スタジアムはすごい人で テレビ中継もあってあちこちにテレビがおかれインドのクリケット人気にビックリする。人混みしか見えない感じなのでそうそうに引き上げて病院に行く。病院の先生によると仁は水ぼうそう チキンポックスなのだそうだ。英語で優しく話しかける様子に好感が持てる。潜伏期間を10日見れば 日本を出るときに移りちょうど発病したことになる。薬をもらい病院を後にする。サイ病院も建物は立派で全てが無料なのです。有り難いことです。そして大変お世話になりました。 12月29日 晴れ 10時より銀行に行き飛行機券手配と宿泊代支払いの為200ドルの両替をする。待っている間 ネパールから来た女の子 10歳くらいが盛んに日本語を使う。聞くと日本語の勉強をしているとのこと。照れずに話すことの大事さを教わったようでした。アシュラムには銀行 インデアンエアーラインのオフィス 学校 病院 スタジアム 飛行場まであるのです。本当にインドの寒村だったところが今では大きな町になっています。全てが帰依者の浄財によって作られているそうです。自発的なものによるのであって基本的には寄付の強要なども一切ありません。米国でハードロックカフェを経営していた方はババの教えに共鳴してハードロックカフェの権利を売り病院建設の資金に充てたといわれています。基本的には全てがボランティアで行われているのです。
12月28日 晴れ 27度 「日本の人々に贈る言葉」
オーム シュリ サイラム 12月27日 晴れ 27度 荷物を少なくしてみて下さい。どんなにか旅が楽しくなるでしょう。抱えているものを降ろしてみて下さいどんなに人生が楽しくなることでしょう。もっともっとという気持ちをなくしてみて下さい。もっと自由となることでしょう。幸せは外にはないのです。心の中にあるのです。 日記メモより アシュラムの中にインデアンエアーの事務所があり 帰りのチケットを手配する。ゴア行きのチケット トリバンドラムのチケットをあたってもらったが満席。サイババ空港からボンベイのチケットを手配する事にする。 12月26日 晴れ 27度 アシュラムではJAPANグループというのがあって本の貸し出しもやっている。サイババの教えを書いた本が中心だが たまたま「地球村」高木善之著があったので読むことにする。再生可能な生き方が必要と確信する。
アシュラムの食事は菜食です。インデアンキャンティーンと言われる食堂はインド食が中心でミールと言われる定食 ご飯とカレー味の野菜などは6ルピー 10円程度で食べれます。お変わり自由でインド人には特に人気です。朝のイドリーや チャイといわれるミルクティなどは2ルピーです。ウエスタンキャンティーンと呼ばれる西洋食堂は洋風にアレンジした菜食で20ルピーも食べればおなかいっぱいになります。時々洋風なピザが出たりデザートなどもありカウンターで好きなものをとってきて食べるビュフェスタイルです。パンジャビキャンティーンは北インド中心の食事でチャパティ等もありマサラ味もそれほど辛くなく値段も15ルピーもあれば十分です。セバと呼ばれるボランティアで運営され 多いときで3000食くらいを提供しています。時によりこの3つのキャンティーンを食べ歩きます。どの食堂も特徴があり美味しいのでつい食べ過ぎてしまうのが難点です。食器洗い 片づけ 調理 等セバ(奉仕するボランティア)によって運営されています。このセバに参加するのも良い経験です。 12月25日 晴れ 28度 全員でろうそくを灯しキャンドルサービス そして世界中の人々が集い練習したクリスマスキャロルの中 純白のロープをまとったスワミが2階のマンディールから登場 朝のダルシャン 午後には6名のクリスマスメッセージの後 スワミによる講話が1時間程続きました。プレゼントや御馳走だけでない本当のクリスマスに出会えた感じでした。 ◯サイの御教え クリスマスメッセージ
12月24日 晴れ 28度 聖歌の合唱 バンドの演奏 子供達の劇とすばらしい1日でした。特に子供達の劇は世界中から集まった帰依者の子供達によるもので 会場を感動の渦に包みました。短時間の練習に関わらず子供達の生き生きとした演技は心を暖かく 世界中が集えることの喜びを教えました。 クリスマスは贈り物やケーキを食べる為にあるのではなく 神様にお祈りするためにあるということ 子供達が演じる劇はクリスマスの意義を余すところなく表現し実に生き生きとし素晴らしい劇でした。 12月23日 晴れ 27度 人数が増えて午後のバジャンは後ろまで満席となる。クリスマスが近づいたからだろう。バジャン終了後 外に買い物に出かける。パンジャビ クルタ(インド服)を買ってくる。アシュラムでは白いクルタが一般的な格好です。涼しくてとても楽な格好なのです。 12月22日 晴れ 27度 PEACE FOR THE WORLD 10数カ国の言葉で歌うピース フォー ザ ワールドとクリスマス音楽祭 世界が一つなんだと実感した1日でした。私も日本語の歌のパートで参加できました。楽しい一時でした。 午後のダルシャンは最前列になり山之内家の手紙を渡す事ができた。 12月21日 晴れ 大いなる存在に抱かれてみたい。そんな希望ををもってインドの地を訪れた。南インドの地に神の化神が存在するらしい。空中からものを取り出し人を癒し 自ら神の化神と宣言する。病院や孤児院 水道施設を作り人の道を説く。インドには未来を予言するアガスティアの葉という予言書があり その中で神の化神のことについて語られている。まさにその人が現れようとしている。オレンジのロープをまとい静かに人々の前に現われる。神聖なその姿は畏敬を感じさせる。人々の間を通り 祈りを受け手紙を受け取り 時には話しかけ ビブーティ(神聖灰)を空中から物質化して与える。その一挙手一投足に人々の目が注目する。マンデール(宮殿)にいる何千という人がサイババを見 彼の身前に礼拝する。物を物質化し病人を癒し世界のあちこちに現れるという真贋論争よりも 私はその教えに興味を持った。 人は何故生まれ生きるのだろう。悩み苦しみは何故存在し 平安というものはあるのだろうか。豊かさって何なんだろう。そんな内なる答えを出す旅でもあった。
昨年より暖かな感じがする。朝四時半に起きてアシュラムのプログラムに参加する。スワミ(尊神サイババ)に逢うことは 朝夕2回のダルシャン(神の姿を尊拝する)の時と バジャン(神への賛歌)にお逢いできる。運良く午後のダルシャンでは3列目になったので手紙を仁がお渡しすることができた。
というメッセージを添えて渡すことができる。ちなみに文面はシャロムの絵はがきに書いたものでした。ダルシャンのあと何度かシャロムに来てくれている母乳相談の奥村,佐野さんとお逢いする。昨年もお逢いしているのでアシュラムでは2度目になる。もう3年もインドに暮らしていることになるらしい。カンチンプラグ(マドラスから1時間)でアガスティアの葉を開けてもらった話を伺う。ズバリそのとうりで両親の名前もあたっていたとのこと。インドは不思議な世界である。夕方N4の庭でスタディがあり そのあとクリスマスソングの練習。同じ歌を世界各国のことばで歌うもので ギターを中心に各国の人達が集まり交流楽しい時間だった。聖歌隊も組織され連日クリスマスに向けて練習の歌声が聞こえます。
12月20日 小雨のちくもり 気温 27度 ブッタパルティーまでタクシーで3時間半1年半ぶりにサイババのアシュラムまでやってきました。昨年ジェットというドミトリーの建物が壊されていたけれど そこに新しい建物ができN6−11の部屋を利用することになりました。部屋はベット2つとテーブル 椅子 トイレとシャワーがあるだけのシンプルな作りですが新築で新しくて快適です。。1日100ルピー 350円程です。 アシュラムの部屋 受付と部屋の掃除を済ませアシュラムの外で買い物と食事。電気コンロと野菜を買っていよいよアシュラムの生活が始まります。 アシュラムの外の八百屋さん 野菜はどれも安くて新鮮です。アシュラムの外には土産物屋食べ物や等いろいろありますが スワミの教えではアシュラムの外に出て 欲望に振り回されることを禁じられていたので ほとんどはアシュラムの売店で済ませました。
朝7時に起きてすぐ近くの海岸まで散歩に出かけました。初めてのアラビア海です。朝早くからインド人たちが沢山海岸を散歩していました。 朝食を済ませてボンベイの飛行場にホテルのコーチバスで送ってもらいました。 10時40分発のブッタパルティ行きは結局遅れて4時30分に搭乗する事になりました。軽食 昼食のサービスがあり でたり入ったりでセキュリティは3回もする羽目になりました。昼食の時は満席だったけれどインド人の家族連れが席を空けてくれて 一緒に楽しい一時を過ごすことができました。仁は待ち時間に日本からもっていったけん玉を練習してだいぶ上手になリました。 飛行機は6時間遅れてバンガロールに到着。予定ではタクシーでブッタパルティまで行く予定でしたが今日はバンガロールに泊まる予定にする。バンガロールはインドの庭園都市と呼ばれマドラスと並び南インドの政治経済の中心都市で インドのシリコンバレーと呼ばれコンピューター産業も盛んだということです。空港のインフォメイションセンターで宿を紹介してもらい ハルシャホテルへ。ホテルはバスタブはないもののホットシャワーが出て 新しくてきれいでとても快適なホテルでした。1泊朝食税込みで1500ルピーくらい(5250円) 明日はいよいよプッタパルティ サイババの所です。 ハルシャホテル 朝食はウエスタンスタイルの卵 パン シリアル フルーツから南インド料理のイドリー ウッタパン マサラドーサまで食べ放題。久しぶりに味わう南インドの料理につい食べ過ぎてしまうのでした。
12月18日 晴れ 気温13度 14時30分の全日空で約9時間半 飛行機は全日空なのでスチュワデスは日本人 緊張感もなく国内を旅しているようでした。 関空にて 半分が日本人であとはインド人と西洋人 直行便なのでとても楽な旅でした。現地時間の夜9時にボンベイに到着。時差は3時間30分なので日本時間だと夜の0時30分です。ボンベイ空港はインドでは1番近代的な飛行場なのだそうです。建物に入ると消毒のクレゾールの匂いがしてインドに来たんだと実感しました。100ドルを換金して予約してあったホテルの車でホテルに着いたのが10時です。 ホテルサンドにて 日本から直接FAXで予約と迎えを頼んであったのでとてもスムーズにインドの第1夜を迎えることができました。何かあまりスムーズすぎてインドでないような錯覚に陥りました。ホテルはジェフビーチにあるホテルサンド 税込みで3720ルピー 1ルピーが3.5円なので13000円 三ツ星のホテルです。特にボンベイのホテルは高いようです。インドでは100ルピーくらいで泊まれるところがあるのでとても高いホテルなのです。
インドへの旅の始まりです。穂高 松本 名古屋 大阪 お祖母ちゃんの家にお世話になって関西国際空港から出発です。日本食ともしばらくお別れです。
12月16日 晴れ 気温 10度 カントリーイン舎爐夢(シャロム)ヒュッテの臼井健二です。
郵便局に言ったら年末ですごい混み方でした。1500通ほどの郵便物を出し終わって年末の仕事は一区切りです。外貨を交換に行ったら1ドル133円 数年前には100円を切っていたのだからかなりの違いです。海外旅行も毎年となると気負いもなく国内旅行の延長のような感じです。あとメールの伝言をいれれば一安心です。最後の挨拶のメールを送って17日穂高を出発です。
12月14日 晴れ 気温 9度 割引券の発送や年末の挨拶のはがき印刷で1日が済んでしまいました。ここ3〜4日事務的な仕事が多く少しウンザリです。午後には仁君とサッカーのまねごとで気分を発散。あともう少し頑張ろう。 12月13日 雪のち曇り 気温 8度 子供劇場のクリスマス会に参加しました。。サンタさん作りと松ぼっくりでクリスマスツリーのクラフト作りをしました。ペットボトルとあまり布を使っての人形は各自個性があって素敵な人形ができました。愛美とお母さんが風邪気味で仁とお父さんが参加しました。楽しい親子の1日でした。
年末の挨拶の文面です。 一度雪が降っただけで暖かな年末を迎えています。温暖化防止国際会議によればシンプルな暮らしが求められているようです。21世紀は本当に大事なものが見えてくる時代の様な気がします。自給自足をベースにエコロジーな循環のある暮らしを目指していこうと思っています。 今年も自給自足の農的田舎暮らしがすっかり充実しました。有り余る野菜に自然のありがたさに頭が下がった1年でした。水のセミナー アトピーの勉強会 カントリーウォーク 料理教室 ヨーガ 0リングテスト講習会等 また2度3度と沢山の方にもご利用いただき感謝しています。 臼井健二 48歳 少しパソコンともお友達になれました。ようやくホームページを開設できました。 朋子 32歳 アトピッ子の会の会長として頑張っています。アトピー相談受け付けます。 仁 6歳 小学校1年生です。毎日の宿題に悪戦苦闘しています。 愛美 2歳 すっかりおしめがとれました。最近自己主張が激しくなってきました。 12月18日より1月12日まで南インドまで出かけます。サイババに逢ってきます。インターネットにホームページが開設されましたアクセスしてみて下さい。あちゃらナビでシャロムまたは 安曇野を検索して下さい。 今年もあとわずかとなりました。良い年をお迎え下さい。 またお逢いできるのを楽しみにしています。12月12日 快晴 気温 10度 現代農業という雑誌を毎月購読しているがこれがすこぶる楽しいのです。実にユニークでもあります。内容は農業のことが主体に書かれているが全てに通じることが多く示唆に富んでいる内容です。百姓の世界でも工業化社会でも相通じることが多く21世紀の指針でもあります。特に小沢禎一郎氏の「生き生き村作り」は楽しくて痛快です。視点がとてもユニークであり近郊に住んでいると言うこともあり親しみが湧きます。1度是非あってお話を伺いたいものです。 12月11日 快晴 気温 10度 空が青く澄み渡り北アルプスの白い峰々が光り輝きそれは見事でした。午前中は暖かな1日でした。 北アルプス後立山連峰 夕方から写真の葉書の印刷をしました。仁君と愛美がお手伝い。なかなか調子よく進んでいたのですが愛美がマウスに触ったみたいで50部ほどが印刷ミス。途中で気がついて紙を貼って再度印刷。ああ大変! それでも印刷機が良くなったせいか ほかには印刷ミスもなく 半分の1000枚ほどが無事終了しました。また明日残りを印刷して発送すればゲスト分は終了です。あと自分の分を発送すれば年末の仕事は1段落です。インドに行かれそうです。ガンバラなくっちゃ。 12月10日 晴れのち曇り 気温 8度 車のタイヤもスタットレスに履き替えました。3台交換すると半日が過ぎてしまいます。午前中は暖かく作業しやすい1日でした。前から気になっていた温室の隙間に 板を打ち付けて保温を完璧にしたり 使わない水道の水抜きと 冬を迎える準備に大わらわな1日でした。 12月9日 曇り 気温 12度 ここ数日暖かな日が続きます。3日ほど前に野菜の収穫に畑に行ったら全てが凍り付きカチンカチン あきらめて暖かな日に収穫をと思っていたので午前中に今年最後の収穫をしました。キャベツ 小松菜 チンゲンサイ カブ 水菜 コンテナに3ケースほどありました。まだまだ食べれそうです。食品庫は越冬野菜でいっぱいです。ここ数日ホームページの手直しで時間を割きました。もうパソコンの前には当分座らないつもりでいたのですがやっぱりきになって少々手直しをしました。数日すると気になるところがでてくるものです。フォームのページを新しく入れたのですが 今日そのフォームからのメイルが来たので嬉しくなって長い返事を書いてしまいました。 「久しぶりにホームページ見ました。だいぶ変わりましたね。一段と見やすくなったと思います。そちらはだいぶ寒いのでしょうか。今京都では温暖化会議でいつも以上に外人さんが多く、街あげてのキャンペーンらしきものがされています。単なるお祭りでなくこれからも続けばいいのですが... 12月に入って雪が降りすっかり寒くなりました。今朝は厚い氷が張って真冬を思わせる寒さでした。とりわけ北アルプスが白く輝き空の青さとのコントラストが見事でした。
雪の常念岳 今年の営業は11月末までで冬季休業に入りました。今年も沢山の方にご利用いただき感謝しています。あと残務整理と冬に向けての準備をと思っています。しばらくのんびりしようかと思います。今年の冬も南インドに家族で出かける予定です。12月18日にインドのボンベイに向かい バンガロール、ブッタパルティ、ゴア、ボンベイ 1月12日に日本に帰る予定です。仁君が学校なのであまり長期にはでられなくなりました。インドで少しシンプルな暮らしをしてこようかと思っています。南インドはちょうど初夏の頃の気候ですので海でも泳げます。ゴアあたりのリゾートで一週間 まあなんて贅沢! でも物価は日本の20分の1 2000円もあれば贅沢ができます。サイババのアシュラムでは一人200円もあれば暮らせます。のんびりと心の旅をして来るつもりです。お土産は旅の話です。乞うご期待!
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