梅雨が明けないまに夏になってしまいました。
夕方毎日夕立があって典型的な夏です。
1998年8月31日晴れ 22度 雨後曇り
全国的に大雨ですが皆さんの所はいかがでしょうか。安曇野は雨が続いていますが被害が出るほどではありません。乗鞍岳線が雨のために1時不通になっている程度です。雨のために観光客も少なく静かな安曇野です。
メールより
取り敢えず、子供たちのプラスチック製のおもちゃの片づけをすることと、今後、子 供たちに与えるおもちゃをゆっくりと考えてみようと思っています。外地(中国)での生活で 、物質的な貧しさを感じていた(正直、日本の物質的豊かさを羨ましく思ったりもし ましたが・・・)のですが、日本に帰って来て1年、ようやく物質的豊かさにうんざりし始めた今日この頃です。一歩ずつ、自分たちの生活づくりをしていこうと思い始めました。こんなことを思えるってことは、1年経ってやっと日本の慌ただしい生活 に少し慣れてきたのかも知れません。
長井記
物が豊かにあるのが 本当の豊かさではないような気がします。最近シュタイナーの勉強会をしていますが感心させられることが多いです。おもちゃも自然素材の物を少しだけ与えるのがいいと思います。大人もそうですが欲望には切りがありません。子供にとってはプラスチックの電池で動くおもちゃが興味をそそります。でも興味は一時です。欲望を満足させてあげるだけが大人の役目ではないような気がします。
シュタイナーに出逢って
シュタイナー勉強会が始まって学ぶところが沢山ありました。おもちゃについても納得できる考えでした。プラスチックのおもちゃや 電池で走るミニカー、リカちゃん人形がなくなり、手作りの人形や木ぎれで作った積み木などが新しく加わりました。もちろん量はぐっと減り片づけも楽になりました。木のおもちゃなら見える所に置いてあっても心が和みます。色の氾らんもありません。いろんな形の木ぎれは、滑り台になったり、すぐに子供が遊んでくれたので親の方が驚いています。本で見て作ったルドルフ人形もおんぶしたり、カゴに寝かせたりで親も見ていて楽しいのです。また作る時間も楽しくお金もかからないのはなによりです。
1998年8月30日晴れ 22度 雨後曇り
地震が収まったと思ったら台風の影響でずっと雨の日が続きます。雨に始まって雨に終わった夏でした。安曇野では そばの白い花が咲き始めました。秋大根の芽も出て一雨ごとに秋の気配です。赤トンボが急に増えました。虫の声も秋を感じさせます。気温は25度前後 もうすっかり秋です。
宗岡家は今日はバーナーワークに挑戦 マドラーとペンダントを作ってきました。 こんばんは。先日は大変お世話になりました。
本当にすてきな時間を感謝いたしております。
多くの人との出会いもありました。
遅くまで語り合えることができましたし、今までテレビとかとともに
過ごしていた時間を有意義なものにもできました。
これもオーナーを始め、スタッフの皆様のもてなしのおかげだと思います。
帰りにも家族とこの旅行を振り返っていたんですが「また来たい」と
特に「舎爐夢」に連泊が良いとのことです。
そして帰りに神戸(長男のところ)で泊まって今日帰ってきました。
今までこちらの友達にお土産を配って回ってまして今頃です。
「舎爐夢」の写真とその料理などなど話をしてきました。(自慢話のようです。)
「行きたいな!」と言いますね。
私どもも是非、再び行きたいと思っています。
9月1日から4日までの夏休み、ゆっくりされてまたいつものように
頑張ってください。お身体、ご自愛ください。
それでは「再見」です。
森岡 康司
1998年8月29日晴れ 22度 雨 3回目の黒川さん、2回目の五十川さんファミリー、何十回となく来られている宗岡ファミリー 知人の紹介の山田さんパーティー NHK今日の料理の本を見ての伊藤さん 何度目かの方が多く宿冥利に尽きます。1998年8月28日晴れ 26度 雨 何度かメールを戴いた森岡さんが徳島から来られました。お土産にサツマイモとスダチを戴きました。何度かメールを戴いているので以前からの知り合いようです。食器拭きもお手伝いいただきました。 田村さんはもう20回ほどの利用になります。学生時代 結婚前 結婚後 子供が産まれてからと毎年ご利用いただいています。麻酔科の医師でもあります。来月に二人目が生まれる予定です。今度は4人でお越し下さい。
1998年8月26日晴れ 27度
いつもカントリー便りありがとうございます。いつもカントリーメール嬉しく拝読しております。有り難うございます。
読む度に、もう一度いきたいなと思うのです。私がヒュッテさんにお世話になったのはいまから10年以上前です。友人と2人で大阪から清里のKEEP協会の職員として山梨にやってきました。そして八ヶ岳の大自然に魅せられたのです。
私達がお世話になったのは、清里が静かになった秋でした。美しく静かなあずみの・・・懐かしく思い出されます。あれから多くの人たちと出会い、当時20才だった私達は多くの影響を受け、都会で生活するよりもっと多くの事を学べたように思うのです。当時は意識していなかった環境保全や自然との共生等、まさに今問題になっている環境教育に当時から取り組んでいた人たちの事を今更ながら、すごいなと思うのです。あれから、もっと多くの物をみたいと大阪に帰り旅行会社に勤め、添乗員として世界を旅行しましたが、本当に何かを見てきたのかなと自問自答する今日この頃です。時間を作ってまた訪れたいと思います。あのとき一緒だった友人も、また最初にヒュッテさんを勧めてくれた友人とも、今でも良いおつき合いが続いています。人との出会いは不思議です。何かに導かれる様な気もします。
初秋のあずみの・・・10年の月日の間に起こった様々な事がこうしてまた、シャロムヒュッテさんと私をインターネットを通して結びつけてくれたのだと思うのです。
大津 めぐみ
1998年8月25日晴れ 26度
大島順子
BLUE HEAVEN GEST HOUSE
Gaurighat,Lake Side
Pokara,Nepal
tel:001-977-61-25943
Never End Peace And Love NEPAL
Junko Oshima
1998年8月23日晴れ 26度
今日は特に2度目以上の方が多い1日でした。内藤さん家族は15年前にご利用いただいたそうです。1年生と保育園だった子が今は20才です。昔の記念写真を見て懐かしんでいました。大西さん家族はお子さんが一人増えてお祖母ちゃんも含めて4人できていただきました。今回は4泊 メールでご予約戴きました。連泊の瀬戸さんは4回目 8ヶ月のお嬢さんを連れて、加藤さんも連泊 昨年に引き続き3回目です。家族連れは全員が2度目以上の方でした。本当に有り難いことです。 メールより 臼井朋子さんの「インド子連れ日記 その5」で、低開発国のゴミとリサイクルについての所感を拝見しました。私が行った8年前のネパールでも同様に感じたものですから、それについて雑談っぽく書いてみます。ただ、全般的な状況としては、「循環は何とか為されているがそろそろ限界に近いな」といった印象もつよかったのです。都市部の裏通りでは随所にゴミの山を見ました。もう活用しようもない程度の雑ゴミが、有機物も樹脂、金属も区別されずに放置され、その周囲を犬がうろつき、異臭を放っていました。トレッキングコースの田舎に入るとさすがにそんなものはありません。地元の人はあらゆる物を徹底的に使いますよね。コーラの瓶、カンズメの缶、梱包用のPPバンドの切れ端、ポリパックの袋、何でも集めて何かかにかに使っていました。でもそれはそれらが「使えるもの」であったからで、「使えない」破れた菓子の袋とか裂けたペットボトルとかの残骸が路と田の間に所在なげに転がっていたりします。しかもその多くがmade in japanだったりして、とても気恥ずかしくなり、最初は拾ってみたりもしましたが直ぐに慣れっこになり、荷物は増えなかったのです。
こういった田舎では、ゴミはツーリストとお金と一緒にやってきます。もともと百人しか暮らせない程度の生産力の地域に、何十人ものツーリストがやってきてはお金で食料を現地調達します。かれら地元民はそのお金を持って町へ行き、不足する食料を購入することも出来るのですが、それよりは地元での生産量を増やそうとします。立ち木や林が消え、山は保水力を失って、毎年のように洪水、道路の流失が起こります。
食料調達の問題はさしあたりそんなもんですが、ツーリストが増えると糞尿も増えます。よしんば私たちツーリストが臼井朋子さんの記したように現地のシステムで処理したとしても、その土地の土壌と水系の浄化力がそれをこなし切れないといった事態も多分にありえそうです。
アンナプルナ内院手前、チョムロン付近の集落は、高所と低所(川ぞい近く)の二段構造になっている部分があります。低所では、飲用に使える流水は厳しく制限されていました。生活の知恵とも言えますが、本来一段の集落だったのが、畑地の拡大やより有利な通路の開設で複雑化し、上下の構造をもつに至ったようにも見えます。(ネパールもお定まりの人口爆発を経過しつつあるので、ツーリストだけの責任では無いでしょうが)。
そのほうが管理・支配に都合が良いからと、支配層とそれを支える職人・商人等を一個所に集めて都市とし、直接には生産しないそれらの住民のために周辺の生産地から多くの生産物を集荷する。生産地と消費地との不均衡が(距離的にも量的にも)拡大するほどに、生産物への加工の要求は高まり、輸送にも大規模な消費を伴う。現在の大量生産=大量消費は、結局、物質の多様な循環過程を断ち切り、物質の移動の一方的な流れを形作ることと同義です。もちろん永久にこんなことが続けられることは不可能なのですが。
どうせ雑談なので一気に結論づけてしまいますが、私たちもベースキャンプを撤収するときに多くの廃資材(プラパール、ブールーシート、ポリフィルム等々)を地元のポーターにあげてきました。彼らはそれを実に上手く使って物置を作ったり、屋根を補修したりするのです。しかし私たちの地元の物質循環を自然が許す範囲のものとして是正したいならば、低開発国の人たちのいる場所での循環を乱す行為は避けるべきだったと思います。そしてもちろん、海外のツーリスト等が特定の地域に過剰に立ち入ることも、昔のように大目に見ることは出来ない段階に入っているようにも思います。
生産地から他の地方、国に移出する生産物の量を数%以下、と定め、人間の移動も限定する中世的な暮らしかたが見えてきます。違うのは、それら生産地、消費地は偶然のように孤立しているのでは無く、グローバルなネットワークとルールの下に相互の管理と扶助を行うかも知れない、といったところでしょうか。 それともさらに、上のようなネットワークを基本構造としながら、それに支えられ、制御される大量生産大量輸送システムの構築がなされるのでしょうか。F.エンゲルスなどはこういった未来社会のありように対する想像を、厳しく戒め、それが必要になった時期の人々が自らの必要と英知によって決定すべきだ、としていました。今は既にその「時期」なのでしょうか。クリントン大統領が犯した大愚行が、統合された努力が必要なときに世界を再び宗教や民族の名による分裂へと導く、口火となるかも知れません。そんな時に、こんな「のんきな」話にうつつを抜かしていて良いのでしょうか。それとも、この時点だからこそ、こういった考えを深め、できる一歩から行動していくべき・・・。長くなってしまいました。また触発力の有るメッセージを送ってください。 足立
インド子連れ旅日記 その5 臼井朋子 今回はインドのゴミについてです。 インド=汚いと思うのは、インド人はあちこちに使い終わったものを捨てるからです。でも9年前、始めてネパール、インドを旅した時、私はむしろ循環のあるきれいな国だと思いました。野菜くず、食べ残しは、道に捨てると、牛や豚、ニワトリがやってきて食べ 、牛糞は、人が拾って乾かして燃料にします。食料は全て量り売りで、新聞や子供のテスト用紙にくるんでくれます。電車で、チャイを頼むと、素焼きのカップに入ってきます。使い終われば、それは窓から捨てられ土に帰ります。あまりに素敵な素焼きのカップだったのでとっておこうとじっと手に持っていると、隣のインド人が、私の手から取って(親切に?)投げ捨ててくれました。露店で売っているスナックなどは、葉っぱを小枝で止めて作ったお皿に入ってきます。パーティの時にもこの葉っぱのお皿を使うそうです。トイレは紙を使わず、水で洗い流します。全てが、自然にもどる物であり、自然に帰らない物は使われていないように思いました。いきいきとしたこの循環。まさしくエコロジーな生活が、ごくあたりまえに営まれています。 ところが、今回インドをまわってみて、少し事情が違っていました。買い物をすると、なんでも赤や青のカラフルなビニール袋に入ってくるようになり、昔は、チャイ、絞りたてのフレッシュジュース、ビンに入ったソフトドリンクしかなかったと思ったのに、ペットボトルの水、パックのジュースなどが売られるようになっていたのです。そしてそれらは土に帰らず、むなしく道に散乱しているのでした。もちろん田舎に行けば、いまだに、初めてネパールで感じたようなゴミのない暮らしが続けられていると思います。でも、観光地、都会では、新しく増えた石油製品のゴミも、今までと同じように扱われ、自然に帰らないが故、残されていくのです。そのビニール袋を拾って洗いリサイクル業者に持っていく貧しい子供達の姿も見ましたが、増えていくゴミには勝てそうもないようでした。そしてそのゴミのほとんどが自給自足の循環のある暮らしをしている地に観光客である外人がお金と共に残していった物なのです。そしてそのお金で人口爆発が生まれその土地の許容量を超えることにより自然破壊が生まれます。日本は一見きれいです。ゴミは集めて焼却場に行き、埋め立てられます。しかしそれは自然に帰らない物質であり 自分たちの目に見えないところにゴミの山を作っていき 豊かな自然を壊していく行為です。生ゴミなどを消却するのも自然循環をたち切っています。
1998年8月23日晴れ 26度
今日も2度目以上の人の多い1日でした。瀬戸さんは4回目 8ヶ月のお嬢さんを連れて、加藤さんは昨年に引き続き3回目です。岡田さんも3回目 有り難いことです。小布施さんはシンラを見てホームページで確かめてきていただきました。田中さん小林さんは青春18切符で倉敷から 太田さんは安曇野YHに泊まって朝早くからシャロムのマウンテンバイクで安曇野を駆けめぐりました。キャンセルで空く以外は8月末まで満室です。
1998年8月22日晴れ 26度
古山さんは5月に続き今年2度目です。今回はご主人と来ていただきました。貫井さんは6月に次いで来ていただきました。2度目の方が多く有り難いことです。
1998年8月21日晴れ 26度
連泊の前田、小沢さんパーティーはすっかり仲良くなりました。宿泊者同士で和気藹々となるのは楽しいものです。
久しぶりの快晴です。セサミの撮影が行われています。秋物の撮影です。
1998年8月20日 曇り 26度
NHK今日の料理を見て予約の方がいました。さっそく本屋さんで買ってきました。
味どころ 旅ごころ 安曇野
光と風が大気を織りなす、その名の響きも優しい地で、野菜のおいしさと自然の美しさにいやされる。
豊かな自然、美しい風景を誇る場所は全国にたくさんあるが、安曇野ほど多くの要素を持っているところはちょっとないだろう。凛々(りり)しくそびえ立つ北アルプスを背景に静かな落葉松林があり、その裾にはのどかな田園風景と清例な湧き水によって育まれるわさび田が広がる。そして、無数の美術館と畦道にたたずむ道祖神ーヨーロッパのロマンティシズムと日本の郷愁をないまぜにしながら、なんの違和感も感じさせない風景。ドレスも着物もTシャツもモンペも抱き込んで、人間もまたその風景の中に溶け込んでいる。
舎爐夢(シャロム)ヒュッテ
朝食は自然に包まれた緑のテラスで。この曰も早朝の畑仕事で収穫された野菜がバラエティー豊かな料理となり、天然酵母の力ンパニュや、キャベツの芯などの野菜くずを利用した玄米おかゆパンが並んだ。玄米に代表される自然食に拒否反応を示す人にも好評なのは、「美しく、おいしい」から。
自ら家を建て、畑を耕し、科理をつくる。シンプルな生活と静かな情熱が息づく自然食でもてなす小さなホテル
臼井健二・朋子さんご一家と、2人のアルバイトのお嬢さんが迎えてくれる手づくりの宿。燻製がつくれる暖炉からテーブル、照明器具、ベッドまで、すべてがハンドメイドだ。
1998年8月19日 曇り後晴れ 26度
アトピー除去食について質問した岐阜の石原です。
回答をありがとうございました。
安心して息子を連れて舎爐夢さんに行けそうです。
10月にそちらに行きたいと思います。
後日、予約をしたいと思っています。まだ、予約もしていないのに舎爐夢さんに行ける日がとても楽しみです。想像しただけで
ワクワクドキドキ、幸せな気分になれます。
臼井様
昨日の夕方、アメリカから帰ってきました。
私の行く所はみんな田舎なので自然がとても美しくて、なにより涼しかったです。子供たちは、毎晩友だちの子供たちと蛍をとって遊びました。ほたるを瓶につめてベッドのそばにおいて寝ると一晩中きれいです。そんなのんびりとした生活を1カ月もしてきたので、今ぼーとしながら、メイルをチェックしたら、なんと128通もきていました。そのなかに、シャロムのお便りも入っていました。よんでいたら、秋におじゃましたくなりました。9月か10月であいている土曜日がありましたら教えてください。
三鷹市 吉田知雅子
1998年8月18日 曇り後晴れ 25度
久しぶりに北アルプスの峰々が顔を出しました。ここしばらく梅雨のような天気と地
震で揺れ動いていましたがようやく治まったようです。風が吹いて秋を思わせる感じ
です。稲も穂をつけ始めてきました。
もうすぐ秋です。気温は26度前後 夏も終わりです。
1998年8月17日 曇り後小雨 23度
数日雨が続きます。梅雨のような気候です。気温も低くお米の収穫に影響がないといいのですが。地震と共に心配です。
とても楽しい小貴さんパーティー 食器拭きのお手伝い有り難うございました。
初めて訪れましたが、予想していた以上にすてきな宿で、感激しました。
もう20年近く、こうやってこつこつとすばらしい暮らしを提案しつつ、いろいろな人たちと喜びを分かち合うという活動を続けていらっしゃる臼井さんに、頭が下がります。
私も、これからやっていこうとすることの励みになりました。
本当にありがとうございました。
このところの群発地震で「安曇野」の名がニュースによく登場します。シャーロームなら建物は絶対大丈夫とは思いますが、地面がぐらぐらするのは、何といっても気持ちが悪いもの。皆さん、お元気でいらっしゃいますか?
畑の野菜たちに何らかの影響はあるものなのでしょうか。
「自由空間」という「くらしの道具と喫茶の店」をやっています。
わが「自由空間」でも、10月から週末だけですが、穀物菜食のランチを始めることになりました。そこで、9月中に、シェフと名古屋の自然食仲間といっしょに、シャロームに研修旅行へ行こうという運びとなりました。 自由空間
はるみ
また9月にお逢いできるのを楽しみにしています。健二拝
1998年8月17日 小雨後曇り 26度
群発地震が続く北ア ・上高地で17日午前10 時15分ころ、震度3の 地震があった。震源は 穂高連峰の岐阜県側で、 マグニチュードは4・ 6、震源の深さは約10 `と推定。 気象庁は同日、群発 地震について「今後も 活発な時期とやや穏や かな時期を繰り返す見 通しで、震源は上高地 から岐阜県側にかけて の範囲に分布している」 と発表。 信濃毎日新聞
1998年8月16日 小雨後曇り 26度
武田さんは昨年に引き続き今年も2泊です。昨年はジャガイモ掘り 今年はインゲンを採っていただきました。土田さんも昨年にひき続き2泊です。何度もご利用いただいております。15日には震度3の地震を体験していただきました。山崎さんはホームページを見てきていただきました。コーヒーのローストの仕事をされています。ペアーでTシャツを購入いただきました。
夏山最盛期の北アルプス南部の山小屋が、雨続きの天候と上高地の群発地震の影響というダブルパンチに泣かされている。「登山者にとって雨や地震の影響は大きい」。常念小屋経営者で、北ア山小屋友交会の山田恒男会長はこう話す。常念小屋では「盆期間中の登山客は予想した半分ほど」という。 信濃毎日新聞
1998年8月15日 小雨後曇り 24度
夜に地震が3度ほどあり不安な1日でした。震度3ですが寝ていると強く感じるものです。なにも被害はありませんが気持ちのよいものではありません。スタッフのみっちゃんや理恵ちゃんは荷物をまとめて有事に備えています。そんな気持ちも分かります。翌日の会話は地震のことで持ちきりでした。早く治まってくれるといいのですが。キャンセルも2〜3出ています。キャンセルする方の気持ちも分かります。
群発地震が続いている北アルプス・上高地で、16日午前3時31分ごろ震度4の地震があった。震源地は岐阜県飛騨地方で、地震の規模はこれまでで最大のマグニチュード5・2と推定される。 上高地では午前2時29分、3時28分、3時29分ごろにも計3回の震度3を観測した。 信濃毎日新聞
北アルプス・上高地の群発地震は、15日午前零時―正午の有感、無感を合わせた地震回数が548回に達した。このうち有感地震は22回(震度2が4回、同1が18回)。既に14日の地震回数を超え、引き続き活発な活動をみせている。 気象庁によると、14日深夜から15日未明にかけての有感地震の震源は穂高連峰の岐阜県側に集中。 信濃毎日新聞
1998年8月14日 曇り 25度
Information 信州安曇野 2019/12/08 日曜日森さんは昨年に続いて今年もご利用いただきました。神谷さんは自然循環の大切さとシャロムのトイレ循環システムを評価していただきました。冨谷さんパーティーはホームページを見て来ていただきました。和気藹々とした楽しい1日でした。
1998年8月12日 雨 21度
朝から雨が降り出し1日降りました。畑のレタスを植え替えました。畑にとっては恵みの雨です。3時頃安曇村で震度5の地震 穂高でも震度2が記録されました。気温も低く肌寒い感じの1日でした。
こんにちは。
徳島の森岡です。
先ほど「上高地方面で地震」とのニュースが流れていました。
安曇村で震度4以上だったように思いますが?
なんともなければと思いつつお便りしています。
阪神大震災の際、当地でも震度5程度の揺れがありました。
立っていられないくらいの生まれて初めての経験でした。
それ以来、少しの揺れでも”ドキッ”とします。
充分にお気をつけ頂きますようお願い申しあげます。
お目にかかれる日を楽しみにいたしております。
1998年8月11日 曇り 26度
土田さんは3泊 中島さんはご家族で2泊お泊まりいただきました。畑仕事にも参加。宿泊畑仕事ヨーガ付き宿泊フルコース ご苦労様でした。
シャロムでは毎週シュタイナーの勉強会をしています。会報に載せる記事が集まりだしたのでここで紹介します。
シュタイナーが感じたのはどんな世界だったのでしょうか
1998.08.10.
深澤 清泰
教育とか、思想とか、形の無いものは創始者が亡くなった時から次第に衰えていくのが普通です。それは個人に由来するものはその人の死と共に力を失っていくからです。しかしシュタイナーの死後70年近くがたちましたが、その思想と教育はますます世界に広がり浸透しています。1919年にドイツから始まったシュタイナー学校は全世界650校以上に拡がっています。日本でもシュタイナー学校を作ろうという動きが全国でも急速に起こっています。それはこの思想や教育がシュタイナー個人に由来するものではなく、真理である事の何よりの証明です。
霊的な力を生まれながらに持っていたシュタイナーは普通の人には見えないものが見え、聴こえないものが聴こえました。シュタイナーの目を通して見、耳を通して聴こえた世界は独特の世界です。シュタイナーの講演を速記した本が300冊以上ありますが、宇宙の始まりから、鉱物、植物、動物、人間、教育、芸術、栄養、病気、農業、カルマ、天使、霊界、哲学、宗教‥‥と、多岐に渡る分野を、詳細に語っており、普通の人の能力では考えられないことです。
シュタイナーの眼や耳を通して見て聴いた世界。そこからシュタイナーは何を感じ取ったのでしょう。
人は精神的にも肉体的にも7年ごとに大きな区切りがあります。肉体(物質)は7年ごとに全く新しく生まれ変わっています。全身の細胞が7年ごとに新しい細胞になります。その新しい細胞を創る物質を人は周囲の環境世界から取り入れています。私達は人として世界から切り離されておらず、周囲の世界と固く結ばれており、環境に属しています。自分の指が自分のものであるのと同じように、環境世界にあるものは人間全体に属しています。また同時に人間は環境世界に属しています。人間と環境世界との間には絶え間のない物質の交流があります。その交流は今までに人が理解せず、見落としていた所にも存在します。
例えば人間は常に呼吸しています。酸素を吸って、炭酸ガスを吐いています。空気の約2割は酸素です。空気の残りの8割は殆ど窒素です。酸素は人間が呼吸するために必要だというのが誰でも知っているでしょう。しかし酸素の4倍もの窒素が空気中にある理由を考える人は少ないのではないでしょうか。
人間をある密封容器の中に入れて、容器の中から窒素をいくらか抜き取り、まわりの空気が通常時の空気よりも窒素量が低い状態にしてみます。すると容器中の窒素は外側から補われることがないにもかかわらず、容器中の窒素量の割合は通常と同じく元通りになるのです。ということは人間の内部から窒素が補充されたということになります。人はこれまで慣れ親しんできた通りの量の窒素がまわりにできるように、自分の持っていた窒素を空気中に放出するのです。「人は身体の内部と、人を取り囲む窒素との間に正しい平衡関係を作り出さなければならない」とシュタイナーは言っています。外部の窒素量が不均衡に少ないことは人にとって許されないことなのです。窒素を呼吸するという必要は無いのかも知れませんが、窒素は人にとって大切なもので、空気中に存在するだけの量の窒素がどうしても必要なのです。
呼吸によって酸素が炭素をとらえて炭酸ガスとして体の外に出ています。「酸素を炭素に導く仲介の役割を窒素が果たしている」とシュタイナーは言っています。炭素によって形を与えられた身体に、生命的である酸素を導いていくのが窒素です。窒素が酸素を身体の部分に引っ張っていき、酸素が炭素をとらえて外に運ぶ手助けをします。すなわち酸素が炭酸ガスとなって炭素を排出しています。この働きを仲介するのが窒素です。
酸素と炭素の間の橋渡しが、動物界や植物界や至る所で窒素を通してなされています。「窒素は生命を霊性へと導いていく導き手である」と霊的な見地からシュタイナーはとらえています。
このようなとらえ方を窒素に限らずに、森羅万象全てにシュタイナーはしています。このような見方を全てのものに対してするということは、全てのものは偶然にあるのではなく、理由があって存在するのだという考え方です。普通の人が今まで考えようともしなかった事、考えても分からなかった事が、シュタイナーには必然の事でした。その背後には、この世界全てがある大きな計画のもとに創られたのだという確信があったのです。窒素も酸素も炭素も、土も植物も動物も、地球も宇宙も、そして人間も偶然ではなく必然で存在するのです。
シュタイナーが見た世界が全てであると盲目的に信じ込むことはやめた方が良いでしょう。シュタイナー自身が語った世界でも、まだ語り尽くせないものがあったでしょうし、シュタイナーが見えた聴こえた世界ですから、見えなかった部分もあるかもしれません。また見る角度によっては同じものも全く違うように見えるのは私達もよく経験することですので、シュタイナーの見方が誤っているように見える事もあるかもしれません。例えばサイババはサイババの視点からの世界やサイババがとらえる事のできる大きな意図を語っているのではないでしょうか。
真実は時を経るに従って次第に明らかになってきます。真理でないものは時がたつにつれて色あせ、衰退していきます。シュタイナーが残したものは私達にとって素晴らしい贈り物です。今までとは全く違った観点でものを、そして自分をとらえる事ができるようになり、その思想は今でも新鮮です。
それではシュタイナーは人は何故、存在すると考えたのでしょう。子ども達の顔を見ていると、この子達がどんな人間に成長して、何をやるのか、とても楽しみです。しかし同じように自分を見てみると、自分は何を一体やりたいのかが本当の意味で分かっているのか疑問に思うことがあります。シュタイナーの考え方からすると、自分自身が存在するのも理由がある訳です。私達は毎日様々な出来事に会っていますが、偶然が全くない、すなわち全てが必然だと考えるのです。起こる様々なことが自分自身に何を問いかけ、気がつかせようとしているのかを考えていくのです。シュタイナーは「人間は一人一人その人の使命を持って生まれてきている」と言っています。自分自身の使命は何なのでしょうか。それを見つけることが人が生きる上での最初の大きな仕事です。自分の運命について学んでいくことが大切です。しかし頭で理解するのではなくフィーリングが大事で、河の流れの中を様々な大きさの波に揺られて漂っている舟のように人生を感じることです。
また自分の運命が見えてくると、他人の運命も見えてきて、人を深く知ることができるようになります。人は様々な謎を持つ存在ですが、その謎の答えは必ず人の中にあるのです。天職という言葉がありますが、自分の天職に就いている人は、他人から見るとキツくて耐えられないような仕事でも本人は楽しいのです。その仕事をしていると喜びが湧いてくるのです。そのような天職を見つけられない人は今の仕事が自分に向いてないことは分かるので仕事に対する意欲が途切れがちになり、他の仕事に変わりたい欲求が出てきます。天職を見つけることができた人は、一つの自分の使命を見つけたことになります。自分が何をするために生まれてきたのかを知るためには、自分が今まで生きてきた、経験してきたことの中にそれを見つけるヒントが必ずあります。そのヒントを見逃さないように自分のアンテナを高くして見つけていくことです。偶然のように見えたことも、その中に大切なヒントがあるのかもしれません。
『この世に偶然はない』と思ってみて下さい。シュタイナーの世界を自分で感じるためにもそれが大切です。両親から生まれたことも、兄弟がいることも、結婚したことも、子どもが生まれたことも、日本で暮らしていることも、古い友人から久々に便りがあったときも、大声で笑いすぎてあごが外れたときも、階段の昇り降りがきつくなってついにこけてしまったときも、家に鼠が出たときも、今この会報を読んでいるときも、全て偶然ではなく、必然であったと。そうすると自分の生きる目的を見つけることができ、今までの固定された概念から飛び出してシュタイナーの感じた世界に近づくことができます。
1998年8月10日晴れ 26度
久しぶりに北アルプスの山々が見渡せました。本当に久しぶりです。日陰にはいるととても涼しい1日でした。朝の気温は17度 秋を思わせる様でした。今年の夏は特に蒸し暑いという日もなく過ごしやすい夏でした。春にとれる葉物野菜が夏でも元気です。レタスなんかも良くできて いまでも充分食べれます。そろそろ秋野菜の種まきの時期です。そばの芽も出て 9月には白いそば畑が出現します。秋はもうすぐかもしれません。気温は27度前後過ごしやすい夏です。
1998年8月9日晴れ 27度
松永さんはお友達を誘ってきて下さいました。松永さんはいつも家族で来ていましたがお子さんが大きくなって子離れの時期かもしれません。シャロムオープンの頃からのお付き合いです。ちっちゃかったお子さんももうそんな時期なのかと感慨無量です。浅川さんは天然酵母のパン屋さん ノヴァでパンを焼いています。職場の友人めぐみさんの紹介です。土田さんは今日から3泊 ホームページを見て来て下さりました。伊藤さんは菜食メニューということで2泊御利用いただきました。大崎さんは常滑のアトピーの山田医院に張ってあったパンフレットを見てお越し戴きました。今日も和気藹々とした楽しい1日でした。
松永さん 浅川さん 伊藤さん朝の畑仕事ご苦労様でした。
1998年8月8日晴れ 26度
恒次さんは 燕 大天井岳 常念岳を縦走してシャロム泊 ニュージーランドで会った大出君に紹介されての宿泊です。どこで繋がっているかわかりません。予約はメールで戴きました。食器拭きのお手伝い有り難うございました。
近藤さんパーティーは昨年に引き続き泊まっていただきました。今回は全員結婚しての宿泊です。明日はキャンプです。
穂高駅から歩いてきた河橋さん荷物も少なくザックで旅慣れた感じです。両手が空き荷物が少ないのは旅でなによりです。
毎日仁君はベッドメイキングのお手伝いです。もう1人前の仕事をします。アルバイト料は1ベット100円 今日のアルバイト料は1100円です。夏休みの間 けっこう働けます。
1998年8月7日曇り 26度
今日は雑誌の撮影がありました。秋用の撮影で 昨日今日と2日続けてです。年間20社ほどの撮影依頼があります。時々スタジオと間違えて電話依頼があったりします。カメラマンもスタイリストもロケバスの運転手も 顔見知りの方が多くなりました。モデルで来られた方で現在はTVやドラマで活躍されている方もいます。掲載誌のファイルも何冊にもなりました。
1998年8月6日曇り 26度
8月6日宿泊の皆さん 6年ぶりの若狭さんは家族で今日から2泊です。
臼井 健二様
いつも心温まるメールありがとうございます。
今年も例年通り、小生が予定していた夏休みはキャンセルとなり、日々悶々としなが
、オフィスにて、パソコンと書類に目を通しております。今年こそ、夏休みの間に
シャロムへと思ったのですが、休めそうだなあと思った頃には、すでに予約で一杯で
した。今年も残念。でも結局予定していた休みはパーになったので、同じことですが
・・・。また、9月か10月頃時間が取れたらお邪魔したいと思っております。
先日、周囲の人がシャロムを噂しているのに出会いました。素敵なペンションなんだってと。知ってます?よく安曇野の辺りをほっつき歩いているみたいだからと聞かれ
、少しだけ説明してあげました。後は、行ってみて直に自分でシャロムに触れてみてくださと・・・。
ずっと、臼井さん流の歩き方をされてきて、周りが、社会が、今の人の心が、ようやく臼井さんの考え方(ライフスタイル)に近づいたのかも知れませんね。時代が臼井さんに追いついたと言うべきでしょうか。ふと、そんな風に想いました。
当たり前のことだけど、自分で歩くということは、大切なことですね。
確か、1985年に初めてシャロムにお世話になってから、結婚して、子供もできても、お世話になっている。そして、今でも行きたいと思える素敵な宿とめぐり会えたことをありがたく思っております。昔は、週末の休みの日の朝に思い立ち、シャロム
へ電話をして、すぐに旅立ったことが多かったですが、あの頃が少し懐かしいです。
そんな話をしたら、計画性がまったく無いだの、今はすごく混んでいるんですよって
噂の主たちに笑われてしまいました。
毎日忙しい日々が続いているようですが、頑張ってください。
小生も明日から強引に夏休みにしたいと思っております。(今日の昼休みの時点は
・・・)
長井 幹治 (Mikiharu NAGAI)
長井さん いつも心暖まるメールを有り難うございます。メールはその人の心の中が見えて楽しいです。宿泊の折りには何となく心の中まで話ができませんが
メールはそれを可能にします。とてもいいメディアです。長井さんの優しさにふれる感じです。
また逢えるのを楽しみにしています。 健二拝
もう10年来ご利用いただいている岡本ファミリー 今日は仁も一緒に白馬に遊びに出かけました。
高岡さんファミリー お父さんが急に仕事が入ってしまい子供達とお母さんで出かけてきました。八ヶ岳でお父さんと会えるといいですね
井上さんファミリーは2泊していただきました。朝の畑仕事のお手伝いご苦労様でした。
1998年8月5日曇り 26度
じゅう?年前コスモスに囲まれたシャロムの写真を雑誌で見て、ビビビィッときて以来の安曇野通いです。
自然(景色、木々や花、水、心 etc.)に興味があります。
シャロムもいろいろと変遷があったと思いますが、今は肩の力がぬけたのか、やわらかな雰囲気が心地良いです。
昔は体力的なバイタリティーを感じましたが、今は思慮的なバイタリティーを感じます。
これから益々た・の・し・み!!。てもあまり有名にならないで欲しい気持ちもあります。
1年先まで満員状態・・・なんて悲しいから。
いつまでも私たち小市民の味方であることを願っています。 南子
連日2度目以上の方達で賑わっています。子供達が総勢12名 シャロム林間学校の様な感じです。みんなで集まって盛大に花火大会をしました。夏休みの間はこんな日が続きます。家族そろっての平和な一時です。
1998年8月4日曇り 26度
朝の農作業に何人かが参加されました。今日はジャガイモ掘りでコンテナに2箱収穫しました。泥まみれご苦労様でした。
朝のジャガイモ掘りテラの散歩
今日も家族連れの多い1日でした。岡本さんは今日から3泊。3年ぶりです。古澤さんも昨年に引き続き3泊。有り難いことです。奥手さんは今日が最終日の3泊目 塩田さんの所で草木染めを体験 1日楽しかったようです。気分は高校生です。
草木染めをされた奥手さん
メールより
From Kiyo Takahashi to Kenji & Tomoko
ヨーガの研修会ではお世話になりました。子連れでしたので玄春先生の教えを全部受けることができなかったのですが,玄春先生の魅力とそして,シャロムの筋の通った生き方などに触れることができただけても本当に満足しました。玄春先生とシャロムのコンビは最高です。どこへ行ってもあれほどのものになかなか巡り会えないと思います。そう思うと私は,本当に,ラッキーだと嬉しくなってしまいました。
今回の私の発見:「自分がやりたいと思う一つのことを続けてやっていればそれがすべてに繋がっていく」あれもこれもと欲張りに生きてきた私は,そう感じ,「焦らなくていい大きな目標なんてなくてもいい。今したいと思うことを大切に一つ一つやっていけばそれでよい。」と,自分さがしの最中である私は,そう思いました。また,自分のことをあまり好きになれないでいる自分も今回,理屈はないけれど少しずつ好きになってきたぞという感じをうけそれも発見の一つでした。
朋子さん また料理を教わる機会を与えてください。健二さん,シュタイナー学習会へ理解とご協力を常々感謝しています。いずれ皆でするであろう?シュタイナー農法もお世話になりそう。また,よろしくお願いします。
今回,本当に二人の暖かさを感じました。ありがとうございました。
高橋喜代さんの思いが伝わってくるメールを有り難ございます。メールだと何となく心の中を語れるような気がします。メールは有り難い存在です。
人間は知を持つことによりエデンの園をなくしました。リンゴを食べて分別を学びました。本来一つのことを分けて考えるようになりました。でもこのリンゴ(コンピューター アップル)が地球を救うかもしれません。今までのテクノロジーはものを得るためのものでした。でもコンピューターは見えない世界を統合するものです。人間で言う神経細胞です。統合される世界を可能にします。印刷も コピーも 写真も 編集も 住所録も 手紙も お絵かきも 財務も いろんなものを統合します。ものがいらなくなってきます。ようやく人間はテクノロジーによってものを越えられる世界に来たのです。それは知が可能にしたのです。これからはものに縛られずに幸せに生きる暮らしが可能になる様な気がします。
自分の中にもう一人の自分が住んでいていつも自分を責めます。
いつか自分の全てを肯定できる日を迎えたいものです。
平安があることは一つになること ヨーガで言う所の統合 結ぶという事のように思います。
平安のある世界に住みたいものです。でもこれは一生のテーマだとも思います。
まあのんびりとやっていきましょう。
アーサナ、プラーナーヤマから、心のヨーガ、魂のヨーガへ
本当の幸せは外からは来ない。
あなたの心に存在している自分の心をコントロールできた時、
人は本当の幸せを得る。
LOVE&PEACE SHALOM 健二拝
ダアマのお光りの下にて 上野玄春拝
先日は大変御世話になりました。
天候も最後まで私たちのリトリートを見守って下さり、天・地・人 一つになり、シャロムという結界に守られ各々の生命を祝福できたと思います。様々なお気遣いや、便を図って下さいまして心より感謝しています。参加された方々が、それぞれの人生の過程でこのリトリートから何か気づき、つかみ、始めるきっかけになればと、今までの私の骨格と存在を哂す場でもあるようです。また、高橋喜代さんからのメールのFAXとても嬉しく拝読させて戴きました。裏方のスタッフの皆さん、そして誰よりも朋子さんにも感謝を述べたいと思います。ありがとうございました。
玄春 直子 合掌
1998年8月3日曇り25度
ほとんどが2度目以上の方です。連泊の方が多くゆったりとしたシャロムです。
荒木さん家族が ちひろ美術館から大町エネルギー博物館までの薪で走るクラシックなボンネットバスに乗ってきました。
ちひろ美術館から大町エネルギー博物館セット料金 大人 1000円 子供400円
薪バス無料 乗車券付き
定員20名の所 8名乗車 全員シャロム宿泊者 10時15分 薪バスが煙を吐きながらちひろ美術館に到着 ナラの5pから10pほどのチップをドラム缶のような所に 米袋1つをザラザラと入れて ふたをすると車が動くと言うが理解できません。でもエンジンは動いている。
10時30分出発 中学生のボランティアのお兄ちゃんが薪バスについて説明 フムフム ブンブンブーンとふかし音だけは立派だが “止まったら全員でバスを押して下さい。”と一言に不安。安曇野の田圃の原を時速30q快調に進む。工事中の道路 段があります。の言葉と共に20pは飛びました。驚くやら嬉しいやら車内は笑いの渦。大町駅経由のため、国道に出たら、すぐ「車が1台 2台・・・・」ボランティアのお兄ちゃんが運転手に報告します。この為のボランティアスタッフなのだと納得。場所を探して後続車を先に行かせます。11時大町駅に到着。カメラを抱えてバスの周りに観光客。山に近づくにしたがって雨模様。坂道はのろのろながらも走りますが、赤信号が1番怖い様子です。なぜならエンジンが止まったら必ず、走りだせるとは限らないから。エネルギー博物館は、子供も大人も、ボタンを押したり、ハンドルを動かしたりとなかなか、楽しい方法で、電気を理解してもらいたいという気持ちが受け取れました。13時同じ顔ぶれで発車。帰り道は不安はなく、順調そのもの志の箱に一人100円の温かい心を入れ、無事14時に到着。タイムスリップの楽しい旅でした。 荒木記
メールより
あー、行きたいですっ。
たまたま「あちゃらナビ」で天然酵母パンを調べてて偶然みつけたホームページだったけど、もう、このホームページをのぞいてみない一日はありません。もう中毒状態かもしれません。いらいらしたとき、なんだか物足りない気分のときにのぞいてみては、しあわせな気分になれます。写真を眺めては、いきたい、いきたい・・・・と唱えてます。
ほんっと、すてきなところですよね!
スタッフ募集のところ見て、うわーって思ったけどよく考えたら、わたしって、おそろしく不器用で、人見知りするんですよね・・・
ほんとすてきなとこだ。あー、散策してみたいな。早起きして、土いじりして、たのしく語らえて、カロリーとか気にしないで、おいしく食べれて、人にも自分にもやさしくなれて・・・自分が変わっちゃいそう。もちろんいいふうに・・・
ぜったい、早かったら9月、おそくとも10月に、ともだちとあそびに行きたいです。
みなさんおげんきで、すてきな生活をつづけてくださいね!!
いつかのぞきに行きます。
まさみ
1998年8月2日曇り27度
10年来のご利用いただいている荒木さんが今年2度目の利用です。婚前旅行 新婚旅行 家族旅行 と何度もご利用いただいています。有り難いことです。
安曇野ハーブスクエアのガーデンがオープンしました。
アルプスの山々を背景にして、100アールの敷地に植え込まれた200種以上ものハーブのガーデン。気持ちよい風に吹かれてのんびりお散歩してみませんか。来春の本格オープンに向けて8月1日よりプレオープンしました。
入園料 大人 350円
子供 200円
AZUMINO HERB SQUARE
HERB GARDEN
ハーブティーをはじめ、ハーブ入りシフォンケーキやハーブワインも人気です。ガーデンを眺められるテラス席でのティータイムも素敵です。ほんのり香るラベンダーソフトも味わってみたいものです。
1998年8月1日曇り27度
木下さん親子はカブト虫取りに出かけて6匹もとることができました。1番の想い出だったようです。
毎年恒例の上野玄春先生のヨーガのワークショップが開かれています。
私たちの求めてやまないもの、それは、ひとつの開花であり、祝福された生命観であり、自在無碍への成長である。そして成長というのは、かならず全面的な全体からもたらされる。そしてヨガは、ある種の体験によりそれらに気づき、それを自覚するようになることだ。ヨガはひとつの事実、ひとつの存在感、ひとつの状況を提出してくれる。
グルデブ・シバナンダ教えの基本
SERVE
報酬を期待せずに奉仕しなさい
LOVE
全ての名と形ある物の中に神を見て愛しなさい
GIVE
惜しみなく与えなさい
PURIFY
心を純化し、清らかな生活をしなさい
MEDITATE
めいそうしなさい
REALIZE
自分と宇宙が何であるかを織りなさい
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