信濃毎日新聞・タウン情報2003・12・7の記事より
アトリエ訪ねて 絵画 ・ 上野玄春さん 梓川村
南国の大きな葉に熱いまなざし
自然の生命力追求 ・ ヨーガと仏教修行
梓川花見上野。梓川の瀬音が絶え間なく聞こえる自宅2階が画家上野玄春さん(56)のアトリエだ。季節毎に変化する落葉樹を目にし、草いきれを間近に感じる日々の中で上野さんは日蓮宗僧侶、ヨーガ指導者の顔も持つ。そのどれもが「大いなる自然の力を取り入れること」に共通点があると言う。若い時代に描いていた油彩画から離れ、今このアトリエで紡ぎ出す絵は日本画が大半だ。
「光の夢」岩絵の具 30号
「ここは初めてインドを訪れたときの最初の 目的地、ガンジス川上流の村リシケッシに良く似ている。自然にあふれた土地を探し、見つけた場所がここ。地名も偶然、苗字と同じ上野だった。」と満足そうな笑顔を見せる。
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「関東から移り住んで10年近く。信州の草木も身体に染み込み、表現できるようになってきた」と話し、スケッチブックのページを埋め始めた安曇野らしい写生も披露してくれた。
とはいえ、世に知られる上野さんの作品は、キャンパスいっぱいの生命力に満ちた草木のイメージが強い。タイムスリップしたような南アジアの風景、根本仏教の持つ自然との一体感。使う絵の具は日本画材…。
29歳、都内の中学美術教師の職を辞し、初めてインドへ旅立った。古代から続くヨーガにひかれ、自己再生の道を求めてのことだ。日本の田舎をほうふつとさせるリシケッシの地でヨーガを学び、自らをがんじがらめにしていた内面の呪縛(じゅばく)から逃れた。
カジラホで寺院をスケッチして歩き、パトナでチベットの曼荼羅(まんだら)に触れた。ベナレスを見、ブッタのたどった道をなぞり、ブッダガヤで再生を胸に帰国。しばらくは曼荼羅の影響が絵画に表れたという。このころも画材はまだ、油…。
「アジャンタの夢」油彩 100号
36歳、宗教的な構図や題材を描かなくても自然を描くことで根本の生命力を表現できると気づき、葉を描き始める。100号の「万葉」が手初めだった。
37歳で身延山の修行を終えて得度(とくど)。それまでの上野治男さんが僧・玄春になった瞬間だ。
「40代半ばで熱帯の大きな緑の葉に旺盛な生命力を感じ始めた。」と振り返る。
「バラタの調べ」 岩絵の具 変150号
94年、当時の住まい埼玉県浦和市から、捜し求めていた自然あふれる地・梓川へ移住。以来、大きな葉への愛着は今でも続いている。
上野さんにとって「仏教やヨーガは自分との対話の場所、絵は生命を表現する手段」だといい、ヨーガや仏画指導のほか、日本芸術家協会審査員として絵画の道を確実に歩み続けている。
(By おさだ くみ)
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