日本芸術家協会 JAGニュース 1988年2月 NO.34

  合掌する「眼」 

 先日、新宿の安田ビル42階にある東郷美術館を初めて訪ねた。ここでは、昨年話題になったゴッホの「ひまわり」と同時に、ルネッサンス期の作家、ボッティチェリの小品が展示されているということであった。

 見晴らしのよい回廊を過ぎて会場に入ると、すぐに出会った「美しきシモネッタの肖像」は、その名に違わず、理知的で、透明感のあるたたずまいを見せて私を魅了し、又、奥の展示場の中でスポットライトに浮かんだ「ひまわり」と様々な面で対称的な印象を与えていた。

 しかし、それぞれの作品の前に立つ時、同じくある種の厳粛な気分に支配されるのは何故であろうか? いうならば、その作家の視線と息づかいが時空を越えて、ありありと感じられてくるのである。

 その時ふと以前読んだ新聞の記事を思い出したのである。その手記によると、ある中年の婦人が定期検査によって子宮癌であることを告知され、様々な煩悶の後に、もし死んでも、この世で何かの役に立ちたいとの思いで、アイバンクに登録したのである。やがて数ヵ月後にいよいよ子宮切除の手術をうけることになるのだが、麻酔注射によっての昏睡状態の中で見た夢の体験を綴っていた。

 「その夢では、手術は運悪く失敗に終わり、急いで眼球は私の身体から取り出され、直ちに目の不自由な人に移植されました。私の眼は、ベットに横たわっている自分の抜け殻を見て涙し、今まで与えられていた命に感謝し、静かに合掌して別れを告げているのです。」 というものであった。

 嗚呼、いかにもこの眼球とは、残された作家の魂と等しく、又、作品とはキャンバスに移植された作家の眼そのものではあるまいか。

 帰りの道すがら、果たして私の作品は、合掌の視線で、今生での私を見取り、さらにこの世で何ものかを黙示しつづけることができるだろうかとの思いが、脳裏をよぎっていった。

 

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