私のヨーガとの出会い(1)

旅のために

  35年以上も前になるでしょうか、私が教育系の美術の大学に通っていた頃、画家ダリに代表される超現実主義(シュールリアリズム)という芸術運動に興味を持っていました。それは人間の内面世界の不思議さをテーマにした芸術表現だったのです。そこでは、私達の心の深い無意識の世界に分け入り、特に、人の心の謎を解く鍵として、夢の観察や分析という方法を重要視していました。そこで、私も芸術家の卵として自分の心 の奥を知るすべとして、夢の記述を、7年 ほど実行したのです。このことによって、夢の視覚による不思議なメッセージや、心 の中の多様な人格の会話の成立や、正夢や 予知夢などから、意識と無意識の連続性や夢と現実の関係などを学ぶことが出来た反面、次第に不眠や幻覚そして金縛りなどが頻繁に起こるようになり現実と夢が錯綜し、とても日常の生活が送りがたく、不安にさいなまれるものとなっていきました。このような折,どうにかしてこの状態を脱出しなければと思っていた頃、書店で立ち読みをしていて、ふと、表紙の絵が幻想的なので興味が惹かれ、手にした本が佐保田鶴治先生の「ヨーガ根本経典」という本だったのです。そこには現代の思想や心理学にも勝るとも劣らない、紀元前から綿々と続く人間の心に対する分析と理解,そしてなによりも、そのコントロールの為の具体的な方法が述べられているではありませんか! 私はそれまでの知識や、自分の心の分析、そして、夢の体験などから、そこに書かれている事が本当の<生命の智慧>である事を直感的に知ることが出来ました。しかし、その本には教典による実技の説明はあっても図解がなく、また当時、ヨーガを実際に手ほどきしてくれる方を、周囲に探す事は出来ませんでした。ですからどうにか自己流でヨーガらしきことを試み始めたのです。また、当時、舞踏家・土方巽や笠井叡、大野一雄という人達が、暗黒舞踏という肉体表現を試みていました。その後、山海塾やシュタイナーのオイルトミーとの出会いにも繋がっていくのですが、弟が山海塾に参加した事などの影響で、どうもそのトレーニングの方法がヨーガを取り入れている様なのです。私もその踊りのファンであると同時に、自分でもそれを体験したくなり神遊(サラム)館というところに通ったりしました。

その後、中学校の美術の教員になり4年ほど経った頃,小説家・司馬遼太郎の「空海の風景」という本を友人から勧められました。そこには、唐の国に渡った若き修行僧・空海が、長安で恵果和尚から密教を学び、日本で真言密教を開いた様子を、若き空海それ自身の眼差しを借りて描写し、その時代や状況を追体験できるような素晴らしい本でした。その恵果和尚から空海が学んだ密教が、インドの当時のタントラヨーガから来たものであり、又、その教理の中心をなすという金剛界と胎蔵界というマンダラの思想的な意味と神秘的な美しさに触れて、その解明にどうしてもインドに行きたいと思うようになっていました。そして、自分自身の教育者としての限界や人生上の行き詰まりから、29歳の折、ついに教職をやめ、寝袋を持って、ヨーガの国インドを目指そうと決心したのです。

そして、全てのものが用意され、彼の国・インドに呼ばれるように、その時が来ました。

羽田空港から飛び立つ時、飛行機に乗ってから読んで欲しいと、弟から1通の詩篇の入った封筒が渡されました。次のページの詩は、そのときの詩篇です。

それは今でも当時の私の気持ちを表わし、勇気づけてくれる作品だと思っています。   

 

     

風にむかって

鳥は飛った

夢よりも高い空

その日は、夏の日の午後

昨夜の夢よりも

たしかにつよい不安な風

海を越え,降りたつ遠い土地

 

そこはどのような土地か

わたしは知らない、だが

異国よりも遠い、夢の国にきみは降りる

ふりむいてはいけない、いまは

その国の風の匂い 土と樹の匂いに

古代の夢を掘り起こす時だ

見たまえ,風がいやにきみをよんでいる

きみはきっと気づくはずだ

母の国,奈良の古寺のいらかや風の匂いが

その土地の寺院の裏側に隠れていることを

血の歴史につながれていることを

わたしはしらない 遠い国を だが

道すがら触れる人の背にはきっと

ながい服従の歴史にしばられた

かなしみの影が見えるはずだ、つよい顔も……。

<ひとつの来歴を握るため

 渡らなければならぬ橋がある 海がある

 『類』は寂しい道のりの声の結晶だった>

きみは離陸の時、ふとそう想ったはずだ

恐れてはいけない、夜も月も、そして

異国ゆえつたわらぬ言葉も 想うがいい

旅立てぬ弟のひとりが、きみの空を

ともに視つめていることを

 

熱い国の河は

どのような色を染めて 暮れていくのか

きみは行く,熱い河のほとりへ

マンダラの国へ、その事実に

ふときみは不思議な空白(おもい)を見るはずだ

だがきっと、灼けついた町や河、そして

仏像のいたいけな表情が

きみの日々、きみの生涯に

幾度も、そして幾度も蘇り

恐ろしいほどの宿命の時としてあったと

気づくはずだ

迷いが訪れたら想うがいい

死の海をこいで渡った苦行僧の 命と勇気を

祈りをこめて訪ねた国であることを

<思想>がきみをこの土地に呼びよせた

きっとそれは信じていい声だ、だから

海を越えても、きみはきみであり得るはずだ

 

はじめての高い空、空からの海

その距離の怖さを わたしは知らない だが

きっと、寺院に見る静かな修羅の声を

きみはきみに報告するために、旅に出た。

そして想うがいい、ひとり旅にも

たくさんの視線が向けられている と。

夏の日の午後 鳥は飛った

その行方の空に わたしは手を振る。  

 

 

 

 

私とヨーガの出会い(2)

聖地巡礼  

初めての飛行機、はじめての外国・インドでは、ニューデリーから北へ長距離バスで7時間、そして乗合タクシーでエンストをおこしながら1時間 程で、まずビートルズが訪ねたと聞いていたガン ジス川の上流にある聖者の住むところという意味 の村・リシケッシという所にたどり着きました。 どこか日本の田舎を感じさせるこの村の川辺には オレンジ色の衣をまとい、髭をのばし、杖を持ち 裸足で旅をしている修行僧たちが、あちこちに見 うけられました。彼らはサドゥーといって彼らが 存在することはインドの誇りだとツーリストバン ガローの若きコックさんが説明してくれました。  
その彼に翌朝、連れて行ってもらったヨーガの道場がシバナンダ・アシュラムなのです。ここでは、フランス人のグループに入れてもらって待望のヨーガのレッスンを受ける事が出来ました。

この旅の様子は「季刊ヨーガ」という雑誌に少し載せてあります。 その後25年経った今でも、この道場との交流は続き、2代目の総長さんチダナンダジが来日されたり、「歩く太陽」と呼ばれるヨーガスワルパナンダジを安曇野にお呼びして講習会を開いたりしています。

この最初のインドの旅では、最初に訪れたリシケシでの1週間程の滞在のあと、インド各地も回りたく、まずデリーに戻り、飛行機でカジラホに着き、日中、長時間、憧れの寺院群の壁に、余す所無く彫られている、男女神の交歓像のスケッチを熱中していたせいか、日射病にかかったようで、その後、下痢もひどく、熱に浮かされ、ほとんど食も喉を通らず、アグラ、バラナシと、飛行機に乗り、汽車に乗りしながら、ブッダ成道の地であるガヤの駅にたどり着きました。

駅から予定の時間のバスもなかなか来ないし、来たバスは鈴なりの満員状態で、途中で気持ち悪くなって、降りようとすると、10歳ぐらいの小さな男の子が、私の異変に気がついて、「大丈夫?降りないで頑張って!」と云うように、私に抱きついてくれたのです。私はなぜか安心して身を任せ、気を失っていたようです。終着の停留所で、その子供は、お土産売りの屋台の人に「この人、病気のようだよ、助けてあげて!」というような事を云って立ち去りました。私は、屋台の人に、ぬるいお湯をもらい、日本から持ってきた、みそ汁の粉を溶いて、少し口にしました。そして、灼熱の小道を、バーミヤンの木陰を渡りながら、歩いては休み、立ち止まっては歩くという状態で、ふと、道端で小さな看板を見ました。

そこには、「約200年前、成道する前の青年ブッダが3週間の断食の後、この道を通って菩提樹 の下で悟りをひらいた。」と書いてありまし た。私はもう1週間以上も、ほとんど何も 食べていないので、死ぬかもしれないとい う、不安や恐れに満たされていたのですが、この看板を見て、大丈夫かもしれない、と 励まされたのと同時に今まで、仏様とは、仏像であったり、あるいは架空の作りあげ られた人物像であり、私達とは全く違う別 の存在であると無意識に考えていたものが、この目の前の道を、35歳の青年ブッタが 歩いている光景が、ありありと想像された のです。私は少し安心し、少し勇気をもっ て、再び歩み始めました。どうにか辿り着 いた大きな菩提樹の下のブッタ悟りの場・金剛座に感慨深く礼拝し、やがて、後ろの大塔の中に入りました。

その静かなひんやりした暗闇の中で、黄金色のブッタ像が、ろうそくの灯りに浮かび、朱色の衣を着け、逆三角形の、くびれた胴体で、結跏趺座で、鋭い眼差しを向けていました。今まで私が心中に思い描いていた日本の優しい表情のブッタ像とは異なり、少し怒った表情で、何か私に諭さんとしているように、強く感じられたのです。この時の私の思いは、およそ、以下のようでした。

「私は遠く日本から、生きる道を探して、ここまで辿り着いた。そして、ここで、もう力尽きて、倒れんようとしている。もとより、私はこのインドの大地で、この苦しい人生で、生きる道が見出せなかったら、道端で野垂れ死にしても構わないという覚悟でやってきた。だから、この聖なる場で、命尽きても本望でもあります。が最後にどうしても聞きたい事があります。もしあなたに心あるならば、どうぞ私の問いに答えて欲しい」と…

そして、私は聞いたのです。「何故人生はこんなに苦しいのですか?」と

すると、なんと!答えが返ってくるのです。声としては、聞こえませんが、確かに、言葉が伝わってくるのです。答えは「あたりまえでしょう?」と…

私は当惑し、とても不満で、「何故あたりまえなのですか?」と聞き返しました。

すると、また答えが返って来ました。

「それは、あなたが、他の人になした事が返ってきたまでのことです。」と… 

私は又、当惑し、その答えにとても不満で、

「私が、他の人になした事? それは、教育の機会や土地の所有などの平等や平和を実現する為に学生運動をし、良い社会、良い人を育てる為に教員になり、幸せにしようと彼女と結婚したのに…。」 と云おうとした瞬間、 自分の心の奥で 、「いや違う…」

 「本当は、子供の頃から、家庭が貧しく、思うように、読みたい本も買えず、剣道の道具や、美術学校の受験の為の研究所にも行けず、富める者と貧しい者のいる世界は不公平だから、その不平等感の怒りと腹いせのエネルギーで学生運動や、社会運動をしていたのだし、 そして、職業も、生徒を素晴らしい人に育てる、社会の基本を造ると表面上頑張って言い張っていたのだけれども、 本当は、小さい時から、絵が上手いといわれ、他の職業よりも、楽で、安定して、自尊心も満足させられる職業を選んだのであり、実は自分の生きる上の都合で教員になったのが本音だったのでは?」と気が付いたのです。

 さらに「女性に関しても、その人を、幸せにしようと結婚したのではなく、デモの帰りに、たまたま一緒になったかわいい女性と暮らすようになり、結婚する流れになってしまって、その人の幸せを本当は考えていなかった…。」   

    「全部言い分けばかりで、皆、自分が生き延びる為に、他者を利用し、体のいい云い訳と理屈で他を批判し、利用し、傷つけてきたのだったのでは!」 という思いが、胸の奥から湧き上がり、 「それは、あなたが、他の人になした事が、返って来たまでのことです。」という言葉が、心に広がり、染み渡り、何か底が割れたように、わかったのです…。 

「ああ、本当に、何か生き方が、根本的に、何か間違っていたのだ」という思いがこみ上がり、見開いた目から、悲しみでもなく、苦しみでもなく、涙が、心の汗のように、これまでの人生の汗のように流れ、流れ落ちていました。 

しばらく呆然自失の状態が続き、そして、しばらくして、ふら〜っとその大塔の外に出て、「そうだこれから、日本に帰ったら、全てやりなおそう!初めてこれから会う人、一人一人からやり直そう!」と心に決め歩み始めたのです。

これが、私のブッダガヤの触地印の黄金仏と「生死の問答」をするという、体験です。そしてこの体験は、その後、現在に至るまで、ヨーガを学び、画僧として生きる原点になった出来事でした。   

 

私のヨーガとの出会い(3)]

看病と断食 

 帰国後,日本でもヨーガを学びたいと思っていると、丁度、当時住んでいた西武線のひばりが丘という所で、断食道場の先生で沖ヨーガの教室を開いた牧内泰三という方に出会い、その教室の入会の手続きをして間もなく、父親が病院から、胃癌の再発で黄疸が出て、肝臓とすい臓に転移して、余命ひと月程と言われました。そこで牧内先生に相談したところ、ワクチン療法やビワ湿布、そして森下博士の自然療法を助言して下さり、それから父親を自宅で引き受けて家族全員で看病し始めました。

すると、それらを実行した所、日一日と病状が回復し、一ヵ月後には痛みが薄れ、血尿も次第に良くなり、声が出るようになり、黄疸も抜けてきて、立てるようになり、歩けるようになりで三ヶ月もすると普通の暮らしが出来るようになってしまったのです。それを牧内先生に報告いたしますと、「その体験を皆に伝えなさい」と言われ、そのひばりが丘の教室を手伝う事になったのです。

その感激と感謝の思いで、この目のあたりに体験した奇跡的な食べ物の力や、枇杷の葉の力、日光浴や、温冷浴の力、そして、それらの背後にある自然の力などを感じ、もし神と言われるものがいるのならば、それを見たい!出会いたい!と思い、手元にあった本を参考にして10日間の断食に入りました。

当時は、不眠症や金縛り等のような心の不調ばかりでなく、体の面でも、腰や腕に湿疹が出て、又、一日中ゲップと吐き気に悩まされ、痔も患っていて私自身も、実は父親と同じく癌なのではないかと密かに思っていたのです。

この断食では多くの事を学びま した。食べ物こそ最良の薬であ ること、その食べ物の陰陽をふ くめ、この世界は陰陽の原理が 働いていている事、それを調整 している自然の力がある事、そ れを火・水(カ・ミ)の力という事、世界は空=光=愛=命から生ま れ風・火・水・土の要素で構成 されていて、ヨーガや仏教では それを五大という事、それが私達を外からも生かし、私達の中 でもその力が働いて、実はそれ は私達自身なのだという事。神道ではそれを「ひふみの祝詞」 として伝承されている事などです。

 また、この断食の間、桜沢如一先生の始めた東北沢のCI協会を訪ねたり、沖正弘先生とお話が出来たり、多摩川のそばにあったB.S.ラジネーシ日本支部の教室に行ったり、飯島貫実先 生の「仏教ヨーガ」の本を読んだり、<浅利・紫>で有名な色彩心理学で、内なる神と曼陀羅のヒントを得たり、その後の人生に多大な影響をもたらした重 要な期間でした。

この父親の看病と断食行の体験によって、ヨーガが宗教的悟りへの修行法であるのみならず、日常生活の中での生き方や、心のバランスの 取りかた、そして身体の健康管理や病気を癒す方法としても大変有効なことを実証してくれました。    

 

 

私のヨーガとの出会い(4)]

  万 葉

その後、父親も元気になったので、より深くヨーガを学びたいと思うようになり、アジアアフリカ美術家会 議のグループで、中東やパレスチナ訪問の帰りに、一人でバンコックからボンベイに戻り、深夜のバスでオ ーランガバードへ行き、インドの古 代石窟寺院・アジャンタ・エローラ の壁画や彫像を見学した後バスで、あのBS.ラジネーシのアシュラムのあるプーナに向かったのです。

 その町では、世界の各国から集まった若者達であふれ、皆、オレンジ系の色で素敵な色々なデザインの服をまとった人々が楽しそうに暮らしていました。このBS.ラジネーシという方の思想は<人生は愛と喜びに満ちたものであり、今までの宗教や社会的な枠組みに囚われない新しい人間解放のメソッドを生み出そう>としているかのようでした。朝・夕には百人を越す人々が街中から集い、大きな日よけのテントのある石畳の上で、ボリュームいっぱいの、激しく、そして美しい音楽と伴に、フリーダンスを主体にした瞑想に興じていました。


午前中は
BS.ラジネーシ師のユーモアを混じえた、楽しそうな?英語でのお話、午後はヨーガや太極拳や外人による空手のグループ、また併行して、別のホールでは色々な現代的にアレンジされたブリージングとか心理療法、あるいはインテンシブグループとかセンタリングのグループなどが試みられていたようです。又、夕方ともなれば街のあちこちで音楽のライブやダンスパーティーが開かれていました。あたかも町中が古代ギリシャの芸術都市国家になったようでした。丁度私の滞在の期間にラジネーシ師の父親が亡くなって、アシュラムあげての催しにぶつかりました。私はグループリーダーに「セレモニーですか?」と尋ねると「いいえ、セレブレイションです」と答えが返ってきました。千人ちかくの人達に送られ河の岸辺で荼毘にふされ、夜を通して皆で踊り狂いました。ここでは、人生は芸術であり、生も死も祝祭である事を学びました。

 その後、日本に帰りひばりが丘の道場を手伝っているころ、いつか読んだ「仏教ヨーガ」の著者でロスアンゼルス在住の飯島貫実先生が日本の伊豆のお寺で合宿をするというので、参加してみる事にしました。

 第一印象は尼さんの様に清楚な方だなあと思いましたが、お話を始めると、とてもエネルギッシュな方で、一生懸命私達に何かを伝えようとしているお姿が尊いと感じました。私はインドから帰って間もないので、オレンジの服を着ていましたので、貫実先生は「日本山妙法寺の方ですか?」とお尋ねになった事を覚えています。この先生がやがて私が日蓮宗の僧侶になるというきっかけをもたらすとは当時思いもしませんでした。

 この合宿ではヨーガと共に根本(原始)仏教と法華経を学びました。そこでは、「一根万葉」という言葉が心に染みわたり、その合宿から帰るとそのテーマで記念的な作品「万葉」(100号)が生まれました。

 

その後、毎年、夏、来日される貫実先生を囲んで<法華経道会>の運営を手伝ったり、高尾山で合宿を企画したりしながら、仏教ヨーガの道を歩み始めたのです。

 このご縁で、妻・亜土夢とも結婚しやがて身延山の信行道場にも入り日蓮宗の僧侶としての活動も始まりました。この頃貫実先生の甥にあたるダーマヨーガ道会の飯島玄 明師にお世話になり、その包容力のある生き方に感動して「玄春」という僧名をいただきました。この名はその後、雅号としても又、戸籍上の名前ともなったのです。

亜土夢はその後、毎年冬、現地 南インドのマドラスに滞在してイ ンド舞踊を学び、ヨーガは、現代 のハタヨーガの大家・アイアンガ ー師のもとを訪ねて学んで、やが て共に「インド古典舞踊とヨーガ の会・恒河舎(ごうがしゃ)」を 設立しました。

そして、川や山のある自然の中で暮らしたいと思い はじめ、様々なところを訪ね、探し ていたところ、不思議なご縁でインドの聖地リシケッシにとても似ている今の信州の梓川村の川岸 にある家を見つけることができ10年程前に移り住む事になったのです。ちなみに「恒河舎(ごう がしゃ)」とは「ガンジス河の家」と云う意味なのです。

 そして、現在、楽健法の山内宥厳先生や、調布の井上先生のご縁で、アユルベーダ学会の大会で、、ヨーガを愛する木村先生に出会うことで、伝統的なヒマラヤでのヨーギ・ヨーゲシバラナンダ師や、かって、海を渡ってシカゴの宗教者会議に参加し、アメリカにヨーガを伝えたという伝記を読んで感動していたヴィヴェカーナンダ師の教えに改めて触れる事が出来たことを心より感謝しています。   

 

 

ま と め

「ヨーガとはなにか?」 

   パタンジャリの「ヨーガ・スートラ」の第一章の冒頭に「ヨーガとは心素の働き(はからいの心)を止滅させることであり、心素の働き(はからいの心)が止滅すれば見るものたる真我は、その本性にとどまる」と述べています。

人間は、意識をもち、考える力を与えられた事によって、高度の文明を築き、生命を脅かす自然や天敵からの危害から自らを守り、飢えや貧困を克服する術を模索し、徐々にそれを実現してきました。しかしその高度の意識の作用によって、個人個人における肉体や生命の持つ自然な力を弱め、精密さを求められたり、競争を強いられたり、複雑な社会的ルールに縛られたり、過去の出来事を悔い、未来を心配する事によって、必要以上の不安や強迫観念などがおこり、心を病む人も増加しています。そこでヨーガは最終的には、この人間の生命活動のパイロット役である心(意識)のコントロール法を伝えているのです。

そこで、ヨーガ・スートラにおいて心のコントロール法として、日々の生活の指針や訓練法として、八支則を説き、禁戒・勧戒・体位法・調息法・制感・凝念・静慮・三昧の段階をもって、日常の中で、様々な出来事や人間関係等から生じる、心の陥り易い、怒りや執着や不安(ストレス等)から一旦離れ、心を青空のようなすがすがしい状態にリセットして、どのような状態にも適応できる生命の自由闊達な力を呼び戻す方法を伝えているのです。

ヨーガはそのように環境に対しての人間の適応力を引き出すことによって、心身の健康管理や治療という医学的分野にとどまらず、その生理的、心理的能力開発法は、宇宙飛行士の訓練や、深海への素潜り、芸術的発想法など様々な分野において、人間の持つ潜在的な力を開発する方法としても応用されることにもなります。

ヨーガはまたYujという語源からいっても分割されたものを結びつけバランスをとる思想であり技法です。この現象世界は天と地、昼と夜、暑い寒い、プラスとマイナス、男と女、吸うと吐く、閉まると広がる、緊張と弛緩、理性と感性などと両極のものが拮抗した働きをもって成立していることを見てきました。自然界においても、人間界においても、人体においても同様です。そこでその中で良いバランスをもって生きることがヨーガの根本思想であり、仏教も、神道も、キリスト教の中にも、中国思想の中にも共通する「命の思想」であることを見て参りました。

またこのヨーガの思想を、日常生活の中で生かすために、飯島貫実師が私達に説きその実行を促した「身心八統道」をここで紹介し、息・食・浴・動・覚・心・愛・修の理解と実行によって、この現代を生きる私達全ての人の体と心の健康を願ってやみません。

そして、現在誰もが一番大切なことは、@身心のバランスをとる事。A自然とのバランスをとる事。B人と人とのバランスをとることにあります。

人々が声高に求める自由や愛や平和も1人一人がこれら三つのバランスを実現する事が根本的な基盤になるのです。

このように、ヨーガは歴史的に、時代に応じて、人間の生命の深い中心にある実在・意識・至福(sat−citta−annand)=「命の実相」を蘇らせる方法と思想を人類に提供してきたのです。

どうぞ、誰もがこのヨーガの思想を取り入れ、心身ともに健康な生活を実現し、美しい自然と共に生活し、平和な社会を築きましょう。

そして、ブッタ晩年の言葉「この世界は素晴らしい。人の心は甘美である。」と云える心境で、毎日を過そうではありませんか。 

最後に大聖スワミ・シヴァーナンダ師の「宇宙の祈り」を載せてこの論考を終えることに致します。        

「宇宙の祈り」

おお、崇拝する慈悲と愛の神よ!

 あなたを礼拝し、御足にひれ伏します。

あなたは、あらゆる所におられ、全能であり全知でいらっしゃいます。

あなたは、完全なる実在、意識、至福でいらっしゃいます。

あなたは、全ての命あるものの内在者でいらっしゃいます。

 どうか理解をする心、偏りのない見方、調和のとれた心、

 信仰、献身、智恵をお授けください。

 どうか、誘惑に負けないよう、心を制御できるよう、

内なる魂の力をお授け下さい。

私達を利己主義、色欲、貪欲、憎しみ、怒り、嫉妬から解放してください。

私達の心を神性で満たしてください。

全ての名前あるもの、形あるものの中に、あなたを見られますように。

全ての名前あるもの、形あるものに内在するあなたに仕えられますように。

いつもあなたを忘れませんように。

いつもあなたの栄光をうたうことが出来ますように。

いつもあなたの御名が私達の唇にありますように。

いつまでも私達が、あなたの中に居られますように。

 

    オーン シャーンティ シャーンティ シャーンテヒ

合                               合掌

2002年11月18日

[参考文献]

 

ヨーガと心の科学      スワミ・シヴァナンダ著       東宣出版

ヨーガと命の科学      スワミ・チダナンダ著        東宣出版

ヨーガとからだの科学    スワミ・ヨーガスワルパンダ著  東宣出版

仏教ヨーガ入門       飯島貫実著              山喜房佛書林

ヨーガ革命(肉体篇)    飯島貫実著              青弓社   

ヨーガ革命(精神篇)    飯島貫実著              青弓社

ヨーガ根本経典       佐保田鶴治著            平河出版社

ヨーガの宗教理念      佐保田鶴治著            平河出版社

ウパニシャッドからヨーガヘ 佐保田鶴治著           平河出版社

ヨーガのすすめ       沖正弘著               日貿出版社  

ギャーナ・ヨーガ   スワミ・ヴィヴェーカーナンダ著 日本ヴェーダンタ協会

ラージャ・ヨーガ   スワミ・ヴィヴェーカーナンダ著 日本ヴェーダンタ協会                        

カルマ・ヨーガ    スワミ・ヴィヴェーカーナンダ著  日本ヴェーダンタ協会                                       

インドの叡智        成瀬貴良著              善本社

マクロビオティック健康法  久司道夫著             日貿出版社

インド・ヨガ教典      シバナンダ・ゴーシュ著        評言社

ヨガ芸術          B・Kアイアンガー著          白揚社

密教ヨーガ         本山 博著               池田書店

血液健康法         岡田一好著              タツの本

樹下の仏陀         真継伸彦著              筑摩書房

ヨガと瞑想         内藤景代著               実業の日本社

新・仏教辞典        中村元監修              誠信書房

インド哲学概説       金岡秀友著              佼成出版社

幸福への12の鍵      スワミ・チダナンダ著        東方出版

木を植えましょう      正木高志著              南方新社

ヨーガ全書         古川咲子著              池田書店

ヨーガ健康法        番場一雄著              日本放送出版協会

呼吸法の極意        成瀬雅春著             出帆新社

クンダリーニ・ヨーガ    成瀬雅春著             出帆新社

魂の科学        スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著     たま出版  

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