自主保育の試み           高橋 喜代  

この4月よりシュタイナー学習会を始めて4ケ月が経ちました。約20名の参加者の中には,小さい子供を持つ親が多く,是非この安曇野にもシュタイナー幼稚園や学校を作りたいという声が上がってきました。といっても何もないところから始めるわけですし,また,参加者の子供たちは0歳から1歳2歳3歳と乳幼児が多く,日一日と成長していく子供のためには,学んだことを日々の子育てに役立てることができるよう即実践していきたいという思いもあり,最初は週一回でもよいからシュタイナー教育を取り入れた自主保育の場を設けて一歩ずつ歩んで基盤を固めていったらどうかという話しが持ち上がりました。 そこで,参考までに,現在高校二年生の私の二男が,通ったことのある自主保育の教室のことを紹介したいと思います。私の家族は,7年前までは,東京に住んでいて,公団住宅の団地住まいでした。その団地には,母親たちの手で作られた3歳から5歳までの子どもたちのための幼児教室という幼稚園でもなく保育園でもない自主保育の場がありました。それは,子どもたちが「おもいっきり遊べる元気な子」に育つようにという母親たちの願いをこめて作られた教室でした。今から20年程前のことです。幼児教室といっても,戸外での活動が多く,子どもたちは,リュックサックの中にお弁当と着替えを入れて通い,晴れた日は,公園や緑地に散歩にでかけて遊ぶという日課でした。部屋での遊びは,想像性を伸ばすためにも既成の教材など一律に買って与えるのでなく,できるだけ手作りの物や家にあるものを使って遊んだり,日本古来の伝承遊びなどしていました。
 教室の人数構成や時間帯などは,次のようです。5歳児と4歳児は,各1クラスあり定員各20名。週5日保育で朝9時から2時まで。保育者は,1クラス2名ずつ。3歳児は,3クラスあり定員各20名。一日おきの保育で週3回,朝9時から12時半まで。保育者は,1クラス2名ずつでした。教室は,団地の敷地内にあったのですが,初代の親たちが,市に働きかけたことで,市が団地の敷地を公団から借りプレハブの教室を建ててくれました。それにプラスして集会所も使っていました。幼児教室の活動は,団地の自治会の中では保育部として組織化されていましたが,自治会の活動も幼児教室があることで若いお母さんたちが活発に動いていたので,とても活性化されていました。講演会や行事などあるときは,自治会からの金銭的な協力もあったのですが,基本的は,親たちの自主運営 自主管理で教室は運営されていましたので,バザーをして収益金を運営費に当てたり,保育者の募集から面接など幼児の募集などもすべて親の手でされていました。保育料は,当時一人月額9,500円でした。保育者への報酬額は,パートタイマーの平均的な時給の金額でしたが保育者は,教室の保育方針に理解のある人たちが本当によく子どもと向き合って保育をしてくれていました。子どもの自主性を重んじああしなさいこうしなさいなどと押し付けず,子どもの繰り返しの経験の中で気づかせながら,待つという保育をしていました。
 先にも書いたように,「おもいっきり遊べる元気な子」ということが保育の基本的な目標でしたが,もともと子どもには,遊ぶという力は十分にあるのですから,「おもいっきり遊べる環境」を整備するということが大人の役割だったと思います。子どもは,仲間同士でけんかもしながらおもいっきり遊び色々なことを学んでいく。昔の子どもが野山をかけめぐり遊ぶ中で生きる力など学んでいったように,ごくごく当り前にシンプルに子どもたちの自らが遊ぶという力を通して学び合い元気な子に育っていってほしいというそんな親の願が幼児教室にはあったと思います。
 また親たちは,与えられたり押し付けられたりする保育は,望んでいなかったので,親は子供を保育者に預けっ放しにするのではなく,親のできるところは,親がする,保育の方針についても,「子どもにとってどうなのか」ということを第一に考え保育者と親との話し合いを大切にして保育を実践していました。行事などは,親が役割分担して,すべて関わっていました。一つのことを決めるのに保育者や役員一人にお任せするのでなく,各々の考えを大切にしていて,人それぞれ考えも違う中でそのことを認め合いながら,互いを尊重しつつ話し合いを進めていく姿勢があったので,大変なこともありましたが,親同士や保育者との交わりも深くなっていきました。親も子も保育者も三つが共に育っていこうという考えがあったようにおもいます。
 普段の保育の中では,親はフォローという役割があって,散歩に遠出する時や誕生会などその時々必要な保育の手助けに持ち回りで親がフォローに入っていました。行事はバザーを始め,もちつき,遠足,七夕祭り,運動会等などに親も下の子どもを一緒に連れてきたりして楽しみながら関わっていましたが,このように何らかの形で保育に関わっていたので,親も子どもたちのことがよく見えて,子どもは自分の親だけでなく大勢の大人のまなざしを一杯受けて育つことができたように思います。その日の保育が終わっても,今日は誰々ちゃんの家へ遊びにいくなどとそれぞれに約束して遊ぶことも常でした。親が保育や行事に関わることなど面倒くさいといってしまえばそれまでですが,幼児教室で関わってきた親や子ども同士のつながりは,子どもが大きくなっても今だに続いていて,私たち家族がこちらに越して来てからも遊びに行ったり来たりするなどして,いつまでも交流があるというのが幼児教室のいいところかなと思います。
 また,都会では自然が少なくなっていますが,幼児教室では,まわりにゴロゴロとしている「おもいっきり遊べない環境」を振り払い,散歩などに出かけて子どもがもいっきり遊べる環境を忘れないで求めていたことは,よかったことと思います。
 子どもの可能性を駄目にしてしまうことの方が多い世の中で幼児教室は,可能性を引き出すというところまではいかなかったかもしれませんが,少なくとも可能性を変にいじくり回すということはせず,柔らかいほわほわのものとして大切にしていたことは確かだったと思います。子育てに100%すべてよしという事はないと思いますが様々な経験の中から良いところを生かし安曇野でシュタイナー教育を取り入れて,子どものそれぞれの持つ可能性を大切にして,自主保育ができたらと思います。
最後に私の当時作った詩を載せたいと思います。

 心に大きく拡がるもの

   だれも 幼いころ 遊んだ 思いでの場所が ある
   大人になって そこを 訪れてみると そこは 思いのほか ちっぽけで
   みずぼらしい 場所で あることが 多い。
   せまい 路地で あったり  ポロポロの 岩で あったり
   小さな ほら穴で あったり  草むらで あったり・・・
   どれも これも さみしいくらい 小さい のだけれど
   なぜか 大きく 深く 心に 残り 続けている
   そんなにも 大きく 思っていたのは 体が 小さかったからであろうか
   いや それだけではない    おにごっこ ビー玉遊び ゴムとび・・・と
   そこには 楽しい 遊びが たくさん あったからではないか
   仲間が たくさん いたからではないか

        幼児教室の 園舎も 砂場も 谷保緑地も たんぽぽ公園も
        たしかに 立派なものとは いえなかった かもしれない
        だけど きっと・・・

   数々の 楽しい 遊びが あったから   大勢の 仲間が あったから
   あたたかい まなざしが あったから   その 一つ 一つが
   これからも ずーっと 子どもたちの心に 大きく 拡がり続けていくことで
あろう
   いつまでも 大きく

これは,私が我が子の幼児教室卒室の記念文集に十何年も前に書きました。
シュタイナーを学んでみて思ったことは,小さいときのちっぽけなことが大人になっても心に大きく残り続けるのは,目には見えなかったその想像力が何倍にも大きくしていたためだったと思うようになりました。

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