順ちゃんのネパールポカラ通信

オフシーズンにネパール インドに出かけて予定帰国時になっても帰ってこないのでどうしているのかと思ったらネパールで大恋愛 ポカラの花嫁になることになりました。8月ネパールに行くまでの間シャロムをお手伝いです。

BLUE HEAVEN GUEST HOUSE
Gaurighat-6,Lake Side,Pokhara,Nepal
Junko Oshima
tel:001-977-61-25943
Never End Peace And Love NEPAL

順ちゃんからのメッセージです

あなたにとって豊かさとは何ですか?
給料が高いことですか?
貯金がいっぱいあること?
大邸宅にすむこと?
車や服をいっぱい持っていることですか?
それとも・・・。
真の豊かさとはどういうことなのか旅をしながら感じてみませんか
舎爐夢(シャロム)ヒュッテで自然の偉大さ、素晴らしさ、大切さ、楽しさを味わった私がネパールに嫁ぐことになりました。彼はネパールで小さな宿をやっています。アンナプルナトレッキングの玄関口、ポカラは湖のあるのんびりした街です。是非遊びに来て下さい。お逢いできるのを楽しみにしています。

大島順子


1998.6.6.pokara.jpg (5111 バイト)

マチャプチャレ、アンナプルナとぺワ湖     

BLUE HEAVEN GEST HOUSE
Gaurighat,Lake Side
Pokara,Nepal

tel:001-977-61-25943

Never End Peace And Love NEPAL

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家族で順ちゃんを訪ねた時のスナップ 1999年1月


ポカラ通信30  2000.9.2

Namaste!
1週間ほど前、隣の畑でも稗の苗上がありました。牛2頭が鋤を引き、その後を3人
の男性がが土をならし、そこに10人の女性が列をなして稗の苗をを植えていきま
す。小学生の時の教科書にあったような光景。日本では昔の話になった風景が今
ここにあります。

4、5日前にはSurajの実家に行って来ました。車で約1時間・歩いて30分。二つ
の川を板橋と人動ケーブルで渡って行きます。孫の顔を見て嬉しそうなお母さん。お
んぶで寝てしまっていた沙風菜も機嫌よく起きました。
畑を散歩。大きなきゅうりが(2〜3kgはある)なっています。インゲン、なすが実
を付けています。稗が育っています。2回目のとうもろこしが蒔かれています。畑の
端には果物の木。ニブワ、ジミル、スンタラ、どれも柑橘系の果物。ニブワは手の大
きさ程でラグビーボールのような形。どれもまだ熟しきれていなく酸っぱいです。
皮をむいて一口大に切って唐辛子と砂糖をまぶして食べるのがネパール流。
私達(スラジと妹2人と弟と沙風菜と私)のために、お父さんは朝、川で魚を捕り、
鶏を1羽しめました。日本のもち米とよく似たお米を砂糖を入れて炊いてくれます。
お祭りや大事なお客さんが来た時に炊くお米。今は両親と一緒に住んでいるSurajの
弟の奥さんが妊婦なので、時々炊いているそうです。「授乳婦が食べるとおっぱいが
よく出る」と前にもお母さんがポカラまで持ってきてくれたお米です。御馳走を戴き、
おしゃべりして帰って来ました。

1日はティージという女性のお祭りでした。(前号で一月後と書きましたがここで訂
正します)
女性の多くは実家に帰って、新しい服を着たりアクセサリーを身につけて着飾り、踊
るなどして楽しみます。レイクサイドではシバマンデル(まだ建設中)にたくさんの
人が集まり、私も行ってみました。
1kmほど離れたうちのゲストハウスにも音楽が聞こえてきて、道で会う人はみなそ
の音楽に引きつられる様にマンデルに向かっています。ゲートではチュラ(ブレス
レット)や果物、アイスキャンディーを売る出店が並んでいます。中ではステージで
音楽に合わせて女性がかわるがわる(1人ずつ)、マードル(太鼓)に合わせてゆった
りとで踊っています。普段着しか見たことのない近所の人が、きれいなサリーをまと
い大きなピアスをつけています。子ども達もおしゃれをしています。おばあちゃん・
娘・孫と3世代、4世代で来ている人も多く見られます。ステージのまわりは人盛
り。私もステージを一目見ようと近くに行ってみましたが、熱気に汗を掻き(沙風菜
を抱いてるのもある)、少し離れた木の下で曲を聴き過ごしました。私は普段着で
行っていたので、気後れした感もあるかな。
曲の中で「マイタ ラマイロ」というフレーズがよく聞かれるのですが、直訳すれば
「実家 楽しい」。みな、にこやかにこの日を楽しんでいます。


今日は沙風菜の1歳の誕生日会を親戚・友人を呼んで盛大に行いました。例のごとく
山羊を1頭買ってきておろしました。たくさんの人が来て沙風菜にティカをしてく
れ、お祝いしてくれました。現在夜の11時半。外では歌って踊っての輪が続いてい
ます。(沙風菜はもちろん寝ています。)この1年、病気もせず元気に育ってくれ
て、本当に嬉しいです。


さて、ポカラ通信ですが今回をもってしばらくお休み。来週、親子三人日本に行く事
になりました。誤字脱字・知識不足で間違っていたこともあったポカラ通信ですが、
長々読んでいただきありがとうございました。
今後、ブルーヘブンゲストハウスへのメールは同じアドレスjunko@mos.com.npへ(英
語でお願いします)。
スラジ&じゅんこ宛てのメールは(6日以後は)oosima@cyborg.ne.jpへお願いしま
す。


フェリ ベトンラ(また逢いましょう)

ポカラ通信29  2000.8.15

Namaste!
遅く蒔いたうちのとうもろこしの収穫も終わり、まわりの畑はひえを蒔く準備をして
います。

一昨日、今回来て始めての観光をしました。きっかけは先回通信に書いた『「自然史
博物
館」を見に行きたい。』っと言った事。ついでにポカラを一回りしようということに
なった。
学校が休みになってからうちに居るSurajの妹デブァキと、タラ(Surajが
ミティニのティカを交わした妹にあたる人とミティニのティカを交わした人・この人
も妹と呼ぶーこのようにして家族にあたる人が増えていくのです)と一緒に行きまし
た。2人ともこっちに住んでいるけれど観光スポットには行った事がないので、新し
い服に着替えてルンルン気分。Surajはお仕事。

まずは近いところから「ペワ湖のダム」へ。ゴーーっと大きな音に話し声も消えま
す。

次はその川を下ったところにある「パタレ・チャンゴ」。またの名をデビットホー
ル。200mともいわれる地下へ川の水が吸い込まれて行く。その水が飛沫となって
また上に上がってきて、私達の頭の上へ雨の様に降ってくる。雨季の終わりなので水
量も多く見ごたえがある。

その川の水が落ちていった先に洞窟があり神様が祭ってある。2年前に来た時には不
安定な階段が1つだけだったのが、今回はコンクリート製で2つに増えている。入場
料を払い、カメラも預けて行かなければならなくなっていた。観光客が増えてきてい
るのだろう。
暑い日だった事もあり、前の2つのスポットも涼しかったが、洞窟の中はことのほか
ひんやりしていい気持ちだ。

ニューバザールで沙風菜にりんごを1つ買い、かじりながら、オールドバザール(名
の通り昔は賑わっていたが今は世代も代わり店はわずか。建物が歴史を語ってい
る。)を通って「ビンドゥバシニ寺院」へ。(車でまわっています。)
ここは私達が結婚式を挙げた場所。ヒンドゥーの神々が祭ってある。天気がよいとこ
こからもマチャプチュレが美しく見られるが、今日は曇り。昼間なので観光客が3〜
4グループいるだけだ。ここに2年前のダサインというお祭りの最終日(結婚式)に
来た時には人がぶつかるように居たとは思えないくらい静かだ。

それから北へ向かって行き「マヘンドラ・グッファ」へ。ここも洞窟なのでとても涼
しい。暗くて水溜りにはまりながら歩いていても、抱かれている沙風菜は水が滴り落
ちてくるのが嬉しくってご機嫌だ。

道を戻って「セティー・ゴルジ」。セティー川が50mほどの深さの狭い峡谷を流れ
ている。橋の上からわずかに見える川を見下ろした。

そして「自然史博物館」へ。小さな建物だがカラフルな壁画や像で入り口は華やか
だ。最初の部屋にはネパールに生息する動物・鳥・植物が壁全体にかかれている。次
の部屋はアンモナイトや岩石の展示。遠い昔、ヒマラヤは海の底だった事を証明する
品々だろう。次の大きな部屋が昆虫の展示。50をこえる引き出しにはクワガタ、ト
ンボ、カマキリ、バッタ、見た事のない虫が標本がずらり。が、引き出しの80%は
蝶々。指の頭程の小さな物から、両手を使っても隠し切れない程大きな物まで。きれ
いな模様のものばかりではありませんが、羽根がギザギザしていたり細長かったり、
斑点が細かく並んでいたり…。うちに来る蝶々ももう少しよく観察してみようかと思
いました。

このあと「ベグナス湖は行かないの?」と言われ、雨が降りそうな雲行きになったの
で「帰ろう。」と言ってはみたものの「魚が美味しいんだよ」という言葉につられて
車を走らせた。
道の両側に広がる田んぼには稲が膝の丈ほど育っている。木の下では人々が腰をおろ
し、草原で牛や馬が草を食んでいるのが見らえる。
ベグナス湖はポカラで2番目に大きな湖。いつも見ているペワ湖より対岸までの距離
が長く、広々として見える。みんなで湖に足を突っ込みバシャバシャ遊ぶ。洞窟でつ
いた泥もきれいに落とした。
今日1日は洞窟や水の近くにいて自然の涼しさをいっぱい感じた。
魚のから揚げとスープ煮でお腹も満足。

帰りにバザールによって、レイクサイドでは姿を見ない蕨と根曲がり竹のような竹の
子を買い、夕食のタルカリに。

と、今回はポカラの観光編でした。
ハミ アスティ グンナ ガエカ ティヨウ (私達は 一昨日 観光していまし
た)


今日は「ジャナイプルニ」と呼ばれるネパールの祭日。姉や妹から男性に(聖なる)
糸を結んであげます。左手の手首と、左肩から右脇にかけての2本。そして、ささげ
豆やお肉を食べます。今日は男の人の祭り。一月後には女の人のお祭り「ティージ」
もあり、こっちの方が華やかで楽しいお祭りだそうです。

では、また。



ポカラ通信28  2000,7,28

Namaste!
日本から持って来たひまわりの種が、3ヶ月半で大きな花を咲かせました。
毎日何時間かは雨が降っているポカラですが、たまに雨上がりの空に虹が見られ、近
所の子ども達が「Rainbow!」と教えてくれます。
先日の月食はもちろんネパールでも見る事が出来ました。しかしその日が月食だと私
は知らなかったので、「何でつきがだんだん丸くなってるんだろう?」と不思議に
思って見ていたものです。

近所の畑のとうもろこしの収穫も終わり、あちこちでとうもろこしを干す作業を見か
けました。とうもろこしの茎の部分は牛などの餌になるのでしょう。リヤカーに山盛
り積むほどの量のとうもろこしの茎を背中に背負って運ぶ人の姿も見かけました。

庭には蝶々やトンボが飛んでいます。ネパール蝶々の種類が多い国だとは
聞いていましたが、うちにいるだけでもそれが解かります。モンシロチョウ、モンキ
チョウはもちろん、シジミ蝶、白に黒い柄の入った蝶々、黒と青の蝶々、茶色と緑色
の蝶々、黒と紫のアゲハ蝶・・・  沢山の種類が見られます。花の種類によっては
来る蝶々がいつも同じ。私は赤い房状の花に来る、白に黄色と赤の模様の入った蝶々
がお気に入りです。日本にいる時は蝶々はそれほど好きな昆虫ではなかったのです
が。
ポカラには自然史博物館といって沢山の蝶々の標本が展示してある所があるので、今
度行ってみようと思ってます。
トンボは赤トンボや糸トンボのようなものも見られます。夜になる鳴いている虫はコ
ウロギかな?
先週、庭に蛍が1匹飛んでいました。気持ちがきれいになる感じがします。

といっても昆虫がいていい事ばかりではありません。
アリも沢山の種類がいます。小さな茶色いのから1,5cm以上の黒い大きなものま
で。もちろん部屋の中にも入ってきます。ビスケットの袋の口を輪ゴムで止めておい
ても1時間もするとアリが入っています。ベットの上も這って噛むので、寝る前には
掃わ
なければいけません。先日沙風菜は大きなアリをつまんだら噛まれ、大泣きしまし
た。
ゴキブリもいます。特に夏のこの時期はすごい数。部屋の中にも飛んできます。トイ
レにも沢山。使いたくはありませんが、客室には殺虫剤を使わなければお客さんは泊
まってくれません。
ハエもいます。ハエが集ったからといって食べ物をよけていたら食べるものはなく
なってしまうでしょう。
昆虫ではないですがねずみも部屋にやってきます。悪さはしなく、遊んで帰って行き
ますが糞が臭いです。
先月は沙風菜の頭にしらみを見つけました。毎日洗っているのに。牛や犬を触るから
でしょう。聞いた事はあったのですが、初めてしらみというものを見ました。針の先
ほど小さくて地肌を這っているので見つけにくく取り難い。卵は髪の毛の根元にしっ
かりとくっ付いているので、これもまた取り難い。多くはいなかったのですが、1週
間ほど昼寝の時間はしらみ取りに専念。取り始めると集中して、あっという間に時間
が過ぎました。(今はありません。たぶん。)この前「カトマンズポスト」という名
の英字新聞に「ネパールの家族」として、野外で母子が座ってお母さんが娘の髪の毛
を触っている写真があったのですが、どう見てもしらみ取り。これをした事がないと
「ほのぼのとした風景だな−」と人は見るのでしょう。
私達の布団は大丈夫の様ですがベットにダニがいるところもあります。(これも昆虫
ではないですね。)5月に来た友人母子はあまりの痒さと子どもの体調がいまいちな
ので、日本に帰国してしまいました。

自然と共に暮すのは楽しい事ばかりではありませんが、全ての生き物が協調しあって
生きていけるといいです。

話は変りますが、ポカラでも1週間ほど前から毎日テレビで日本のNHKが見られる
よう
になりました。先月から時々1〜2時間ニュースだけ放送いたのですが、最近は特集
や街訪問のような番組も放送している様です。ネパールにも日本人の人口が増えてき
たのでしょう。初めてみた時は新鮮な気持ちでニュースを見ましたが、その後はご無
沙汰しています。いつ何の番組があるのか解からないし、外で沙風菜と遊んでいるほ
うが楽しいし、大きなニュースは新聞や友人のメール等でわかるし、今の生活とあま
りにもかけ離れた事が多いので。

では、また。



ポカラ通信27  2000.7.7

Namaste!

ペワ湖まで行く道の途中にコドムという名前の大きな木があり、今黄色い花を付けて
います。小さな花が小ぶりのオレンジ程に集まっていて、遠くから見ると「おいしそ
うな実がなっている」ように見え、初めて見た時には「食べれるの?」と聞いてし
まったほどです。

うちは庭が広めで嬉しいのですが、草は刈っても刈っても伸び、庭木はどんどん枝を
伸ばし、あっという間にジャングルになってしまいます。最近、庭に子牛が来て草を
食べてくれます。大きな牛や水牛は大事な木もすぐに食べてしまうので追い出すので
すが、子牛には菜園の野菜を食べるまでは居てもらってます。時々沙風菜を背中に乗
せたり、なでで遊んでいます。子牛も少しづつ大きくなってきました。

ポカラは先日3日間停電でした。ラインを変える作業のためだそうです。その3日間
はとて
も暑い日で、扇風機が恋しくもありましたが、少しでも風の吹いている涼しい所を探
してすごし(いつもそうですが)、夜はろうそくの明かりで過ごしました。停電は
しょっちゅうある事ですし、週に一回は節電のための停電が2時間あるので、何も慌
てる事ではありません。明日からまた3日間停電だと言う話もあります。今こうやっ
てメールが打てる事にありがたさが増します。

子どもがいるからか、散歩していても子どもの姿が目にとまります。
ある葉っぱの軸をポキッと折って、フーと吹くとシャボン玉が飛びます。
草笛を作って吹きます。
石ころをお手玉と同じようにして遊んでいます。
地面に枠を書いて、石を投げてケンケンしたりして何人かで交代して遊んでいます。
輪ゴムがいくつもくっ付いて毬のようになったのを足で蹴り上げて遊んでいます。
ある子を目隠しして誰かあってこしています。
鬼ごっこやかくれんぼのような遊びをしています。
子どもの頃が懐かしくなります。皆さんは子どもの頃どんな遊びをしてましたか?今
の日本の子ども達はどんな遊びが好きなんでしょう?
ネパールにもテレビゲーム(ビデオゲーム)やゲームボーイが入ってきつつあり、無
言で一人もくもくと遊んでいる姿も見かけました。経済的に豊かな家の子ですが、ど
んなどんな思い出が残って行くんでしょう…。

日本では今日は七夕。お天気はどうでしたか?ポカラは昨日からずっーと雨が降り続
いていましたが、夕方になって日が差してきて月が見え隠れしています。
では、また。

ポカラ通信26  2000.6.19

Namaste!
庭のすももの実が熟し始めました。二本のうち一本には毎日鳥たちが、わんさか寄っ
てきています。甘酸っぱくって美味。
ポカラは雨季。日本の梅雨と違って「じめじめうっとうしい」という日は少なく、昼
間は晴れている日が多く暑い毎日です。洗濯物も充分乾くので助かります。

菜園のきゅうりも実り始め、新鮮で一味違います。日本のものよりずっと大きい西洋
きゅうりです。レモンも色づき始めています。こちらは日本でお目にかかるものより
ずっと小ぶり。ミニトマトほどです。
道には焼きとうもろこしやさんが通ります。炭火焼で1本約10円。日本の値段を言
うと驚かれます。日本のスイートコーンの様に大きくて甘くはなく、実はしっかり堅
めで噛み応えがあり、とても美味しいです。レイシやマンゴやパイナップル、もちろ
んバナナ等、南国フルーツと言われる果物が旬を迎えています。日本にいるとポスト
ハーベスト農薬を考え、手にする事はなかったのですが、ここでは舌鼓を打てていま
す。

お祭り続きの乾季と相対する様に平穏な毎日が過ぎています。学校は学年末の休みの
ところが多く、となりの子ども達も朝に昼に夕にと沙風菜と遊んでいます。
2週間ほど前からハイハイし始めた沙風菜にみんなが喜び、「ハイハイしておいで」
と呼んでくれます。
こちらでは「バイバイ」をする時に赤ちゃんには「タッター」と声をかけます。沙風
菜も「タッター」と言いながら手を動かします。
「いない いない ばあ」は「マウ ジャー」。これは地方によって違う様で他の言
い方をした人もいたのですが、今ちょっと思い出せません。ちなみにチベットの人は
「クック クック 〜」と言ってあやしてくれました。

まわりの人がいろんな子育ての知恵を貸してくれます。
「朝起きてすぐに赤ちゃんの指を包む様に持って、息を吹きかければ、爪は切らなく
てもいい」
「甘いものを食べさせるとお腹に虫が沸く」または「風邪をひく」
「果物は少しだけ食べさせる。たくさん食べると体が冷える。」
昔からみんなが言い伝えているのだなあと感じます。「歯はいつ頃生える」「一語文
はいつ頃からで、二語文はいつ頃から」というのも教えてくれます。育児雑誌は要り
ません。

先日、お義母さんが来て「自分で食べられるように教えないと」と言って、食事の時
に大きいお皿を準備しました。それまで野菜やトーストは持たせて食べさせていまし
たが、お粥はスプーンで食べさせていました。大きいお皿にお粥をのせると…。結果
はもちろん、水遊びいやお粥遊びになって顔から頭から足の先までお粥だらけ。沙風
菜は楽しそうです。「手についたのを少しずつ食べていけば、だんだん食べられるよ
うになる」とお義母さん。私も手づかみ食べには基本的に賛成なので一日一回は食事
の後のシャワーが日課のこの頃です。
そう、これを読んでいる方はご存知の方が多いでしょうが、ネパールの食事・ダル
バートは手で食べます。最近街中の人はスプーンも使いますが多くは手です。そう思
うと普通の事。何日か経って少し口に入るようになりましたが、今までスプーンで食
べさせていたのでかなり根気が要ります。

近年のテレビの普及のせいなのか、若いお母さんやお父さんは「〜のベビーオイルが
いい」「ベビーパウダーがつけよう」「〜ミルク(ステップアップミルクのようなも
の)が栄養がつく」「歩行機があるから貸してあげよう」と言います。「一昔前に日
本もそう言う人が多かったけど今は…。」と話しますが、納得はしていない様です。
昔からの知恵は偉大です。
では、また。


ポカラ通信25  2000.5.27.

Namaste!
かっこうの雛が三羽、庭で飛行訓練をしていました。手のひらに十分乗るくらいの大
きさです。父親母親らしき二羽が近くで大きな声で鳴きながら励ましています。50
cm、1m、畑から木の枝へ、枝から枝へ、距離をのばしていきます。が、そのまわ
りではカラスの目がギラギラ。残念ながら、一日毎に雛の数は減っていってしまいま
した。最後の1羽はなんとか保護できないものかとも思いましたが、自然のなせるま
まが一番。しかし、かっこうの大きな鳴声が聞こえなくなった今日、少し淋しさが残
ります。

ここ何日か曇りの日が多いポカラです。
「夕立のような雨」から、「夜にしとしと、朝方しとしと、夕方しとしと」に変って
きた感じです。2、3日に1度は青空が2〜3時間見られますが、ヒマラヤは影を潜
め、ツーリストも何処へやら。静かなブルーヘブンです。

こんな時こそお散歩へ。と行きたいところなのですが、2週間ほど前に右足の甲にで
きた虫さされが化膿してちょっと人には見せられないほど。庭と隣の空き地を沙風菜
と一緒に毎日何度もまわっています。
といっても、水牛・牛・犬・猫・を始め、空には白い鷺のような鳥・カラス・イカル
等、そして隣のホテルの子ども達・お向かいのオーナーの赤ちゃん…とたくさんの仲
間が次々と現れます。最近は牛やカラスを見つけると目が釘付け。そして全身動かし
て喜びます。
こちらの人はみんな小さな子どもが大好き。老若男女を問わず、会う人みんなが声を
かけてくれます。日本では街中で子どもがぐずると煙たがれそうですが、こちらでは
みんなが「どうした、どうした」「お腹がすいたか」「ほら、このお花見てごらん」
となだめてくれます。抱いてくれます。沙風菜も近所の人の顔を覚え、みんなに抱か
れに行こうと手を伸ばします。親元には帰ってきたくない時も…。みんなに育てても
らっています。
遊びに来てくれる人の中に、昨年一緒にネパール語を習っていた千鶴ちゃんと息子の
仁君がいます。2週間前にネパールに帰って来ました。仁君は沙風菜と誕生日が8日
違い。出産予定日は沙風菜のほうが1週間早かったのですが、仁君の方がちょっとだ
けお兄さん。まだネパールに来て日が浅いので、まわりを警戒しているかのよう。で
も、ござの上に子ども二人を座らせると意識しあって手を出しあいます。「一年前は
お互い大きなお腹だったのにね」と時の経過に驚きます。

ここまで書いた翌日、久しぶりの雹が降りました。とても強い風を伴った夕立です。
その翌日の朝、(足の調子もよくなったので)散歩に出ると、あちこちの畑でとうも
ろこしが倒れています。塀を越えるほど背が高くなって実を付け始めたところだった
のに、隣の畑では8割方が根元から横たわっています。あまり影響を受けていない畑
もありましたが、雹というよりは強風の影響でしょう。回復できるのか。これで生計
を立てている人を思うと心配です。
これからどんな雨季が来るのでしょう。はじめて6〜8月をネパールで暮らすじゅん
こでした。

では、また。

ポカラ通信24   2000.5.7

Namaste!
今夜は星がきれいに輝いています。
日本では北斗七星とカシオペア+αぐらいしか星座も知らないし見られないのです
が、こちらで夜空を見ていると、昔に星達に名前を付けた人達の気持ちが自分の中に
も湧いてきます。

4月前半にずっと曇っていて見られなかったヒマラヤの眺望が、4月下旬から3日に
2日はきれいに見られ、このゴールデンウイークに来た人達は「日ごろの行いがよ
かったわ」と喜んでいます。

もちろん雨季に近づいているので、夕立のような雨も降ります。10日ほど前はピン
ポン玉ほどの雹が降り、芝生の上をポンポンとはねていて映画のワンシーンの様でし
た。
昨日は雷をともなった夕立。ピカッ!と光ったと思ったら赤く燃えるような光と共
に、ドォーン!とすぐ近くで音がして、思わず沙風菜を抱きしめていました。かなり
近くに落ちた様子。その直後から6時間ほど停電でした。あまり出歩かない事もあっ
て、何処に落ちたかは今日になってもわかりませんが、耳に入ってこないという事は
大きな被害はなかったのでしょう。


今日までのここ数日は、日本人のお客さんが何人も泊まっていました。
旅の目的は様々。連休を利用して1週間ネパール滞在の男性一人旅・女性3人連れ、
ネパールは4回目で親しくなった人達に古着や使わなくなった玩具を渡しながら1〜
2ヶ月旅をしている年配の夫婦、ポカラの近くの村にボランティアとして参加するた
めに来ていて休養に1日ポカラに滞在する方、ネパール・インド1ヶ月1人旅の女
性、アフリカやタイを経由して半年以上日本を離れている男性。
ある時は”ネパールの太鼓のたたき方ををSurajが教えていたら夜がふけるまで
歌え踊れの1夜”になったり、またある時は”他の国の援助で建てられたネパールの
学校の様子を教えていただいた”り、またある時は”みんなに沙風菜と遊んでもらっ
た”り、またある時は”アフリカの太鼓・ジャンベの音色を楽しませてもらった”り
と、いろんな時間を過ごしました。
皆それぞれポカラでの一時を楽しんで旅立っていったよう。ありがとうございまし
た。

これからはそろそろオフシーズン。例年ならインド人が暑さを逃れてネパールにやっ
て来るのですが、今年は数ヶ月前にあったハイジャック事件の影響でネパール〜イン
ド間のフライトが極端に少なくなっていて、ほとんど姿を見かけません。どんな雨季
が訪れるのか…。


先月庭の東屋で巣作りをしていた雀達は、あっという間に卵がかえって虫をせっせと
運んでいて、「日に日に雛の鳴声が大きくなってきたな」と思っていたらもう巣立っ
てしまいました。親よりもひとまわりだけ小さな・柔らかそうな羽根の雀が3羽、
木々の間を飛びまわっています。
雀の成長の速さには負けますが、沙風菜もこのひと月でスタッフや近所の人達の覚
え、抱いてもらおうと体を向ける様になりました。食べられるご飯の量も増
え、お座りして手の届く半径が長くなり、ちょっと目を離すと近くの洗濯物やごみを
口に入れようとしていてドキッ!とします。うつ伏せ姿勢で前に行きたいのに後ろに
下がってしまう姿や、お座りしてリズムをとるようにおじぎをする姿がかわいいで
す。日焼けもしてネパリっぽくなったかな?

では、また。



ポカラ通信23  2000.4.13

Namaste!
夕立のような雨が緑を美しくしてくれ、ヒマラヤの山を見せてくれます。
しばらく顔を見せなかったアンナプルナ。ここ2,3日美しい姿をあらわしました。

西暦2000年4月13日
ネパール歴2057年のお正月でした。昨年は4月14日だったのですがうるう年の

係でしょうか。
12日23時を過ぎた頃から、歌いながら練り歩いている人々の声が聞こえます。
何処かでカウントダウンをするのでしょう。
朝が来て、「A Happy New Year!」「一年寝てしまった。起きたら新しい年
だ。」等と挨拶しています。

ここ数日はあちこちで結婚式が開かれています。あさって(21日)までは結婚の
シーズン。それを過ぎると結婚式にふさわしい日が秋までないそうです。ふさわしく
ない日に結婚すると幸せになれないと信じられています。日本の「大安」「6月の花
嫁」等と似
ているかな。気候的に考えてもこれからは雨季になるのでふさわしくない様に思いま
す。
おとといは友人の結婚式に行き、今日は親戚の結婚式と、近所に住むここのオーナー

血筋の娘さんの結婚式。Surajは昨日から後者のほうの結婚式の準備にかかりきり。
私達の時もそうでしたが、親戚・友人・知人がみんなで集まって準備をします。
朝から飾り付けの買い物に行き、うちのスタッフは庭で買ってきた三角の色紙で飾り
(万国旗の様なもの)作り。昼からは男達が集まって山羊3頭を料理します。皆手慣
れたものです。私がそのお家にお邪魔すると(わけのわからない私は手伝いにならな
い)、ゲートにはバナナの木が2本立てられ、その奥にもバナナの木が約2m四方に4
本立てられています。その中には練った土で太陽や月・手・魚・どじょうのような生
き物等の模様が書かれています。上には毛糸で編んだ飾りが飾られています。お寺に
行かない場合はこのような祭壇(?)を作って式が行われるようです。当日にはさら
にこの絵の上にチョオクで模様が書かれていました。
部屋に入ると花嫁になる方が、手にメヘンディ(といわれるヘナを溶いたもので模様
を書くお
化粧のようなもの)をしてもらっています。近所の子ども達や友人がその作業を静か
にじっと見守っています。花や木・葉・つたをイメージしたような模様です。絞りだ
し袋のようなものを作ってその中にヘナを入れ少ーしずつ書いていきます。ここだけ
は静粛な時間が流れていきます。
準備は夜まで続けられ、私から見るとあわただしい感じ。日本人的な感覚(ひとまと
めにしてはいけないが)からすると、「あらかじめ計画を立ててもっとスムーズに準
備すればいいのに」と思うのですが、ずっとこうやってきた人達から見れば当たり前
の事。なんてったって結婚する5日ほど前に相手に会って結婚するのですから。そう
です、親が決めた結婚。恋愛結婚はまだまだ少し。
こうやって考えていくと、バタバタと準備するのは納得できてきます。私達の時のよ
うに何ヶ月も前から結婚の日にちが決まっていても、あらかじめ準備する習慣がなけ
れば慌ただしかったのはしょうがなかったのかと今になって思います。
その分、事が決まれば皆が集まってくるから凄いです。特に親族は繋がりが強いで
す。

1週間ほど前、Surajの親族のピクニックがありました。ポカラから30分ほどバス
で移動した滝の見える広場。お父さん方の親戚・お母さん方の親戚、ほぼ100人
弱。これでも一部。Surajの両親も兄弟もこの日は欠席した事からみても全部が集
まったら凄い数でしょう。よく見ると以前にお会いした顔がちらほら。surajから見
た曾おばあちゃんもいます。沙風菜は初めて会う人ばかり。たくさんの人・特に子ど
も達に抱いて遊んでもらいました。
ピクニックのなかみは、例のごとく山羊を1頭買ってきて料理します。いつもここか
ら始まるので集まってから食事までの時間は5、6時間はかかります。その間、手の
空いてる人はおしゃべり。
子ども達の中でも大きい子達はお楽しみゲームの準備をしています。この日は小さな
風船をたくさん膨らませ、紐を着けて足に縛って、踏み合いっこ。
食事の後は、また例のごとく太鼓を叩いて、歌を歌って、踊ります。沙風菜は嬉しそ
うにキャーキャーと声をたてて、手足をバタバタ。もう何年かしたら、みんなの前で
踊るかな?

1〜2cmの雹が降り始めたポカラからでした。(トタン屋根はかなりうるさいよ−)
では、また。


ポカラ通信22  2000.4.10

Namaste!
アンナプルナ内院はラリーグラスが満開。トレッカーがいっぱいです。
うちのG.H.の菜園はカリフラワー、青菜、きゃべつ、たまねぎ等が太陽の日差しを
いっぱい浴び、昨年よりも立派になっています。隣の畑にはとうもろこしが15cm
ほどに成長しています。

今回日本から来る時、舎爐夢ヒュッテの臼井さんの義父さん・栗山さんと友人の谷口
さんと来て、荷物持ちをしていただきました。栗山さんは一昨年の12月に来て、今
回2度目のネパール。前回アンナプルナの地図を購入して、とても精巧なヒマラヤの
模型を作って、今回私達にプレゼントに持ってきてくださいました。見る人見る人歓
声をあげ、「どうやって作ったの?」(板状の発泡スチロールを標高線に合わせて重
ねていって仕上げてあります)と「これはネパールに1つしかない。すごい。」と
山々を見ます。これを見ながらトレッキングのルートを考えると、いやー楽しい。栗
山さん、ありがとうございました。

4日に30km離れた山のほうから、Surajのお母さんがやって来ました。私達が帰っ
てきた事を知らず、ポカラの病院に見てもらうために来たのですが、孫を見て大喜
び。ニコニコ顔です。沙風菜のために、ご飯を炊いてくれたり、一緒に庭を散歩した
り、たくさん遊んでくれます。
日本では、お粥とつぶした野菜、豆腐や白身魚、野菜のスープなどを食べていた沙風
菜。私は昔の職業がら「ネパールの人はどんな離乳食なのかなー」と興味深く義母さ
んのする離乳食作りをおしゃべりしながら見ていました。
お米とダルを細かくしようと、ミキサーにかけようとしたのですが、その日は日中停
電で電気がなかったので、そのままお水をたくさん加えて炊き、お塩でちょっと味付
けします。あずき粥のようなものができあがり、スプーンの背でつぶしながらあげま
した。時々コップで水を飲ませます。翌日は、キッチンに行くとお米とダルが既に一
緒に粉末にされていて、鍋に沸かしたお湯に少しづついれてゆるゆるのソバガキのよ
うなものを作ってくれました。昼にはそれにポン菓子(米の種類が違うだけで日本の
ものと同じ)をつぶしていれていました。
沙風菜はどれも口をよく開けおいしそうに食べます。

ここではオムツの習慣がなく(している子もまれにいるが)、暑い日中は沙風菜もパ
ンツにしました。おしっこの間隔も長いので、始めのうちは時間をみてさせれば成功
しました。が、毎回はそうともいかず、私の服もぬれます。こっちの子達はおしっこ
をすればはいているズボンを交換して、床をサッサッと拭いておしまいです。

何日かはこうして過ごしたのですが、沙風菜の便がゆるくなりました。
私は1番に「ダルが合わなかったかな」と思ったのですが、義母さんは「いや違う。
冷えたから
だ。体や頭に油も塗らないし、始終帽子もかぶってなければ」と言います。日本では
冬だったけれど薄着で過ごしてきた沙風菜。お母さんが来てからは朝夕日本にいたと
きよりも重ね着をして(させられ)、靴下もはいていたのですが。
義母さんは火を炊き始めました。(時は日が落ちた夕方です) お母さんは焚き火に
手をかざし温まった手を沙風菜のお腹や背中に当て、何度も何度もそれを繰り返しま
す。沙風菜は泣いていたけれど、これがホントの”手・当・て”なのだろうと思いま
した。
確かに日中オムツを外したのも急に冷えたのかもしれないと思い、翌日からはオムツ
に戻しました。義母さんは私の意見を尊重してくれたのか、ダルをいれずにお粥を炊
こうといってくれました。
もともとずっーと機嫌はよかったので心配はしてなかったのですが、その後調子はい
いです。ご心配なく。

義母さんは1週間近く滞在していたので、お家の方はいいのかなー思っていたのです
が、今日帰って行かれました。「明日か、あさってまた来る。」と言って。やっぱり
孫はかわいいようです。「お乳がいっぱい出るように牛乳やダルをいっぱい食べなさ
い」「赤ちゃんのためにいいお米や油(体に塗るための。耳にも入れる)を持ってく
る」とも。
国は変っても同じ事もいっぱいあって、育児雑誌がなくってもきちんと語り伝えられ
ている子育ての知恵をこれからも教えてもらおうと思います。全部は取り入れられな
いと思いますが。(沙風菜は半分は日本人なので。)

長くなってしまい、お疲れ様でした。
では、また。


ポカラ通信21  2000.4.2

NAMASTE!
お久しぶりです。
3月29日、ネパールに帰って来ました。
ポカラはぎらぎらと太陽が照り付けています。まだ寒かった日本から春を飛び越えい
きなり夏です。
日本との時差は3時間15分なので、7ヶ月になる娘・沙風菜も私も、時差ぼけはほとん
どなく元気に4日目を迎えています。
10が月ぶりのポカラは里帰りした時と同じようにヒマラヤ・アンナプルナが間近に見
え、新緑が萌え、赤や黄色の花がたくさん咲き、鳥が鳴き、牛が歩いています。
ゲストハウスのスタッフは入れ替わりがありましたが、東屋のすずめ達は同じ所に巣
作りをし、卵を抱く準備をしています。

人見知りを始めていた沙風菜は、4ヶ月ぶりに会う父親Surajにやっぱり泣いてしまい
ましたが、日に日に慣れていっている様子。ネパールの人々はみんな子どもが大好き
で、会う人みんなから声をかけられ、抱っこしてくれます。日本から来る時には、1
週間ぐらいは親子ともにクタクタになるかと思いましたが、みんなにかわいがられ心
配も吹っ飛びました。沙風菜は知恵熱が出るのではないかと思うくらい沢山の人に会
い刺激を受けていますが、これまではずっと機嫌がよく、ちょっとたくましくなった
様にも見えます。ポカラでの初めての夜、蚊がいたのですがそのまま寝てしまい、沙
風菜の顔には虫刺されのあとが10個も出来てしまい、それがまた野性味をあふれさせ
ているのかもしれません。翌日には蚊帳の繕いをして、ベットを囲みました。
文さんと1歳2ヶ月の銀河君、美佳さんと4歳の娘・美菜ちゃんにも早速会え、嬉しい
再会です。昨年うちのゲストだった美恵ちゃんもポカラにいて、楽しいネパール暮ら
しの再開です。

不定期な、沙風菜の成長日記のようなポカラ通信になりそうですが、今後ともヨロシ
ク。
不要な方はこちらまでご連絡ください。







Namaste! ポカラ通信20  ’99.5.17

街路樹の花が藤色からオレンジ色になりました。何気なく植えてあるように見えま
したが、季節毎に花が楽しめる様(赤ー黄ー藤ーオレンジ・・・)に植えられてい
たのです。大きな木が多いので、随分以前からその道を人々が楽しみ、木も人々を
見てきているのでしょう。

先回の通信に書いた東屋はこんな風に作られていきました。作業にはうちのスタッ
フと向かい隣のお父さんに職人さん2人ほどが加わりました。
鉄の棒を買ってきて、それを切断し組立てて柱の骨を作り、それを立てて、それぞ
れ周りにトタンや木の板の囲いを作り、砂や石を運んできて水で練ってものを流し
込み、乾かして柱を作ります。
太い竹をその上に組み、3、4つに裂いた竹を細かく細い竹で縛っていき、屋根の
骨組みを作ります。この作業は、向かい隣のお父さんやスタッフも大きく加勢、み
んな鎌・竹を操る手さばきは慣れたもの。倒れた東屋の解体の時の藁を束にして行
く手さばきも素晴らしかった。みんな以前にそれぞれの家庭の生活の中で、家族総
出でこれらの作業をしていて、身についているのでしょう。
その上に藁を葺いていきます。これはほとんど職人さん。何処からかのアドバイス
で、途中途中に外から見えない様にビニールを挟んでいきます。大きな針(竹製)
に針金を巻き付け、裂いた竹を藁の上から縫うように押さえつけていきます。山の
ようにあった藁が、見る見るうちに屋根の上へと移動して行きます。
と、あれよあれよと東屋復活!
が、まだ続き。おとついの夜、大雨が降りました。翌朝、東屋の中は水がいっぱい
したって落ちてきている。見掛けはよかったが、これでは困る。以前の東屋はビニ
ールも入れずに、大雨にも雨漏りなく、素晴らしい働き振りだったのに。いい職人
が少なくなってきているのかも。「東屋の内側にビニールを張ろう。」と言う考え
が私には納得がいかず(もはや、その時点で青いビニールシートが20Mも買われ
ていたが)、葺き直し(葺き足し)の方向で考えようと思っています。

以前東屋に巣を作っていた雀夫婦。出来上がったその夕方から姿を見せました。初
日はキョロキョロと見まわしていて、「前の雛と巣を探しているのかな−」などと
私も感傷的になりました。が、翌日からは藁を蹴散らかして巣作りを始めました。
どうらやまたここに居ついて子育てを始めるようです。この雀達の為にもいいかた
ちで雨漏りを抑えたいです。

雨が降るようになってから、雨の合間にヒマラヤの山々がきれいに見られるように
なりました。2月からずっと霞んで見えなかったので、「やっとポカラらしくなっ
た」と、眺めています。11〜12月頃に眺めていた時とは、日の昇る位置・暮れ
る位置が違うので、その時間帯の山の表情も異なっています。以前にはあまり気に
かけなかったところが、美しく見えたりもします。
ペワ湖には緑が映って、爽やかな風が吹き、小鳥の声が響き、ヒマラヤの山々に見
守られているポカラは、やっぱり素敵です。

さて、20回目のポカラ通信となりましたが、私・じゅんこは、出産のため日本に
里帰りする事になりました。そのため、ポカラ通信はしばらくの間お休み。ポカラ
通信21を送ることができるのを楽しみにしてるので、皆さんものんびり待ってて
ください。

このメールアドレスはBlue Heaven Guest Houseに、今ま
でどうり通じます。が、しばらくは日本語が理解できる人が居ないため、英語でよ
ろしくお願いします。尚、大島順子へのメールは近いうちに日本にてアドレスを作
りますので、ご連絡をお待ち下さい。

では、また。


Namaste!
街路樹の花が藤色からオレンジ色になりました。何気なく植えてあるように見えま
したが、季節毎に花が楽しめる様(赤ー黄ー藤ーオレンジ・・・)に植えられてい
たのです。大きな木が多いので、随分以前からその道を人々が楽しみ、木も人々を
見てきているのでしょう。

先回の通信に書いた東屋はこんな風に作られていきました。作業にはうちのスタッ
フと向かい隣のお父さんに職人さん2人ほどが加わりました。
鉄の棒を買ってきて、それを切断し組立てて柱の骨を作り、それを立てて、それぞ
れ周りにトタンや木の板の囲いを作り、砂や石を運んできて水で練ってものを流し
込み、乾かして柱を作ります。
太い竹をその上に組み、3、4つに裂いた竹を細かく細い竹で縛っていき、屋根の
骨組みを作ります。この作業は、向かい隣のお父さんやスタッフも大きく加勢、み
んな鎌・竹を操る手さばきは慣れたもの。倒れた東屋の解体の時の藁を束にして行
く手さばきも素晴らしかった。みんな以前にそれぞれの家庭の生活の中で、家族総
出でこれらの作業をしていて、身についているのでしょう。
その上に藁を葺いていきます。これはほとんど職人さん。何処からかのアドバイス
で、途中途中に外から見えない様にビニールを挟んでいきます。大きな針(竹製)
に針金を巻き付け、裂いた竹を藁の上から縫うように押さえつけていきます。山の
ようにあった藁が、見る見るうちに屋根の上へと移動して行きます。
と、あれよあれよと東屋復活!
が、まだ続き。おとついの夜、大雨が降りました。翌朝、東屋の中は水がいっぱい
したって落ちてきている。見掛けはよかったが、これでは困る。以前の東屋はビニ
ールも入れずに、大雨にも雨漏りなく、素晴らしい働き振りだったのに。いい職人
が少なくなってきているのかも。「東屋の内側にビニールを張ろう。」と言う考え
が私には納得がいかず(もはや、その時点で青いビニールシートが20Mも買われ
ていたが)、葺き直し(葺き足し)の方向で考えようと思っています。

以前東屋に巣を作っていた雀夫婦。出来上がったその夕方から姿を見せました。初
日はキョロキョロと見まわしていて、「前の雛と巣を探しているのかな−」などと
私も感傷的になりました。が、翌日からは藁を蹴散らかして巣作りを始めました。
どうらやまたここに居ついて子育てを始めるようです。この雀達の為にもいいかた
ちで雨漏りを抑えたいです。

雨が降るようになってから、雨の合間にヒマラヤの山々がきれいに見られるように
なりました。2月からずっと霞んで見えなかったので、「やっとポカラらしくなっ
た」と、眺めています。11〜12月頃に眺めていた時とは、日の昇る位置・暮れ
る位置が違うので、その時間帯の山の表情も異なっています。以前にはあまり気に
かけなかったところが、美しく見えたりもします。
ペワ湖には緑が映って、爽やかな風が吹き、小鳥の声が響き、ヒマラヤの山々に見
守られているポカラは、やっぱり素敵です。

さて、20回目のポカラ通信となりましたが、私・じゅんこは、出産のため日本に
里帰りする事になりました。そのため、ポカラ通信はしばらくの間お休み。ポカラ
通信21を送ることができるのを楽しみにしてるので、皆さんものんびり待ってて
ください。

このメールアドレスはBlue Heaven Guest Houseに、今ま
でどうり通じます。が、しばらくは日本語が理解できる人が居ないため、英語でよ
ろしくお願いします。尚、大島順子へのメールは近いうちに日本にてアドレスを作
りますので、ご連絡をお待ち下さい。

では、また。


ポカラ通信19 ’99.5.8

Namaste!
皆さん、どんな連休を過ごされましたか?ポカラには5月の声と一緒に、雨がやっ
て来ました。
例年より長雨がつづいた昨年9月。そして雨が降らなかった3、4月。雨が降り出
したと思ったら、毎日、毎夕方降るこの1週間。雨季と乾季がある国だとはいって
も、いつもとは違う様。異常気象は、やはり世界規模なのでしょうか。

街の埃が随分とれて、緑が輝いています。車が通っても砂埃がたたないのは、とて
も嬉しい。昼間は晴れていて夏の日差しですが、4月より過ごしやすいです。洗濯
も充分可能です。
が、空が暗くなってきて、「ゴロゴロ・・・」と言う音が聞こえたら、要注意。洗
濯物を取り込む間にも、雨が落ちてきます。

5月1日は、とてつもなくその間が速かった。晴れていたのから雨が降るまで、ホ
ンの数分。そして、大風の気配。日本の台風の前のように、外のある飛んで行きそ
うな小物を大急ぎで片づけ、いつも憩いの場やレストランに使っている東屋の下に
、庭のテーブルやバイクをしまい込みました。
そして、それぞれ屋根の下に潜り込み、空を見守ります。私とスラジは2人の部屋
の中。屋根がトタンなので雹が降ると「バタバタ」と大きな音がします。窓から外
を見ると木々が大きく揺れ、そして東屋までもが揺れています。(かなり大きい横
風だなー)と思うと同時に、部屋の屋根の端が5cmぐらい持ちあがり、バタン・
バタン。2人で「ウワッ−!」と、顔を見合わせた後にまた外を見ると、ナ・ナ
ント、あ・あの東屋が見事に倒れているではありませんか!唖然!
うちに来た事がある方はご存知だと思いますが、竹の柱・藁葺き屋根の、みんなに
気に入られていた、あの東屋です。
我に帰って、スラジは東屋の下敷きのなったバイクの救出に向かいます。スタッフ
のみんなも雨の中出動、男手5,6人で屋根を持ち上げます。手間取りつつも、な
んとか救出。大きな損傷はなさそうです。が、雨の降り始めにしまい込んだテーブ
ル(プラスチィック製)の1つは、見事にバキバキに壊れました。こんな事になる
のなら、庭に出したままにしておけばよかった。でも、この東屋に人が居なくてよ
かった、よかった。
人は大丈夫でしたが、被害に遭ったのは東屋の屋根の中に巣を作っていた雀。春の
求愛から交尾・巣作り…と、ずっと見守ってきた雀です。その雛の1羽が巣から落
ちてしまい、巣の中にはあと2羽の雛がいたのです。最近になって、巣の材料の鳥
の羽根や干草に混ざってバッタや小さな虫を運んでいると思っていたら、鳴声こそ
聞こえなかったのですが雛が産まれていたのです。雛には人間が触らないほうがよ
いと思いつつも、巣に親が来れない(屋根の内側に巣がある)ので、スタッフ達が
再び屋根の下に潜り、雛と巣を取り出し、藁葺き屋根の一部に庇を作って置いてや
ります。ですが、親雀は餌を加えて飛びまわり・鳴くばかり。次の日まで親雀は辺
りを訪れましたが巣までは来ず、とうとう雛達は冷たくなってしまいました。東屋
はつぶれてしまってもまた作れますが、命は取り戻せない。残念です。
翌々日から、早速、東屋の解体・建築(?)が始まりました。昼間の日差しは強い
ので日陰は必要不可欠。もちろん雨のときにも屋根が必要。それに憩いの場。竹の
柱はとっても気に入っていたのですが何度も壊れられては大変なので、今回はコン
クリートで作ることになってしまいました。屋根は藁葺き。どんな風に出来上がる
のやら。

昨日、ダムサイドにある「キシモトスクール」に行って来ました。この学校は兵庫
県・宝塚市に住んでいる岸本康弘さんが貧しい子ども達のために建てたもの。
岸本さんは1歳の時、風邪による高熱で脳性麻痺となり、手足が不自由になりまし
た。岸本さんは今年の夏で61歳。養護学校なども整備されていなかったので、就
学年齢になっても学校に通った事がありません。「勉強せんといかん。頭はしっか
りしないといかん。」と口癖だった彼のお父さんが「父さんが死んだら、おまえも
死ね。」と言って他界したのが、8歳の時。「何くそ、どっこい生きてやる」と、
通信教育で高校卒業資格を得、立命館大学の通信制課程を卒業。印刷工場を営み、
詩集を出版しながらお金を貯めた。94年にネパールを訪れ、時計の読めない少女
に衝撃を受け、せめて母国の言葉で読み書きが出来るようにとの思いから学校の建
設に至った。建設費・今の毎月の必要経費は、岸本さんのわずかな貯金と友人のボ
ランティア基金でまかなわれているそうだ。
昨年秋に、旅行者から学校・彼の事を聞き、2、3度会いに行きました。力強く話
をしてくれます。不自由な体ですが、次々と仲間が現れ車椅子を押し、散歩に出か
けます。
5〜6ヶ月ぶりに彼がポカラに来ていると聞いていたのですが、テレビ局の取材グ
ループを引き連れてきているようだったので、少し待って訪ねてみました。行く途
中∈\\LD@帰宅する子ども達にすれ違ったので学校は静か。岸本さんは取材やその日

午前中にあった職員会議で疲れてみえましたが、言葉の端々に学校への思いを強く
持っているのがとても伝わって来ました。
6月23日夜 10:00〜 テレビ東京系列の番組の中で彼のことが放送される
予定だそうです。チェックして見てください。

今日はそれほど長く雨が降らず、晴れて星空も見られます。
では、また。

ポカラ通信18  ’99.4.23

Namaste!
バザールへ抜ける道の街路樹に、藤色を濃くしたような色の花が沢山咲いています
。時期的に日本の藤の花を思い出させます。花壇の花も次々に咲いて、順に種にな
り、いっぱい取りました。来年使えるといいな。庭のバナナ(の実)も日に日に大
きくなります。片隅にとうもろこしを少し植えたのですが、それもすくすく育って
います。

今日は久々に夏のような日差し。日陰で35℃を越えています。前回の通信の後、
2、3回小さな雨が降り、更に昨日2時間ほど降って、木々の埃も取れました。最
近は水道の水も来るようになり、一安心。しかしもう1ヶ月もすると雨季。雨を喜
んでいられるのも今のうちなのでしょう。

ポカラも4月になって旅行者は随分少なくなりました。3月には日本人の学生が連
なる様にレイクサイドにいたのが嘘の様。それでも雨季前のトレッキングを楽しむ
人や、インドより過ごしやすいので移動してくる旅行者がいます。ポカラからは今
だ、ヒマラヤの山々が見えない日が続いていますが、トレッキングは景色もよく、
とても楽しめるようです。

ネパール全体は10日後の選挙が一番の話題の的。議会制民主主義も10年に足ら
ないネパール。「今、カトマンズ(ネパールの首都)は危険だから気を付けろ。」
と聞きます。昨日は交通機関を始め商店(ツーリスト街を除く)もストライキ。よ
いネパールになって欲しいが、私のように選挙権もなく移動もしず家に居るような
人間にとっては、ストの日も特に困る事もなく、排気ガス・埃の少ない静かな1日
に過ぎない。いいのか、悪いのか。

2週間ほど前に、秋に1、2ヶ月仲良くしていた旅行者・彩ちゃんがインドから帰
って来ました。時を同じくして女性1人旅の日本人が何人か訪れ、Blue He
aven G.H.は憩いの場になっています。みんなでトランプをしたり、日本
食やデザートを作って食べたり、日ごろ又は行った国で感じた事・思った事を話し
合ったり・・・。先日、みんなでバスに乗ってバザールまで買い物に出かけました
。女性ばかりなのでアクセサリーを見たり、あっちの店・こっちの店とゆっくり買
い物が出来たり、アイスを食べたりしました。私は布屋さんに行って生地を選び、
ネパールのブラウス・チョロを作ってもらいました。笑顔の素敵な女性が上手に仕
立ててくれ、満足。ゲストハウスに置くクッションのカバーの生地もみんなに選ん
でもらい、チクチク縫っています。3日前、日本に居るとき美容院でアシスタント
をしていた佐智子ちゃんに髪を切ってもらい、今日は「ヘナ」という天然のトリー
トメント剤(30ルピー:60円)を髪に塗ってもらいました。日本の美容院でし
たら何千円コース。「ヘナ」を塗った後は夕方まで大きな大仏のような頭で、知っ
てるゲストの前以外は出ないように部屋の近くで過ごしています。(今、現在、そ
うです。)痛んだ髪も元気になりそう。
ここで会う人は皆それぞれいろんな経歴を持っていて、ある・好きな事を詳しく知
っていたり、出来たり(楽器が引けたり、歌えたり…)、そして、伝えてくれ、楽
しいときを過ごせるのが嬉しいです。私に語学力があれば世界中から来るゲストと
楽しいときが過ごせるのですが。

今いる人ももう少ししたら次の場所に出かけたり、日本に帰国したりします。でも
、また逢えそう。明日はみんなで手巻き寿司パーティーをしようと計画中。もちろ
ん、生魚はないので卵やきゅうりのサラダ巻き風ですが、何よりみんなで食べられ
るのが美味しいのです。一人で日本食を作って食べても味気ないものです。楽しみ

では、また。


ポカラ通信17  ’99.3.23
Namaste!
庭の花壇は花盛り。小さい苗を植えたのが12月末なので3ヶ月で目覚しい成長ぶ
りです。同じ頃、私の部屋の前に種を蒔いたカモミールも、沢山の花を付けました
。毎朝庭を一回りすると、顔や心にも花が咲きます。
うちの近所を歩いていても、沢山の花に出会います。赤くて小さな花をいっぱいつ
けた花、白くてラッパみたいな花、鶏の鶏冠を大きくしたような花、日本では見た
事がなかった花がいっぱいです。植物園の温室のよう。と思うとカタバミ、カラス
ノエンドウ(小さいのでスズメノエンドウかもしれない)、ハコベも咲いています
。見慣れた花を見るとやっぱり落ち着いた気持ちになります。
今日は、桑の実がなっているのを見つけました。子ども達が集まって採っています
。昨年は日本に居る時に食べ損なったので、ポカラでの一年ぶりに味わう甘酸っぱ
さ。私も子どもと同じように指先が紫に染まりました。

花は咲いてくれるのですが、ポカラはとても乾燥しています。前回お伝えした雹が
降ってからというもの雨が降っていません。砂埃が舞い、街の木々も埃っぽく、人
の肌も乾燥してます。シーツを洗って水をしたらせながら干しても、一時間もあれ
ば乾いてしまいます。ここ一週間は国営の水道もほとんど水が来ません。もともと
夜しか来ないのに。ゲストもいるので、大きなタンクで水を持って来てもらって買
っています。ネパールでは朝の水汲みから一日が始まるのが普通の家庭なので、水
道があったり、水を買っている私達は観光地のポカラならでは、特殊と言えるでし
ょう。水のありがたさを感じる一週間です。
近所ではとうもろこしが植えられている畑もありますが、うちの小さな菜園は耕し
たっきり。今咲いている花に水をあげてしまうと畑まではまわりそうにないので、
一〜ニ雨来て土が少しは湿ったら再開したいですが、雨季が来るまでに何が作れる
かな。
というポカラの街ですがタルカリ屋(八百屋)には夏野菜が並んでいます。ナスに
きゅうり、ズッキーニ、ニガウリ、真っ赤な大きなトマト。果物屋にはスイカが並
び始めました。今日の昼(朝?)はニガウリのタルカリでダルバート。久々の味に
食欲がでます。

この乾燥からか、ヒマラヤの山々が霞んで見にくいです。昨年の今ごろは、昼から
曇っても朝のうちはきれいに見えていた様に記憶しています。ここ3日は一日中全
く見えず、近くのサランコットの丘さえ見にくい状況です。「1週間のネパールの
旅で、ヒマラヤを見にポカラに2〜3日来た」人々がほとんど見られずに帰ってい
くのは、残念です。ですがトレッキングから帰ってきた人に聞くと、いい天気で山
も見えていたそうです。私は気象に関して知識がないのですが、そんなもんなので
すね。
アンナプルナは今やラリーグラスが満開。今月はツーリストが多い時期でもあり、
この噂を聞いてトレッキングに行く人もいます。一月末に日本から来た私の友人も
この時期(ラリーグラス満開)めがけて6日間のトレッキングに行き、プーンヒル
からの朝日の眺めも最高で、温泉も入ってきて、とってもいい顔して帰ってきまし
た。嬉しい。

この友達がカトマンズ経由で東ネパールへ、一ヶ月ほど居たお産をした家族(ユウ
コさん・アルノさん・息子麻瑠君〔ー前回体重を大幅に書き間違えました3400
gで誕生です。ごめんなさい〕・ユウコさんの両親)が以前借りていた街からちょ
っと離れた家に移って行き、一日中ほとんどおしゃべりで終わっていたような生活
も一区切り。かと思ったら、私が1シーズンお世話になった舎爐夢ヒュッテのホー
ムページを見た人と出会って(写真と同じ顔をしてたので声をかけてくれた)遊び
に来てくれたり、昨年仲よくなったゲストの人のアパートの後輩が来てくれたり、
ダムサイドの学校で子ども達に人形芝居を見せている旅人が会いに来てくれたりし
ました(先の友達とこの学校で出会い、私のことを少し話しに聞いて訪ねてくれた
)。つながって、つながってます。
1週間前からロイヤルネパール航空がストライキをしていて飛行機が飛ばず、ユウ
コさんのお母さんが帰れずに居ます。お父さんは2週間前に帰っていて、日本語し
か出来ないお母さん1人がカトマンズに行っても手続きは大変。ユウコさんが赤ち
ゃんと一緒にカトマンズまで行けないし、夫のアルノさんはフランス人で日本語は
できないので困っていると、ポカラのオフィスの人が出来る限りの事はしてくれた
り(これは当たり前と言ってしまえばそうですが、他のお客にはカトマンズに行け
と取り合ってくれない)、カトマンズに行った友人が何度も電話をくれて頼りにな
る知り合いを紹介してくれたり、フライトを変更して父親が帰国までたどり着いた
友人が情報をくれたりします。前の話とはちょっと違いますが、ここでも人のつな
がりや人の優しさを感じました。まだ、帰国に結びついていませんが。

ストライキがよい状態で早く終わりみんなが無事移動できる事と、雨が少しでも降
ることを願いつつ・・・。(夕方から雨風っほい風がが吹いて期待したのですが、
まだのよう)
では、また。

Namaste!ポカラ通信16  ’99.3.2

畑では所々に堆肥が置かれ、牛が鋤を引き耕していきます。
10日ほど前、朝は晴天だったのに夕方直系1cmもある雹が1時間ほど降り、び
っくりしました。翌日の山の綺麗な事。最近霞んで見えていたので、久々に惚れ惚
れと眺めました。ネパールではゲンコツほどの雹が降る事もあり、それによって牛
や人までが大きな怪我や時に死に至ることもあるそうで、そうなると翌朝の景色を
楽しみにするのみにはいかなさそうです。1cmの雹であっても、庭の花壇の花の
頭を随分と折られてしまったのですから。
レイクサイドでは日本人の若者の姿をとても多く見かけるようになりました。トレ
ッキングに出かける人も増え、山の中ではラリーグラス(しゃくなげ:ネパールの
国花)が咲き始めたようです。

3月1日は’ホーリー’というお祭りでした。(毎回、お祭り報告のようになって
しまってるなー。)春の到来を祝います。
赤や青、黄色、緑といろんな色の粉を買い、何人かのグループになってそれぞれが
少しづつ粉を持ち、出会った人々にその粉をかけたり、つけたりしながら街を練り
歩きます。最近はペットボトルやバケツ、水風船に色水を作って入れ、それを人々
にかけたりもします(水に溶くための色の粉まで売っている)。ティカの延長線上
のもので、この日ばかりは外を出歩いてこの粉や色水をかけられても文句は言えま
せん。汚れてもいい服を着て外に出るか、家から1歩も出ないかのどちらか。昨年
は前者でスラジやその友達と色お化けになって楽しんだ私も、今年は後者、お留守
番役。
祭日なので仕事が休みの友達が来て、午前中はみんなのんびりとおしゃべりをして
いたのですが、1つのグループが乗り込んで来てみんなに粉をつけていくと、「よ
し、僕達も!」とばかりに粉を買いに行きます。色水を作りボトルに入れて、ツー
リスト2人を交えてみんなが粉と色水を持ち、まずは自分たちでかけあって、いざ
出陣。1時間ほどして帰って来たときには、全員の肌の色・服の色がどす黒いレン
ガ色に変っていました。(いろいろな色が混ざりすぎて赤とも青とも言えない色に
なっている。)そしてほぼ全員が卵を頭に割られていて、それが更に乾いて固まり
凄まじい姿になっていました。みんないっぱいはしゃいで、満足顔。1時間の様子
を話してくれます。ツーリストのカメラにその姿を納めた後はシャワー。みんなサ
ッパリです。その後、第2弾をしている人々が来た時には、顔にちょっとのティカ
だけで気を治めてもらいました。
人によってはかなり暴力的に粉を付けて行く人もいるようです。でも相手を選んで
いて、うちに泊まっている筋肉隆々の大柄な人達は外出しても全く色を付けられず
、睨んだだけでみんなが逃げていったといいます。そして日本人はやられ易いよう
です。
お祭りに選ばれている日は日柄もよいようで、近くでは結婚式があり1日中音楽隊
が演奏をしていました。民族によっては今日ホーリーを行う人達もいるそうで、街
を歩くと時々ティカだらけの顔をしている人を見かける事もありました。

今回もおめでたい話題をもう1つ。年始に出会った由子さんという女性が2月23
日に男の子を出産しました。2400gの元気な赤ちゃん。彼はフランス人で二人
ともネパール大好き人間。予定日よりも1週間早い出産だったけれど、出産3日前
には日本から彼女の両親も到着していたので、赤ちゃんも早くみんなに会いたかっ
たのでしょう。出産直前と退院後の彼女達・彼女の両親がうちに泊まっているので
、赤ちゃんの話しや初めて海外旅行をする御両親の印象・体験談を聞いたりの楽し
いおしゃべりが毎日尽きません。新しい命の誕生に皆心踊っています。彼女の出産
で私もネパールの病院事情にも少し強くなりました。前回の通信に書いた銀河君も
すくすく成長しています。私のお腹の赤ちゃんもきっと元気に育っているでしょう

では、また。


Namaste!ポカラ通信15  ’99.2.17


新緑が目に鮮やか。昼間は25℃近くまで気温も上がり、長袖を着ていられない程
暑くなりました。
2月14日、日本はバレンタインデーで盛り上がっている頃、こちらではシヴァ・
ラートリーというお祭りがありました。ヒンドゥー教の神様シヴァ神を祭り、寺院
は沢山の人々であふれかえります。街でもティカをした人を多く見かけます。いつ
も現れるサドゥー(行者)も、この日の足取りは軽く、何処かしら笑っている様で
す。シヴァの愛好していた大麻(ガンジャ・はっぱ)がフリーになるのも特徴の一
つ。「今日はみんな吸わなければいけない」「バングラッシィー・ガンジャケーキ
を食べよう」と言う人から、「今夜は1人で出歩いては行けない。恐ろしい目に会
うぞ」と注意を促す人まで、ヒンドゥー教徒であっても考えは様々です。
近くの大きな公園では3日間お祭りがやっていて、「ナマステバンド」という人気
グループが出演するというので私も友達と行ってきました。「1〜2時頃に歌う」
と聞いて行ってみたものの拍手も起こらないようなバンドの演奏が続き、久々のア
イスなどを食べながら出番を待っていたものの、しびれを切らして5時過ぎに会場
の外に出たとたんにナマステバンドが登場し、会場は一気に総立ち。悔しいと思い
つつももう1度入場料を払う気にはならず、外から眺めつつ帰ってきました。
日が暮れ始めると、道のちょっと開けた所でファイヤーが始まります。沢山の薪と
さとうきびが用意され、暗くなった頃から人々が集まってきてさとうきびを買い求
め、火で熱し始めます。5分ぐらいよーく焼いたところを’いくぞいくぞー’とば
かりに振りかざし道に打ちつけます。すると
『バーン!!』
というとてつもなく大きな音をたててさとうきびが弾けるのです。次から次へと「
バーン!」「バーン!」と鳴り響き、最初は驚くだけっだたのが、耳も慣れてくる
と壮快な感じさえします。そして程よく温まったさとうきびをみんなで分けていた
だくのです。何でこのような事をするのか何人かの人に聞いてみましたが、知って
いる人はいませんでした。昨年もこの時期にポカラにいてこのお祭りに出会ったの
で今年で2回目。昨年はサトウキビをもらって食べました。が今年は食べそびれま
した。というのはもう一つこの日に嬉しいお祝いがあって、そちらに駆けつけてい
たからです。
そのお祝いというのは、結婚式。去年の暮れに知り合った日本人女性がネパールの
人と結婚する事になったのです。彼女(のぶさん)は1週間後に日本に帰らなけれ
ばならないので、その前に式だけ挙げようと急きょ執り行われました。2週間前は
「12日」といっていたのですが都合がつかず、本人も「いつになるか解からない
」と言っていたのが、「今日の夕方になった」と昼前にのぶさんがうちに来て告げ
、びっくり。この日は’日が良い(日本でいう大安)’そうです。日本の結婚式の
計画性から比べると凄い違いですよね。のぶさんに言われていた夜7時にお家へ行
くと、丁度寺院から帰ってきたところ。のぶさんは真っ赤なサリーに身を包みとっ
てもきれい。彼(ビサールさん)もいつもよりすっきりしていて一段とカッコよく
見えます。二人並んで座ってみんなからティカを受けます。のぶさんは4ヶ月前の
私のように「えっ、どうするの?こうするの?」と戸惑いながらティカを受けてい
ます。私の立っていた場所からは大きな声を出さないとのぶさんに聞こえなさそう
だったので(ビデオもまわっていたし)声をかけられませんでした。でも何回か受
けると様子もわかってくるので大丈夫。自分の結婚式を懐かしく思い浮かべました
。しばらくして落ち着くと、のぶさんと話したり、ネパリの知人と楽しくおしゃべ
りしたりして過ごし、ダルバートを御馳走になりました。私にとっては1ヶ月半振
りのダルバート。でも、美味しく頂けたのでそろそろダルバートもOKかな。
帰り道にさとうきびを楽しもうと一緒に行った友達と思っていたのですが、時既に
遅し。すっかり終わって、レイクサイドは閑散としていました。
もう一つおめでたい話。
レイクサイドででオーロラレストランをしている文ちゃんが1週間ほど前、男の子
を出産しました。お母さん(文ちゃん)も赤ちゃんもとっても元気。赤ちゃんの名
前は銀河君。3700gを越える大きな赤ちゃん。今日お家に行って会ってきまし
た。とってもかわいくて私の印象はお父さん似。この10日間文ちゃんのお母さん
とお姉さんが日本からたくさんのオムツ・ベビー用品を持ってきてくれ、文ちゃん
も安心して過ごせたようです。家族みんなとっても幸せそうでした。
では、また。

Namaste! 1999.2.7

庭の木の枝に、やわらかな黄緑色の新芽が芽吹き、桃の花のようなかわいらしい花
が咲きました。
こちらでは、「プス パンドラ ラマウネ。マガ パンドラ ガマウネ。」という
言い伝えがあります。「12月31日から(日が)長くなる。1月30日から暖か
くなる。」と言う意味。日が長くなったのはもう少し後になってからだった気がし
ますが、1月下旬からは、昼間は汗ばむほど暖かくなりました。庭の花壇の花も咲
き始め、もう(すぐ)春です。
3ヶ月近くかかってネパールでの結婚の手続きも終わり、やっとノンツーリストビ
ザになりました。と言っても月20US$もビザ代を払わないといけないのですが。
この間、スラジはカトマンズとの往復を何度もし、ポカラ・カトマンズのあちこち
のオフィスに1人1人のサインを貰うために何日も張りつきました。手続きを終え
た人に聞いてはいたものの、やっぱり時間がかかりました。日本の様に紙1枚で終
わりだったらいいのに。まあこっちでもネパール人同士だったらこんなに面倒くさ
くはないのですが。ほとんどの手続きをスラジが担ってくれたので、私は最初と最
後のサインをしに行ったのとカトマンズに1度行っただけでした。感謝感謝。1月
末にスラジがノンツーリストビザを取りにカトマンズへ行ってくれた時は、丁度私
の幼なじみの友人(明代ちゃん)とその友人(倫ちゃん)がネパールに来る日と重
なり、お迎えが出来ました。うまく出来ているものです。(以前臼井さん一家が来
てくれたときも丁度カトマンズに手続きに行っているときだった。)すごい。
友達は、はじめそのままポカラに来る予定だったのですが、「チトワン国立公園の
草が刈られて、動物がとてもよく見える。シーズンだ。」と言う情報が来国の2、
3日前に入り、スラジとその友達と一緒にチトワンに行きました。サイ、鹿、孔雀
、口を大きく開けたワニなど見られることが出来、とても楽しく過ごせたようです
。その後、ポカラに来てからは一緒にサランコットに行ったりしながらのんびり過
ごし、倫ちゃんは1週間の休暇で来たので日本に帰り、明代ちゃんは時間に余裕が
あるのでそのままポカラに居ます。快晴続きではなかったものの、サランコットに
行ったときなどポイントポイントでは晴れ渡り、楽しめた様で(もちろん私も楽し
い)嬉しいです。また、ここしばらくはダルバートが食べられない私のために日本
から海苔や佃煮など食べ物も沢山持ってきてもらえ、とても助かってます。
明代ちゃんはその後、もう1人の日本人男性とスラジと一緒に、ダンプスまでショ
ートトレッキングに行きました。行く前3日間は1日中曇っていたので、天気が気
になっていたのですが行った日の朝から2日間快晴。朝日も夕日も、満天の星の夜
空(細かい星もよく見え、オリオン座を探さなければいけないほど)も楽しめ、と
ってもいい顔をして帰ってきました。私も行きたかったのですが、しばらくはお家
でお留守番。仲のよかった長期旅行者がインドやカントリーサイドに行った後も、
日本語がしゃべれる環境に変わりなく、春休みに入った学生達が旅を始めているポ
カラです。一緒にネパール語を習っていた友人が10日後日本に帰る事になったの
で、授業も一旦おしまい。後は、私のやる気にかかっているのですが、ハハハハハ
…。
では、また。

Namaste! 1999.1.17.

曇った日の翌朝は山が真っ白。青い空にとても鮮やかです。
日本では正月休みが終わって、通勤・通学時の朝の寒さが厳しい事でしょう。

申し遅れました。明けましておめでとうございます。
といってもこちらではネパール歴(今は9月)が強いので、あまり盛り上がりませ
ん。ここポカラはツーリストの街なのでHappy New Yearのゲートが出来たり、1
2時のカウントダウンに花火が上がったり(花は咲かない)、ツーリストとの新年
の挨拶の言葉は交わされます。もともと日本でも初詣に行ったことのなく、最近は
マヤンカレンダー(西暦の正月は6月)を見て過ごすようになってきた私は、寂し
くは思わないのですが、とりあえず日ノ出をゲストと一緒に眺めました。そして、元
日に行った村祭り(たまたま元日に重なって催されただけ)で食べたダルバートの
ご飯がモチモチしていてすこし餅っぽく、正月の気分にしてくれました。その日帰
ってくると友達(以前登場した水島さん一家)から電話があり「蕎麦や日本食を作
ったからみんなで食べに来て」というお誘いに日本人ネパール人7,8人でお邪魔
しました。ネパールの新蕎麦を家庭で石臼で引いて打って作ってくれたものです。
刻み海苔もかかっていてわさびもあります。その他野菜のてんぷらや鶏・魚のから
揚げ、干ししいたけとかんぴょうが煮て作ってある御寿司、なます、ハリハリ漬け
、八つ頭の煮物、お酒(これはネパールのロキシー)、最後は玄米茶と大御馳走。
そんなにお腹がすいてなくて行ったのにモリモリ食べました。ん〜やっぱり日本食
は美味しい!

しかし、翌々日から体の調子が悪くなりました。はじめは吐き気がし、頭が痛くて
だるかったのでつわりだろうと思っていたら、夜になると下痢を伴うようになり2
、3日続いたので病院に行きました。確かにつわりもあったのですが、「お腹に小
さな虫がいる」と診断され、「チニゾール1000」と言ういかにも殺虫剤という
ような薬を貰い、仕方なく飲んだところ瞬く間に治り、今は随分元気を取り戻した
私であります。この間の1週間は今回ネパールにきて初の苦しみでした。何もする
気になれないのでほとんど寝どうし、寝正月です。食事ではまずはじめにダルスー
プの匂いに吐き気を覚え、次にインディカ米の炊けた匂いがだめになり、辛い物も
控えたほうが良いのでタルカリと呼ばれるカレー味の炒め物も食べられず、結果的
に今まで1日2回食べていた「ダルバート」が食べられなくなりました。下痢もし
ていたので油物も控えると食べられるものが極端に減ります。それ以前に食欲がま
るでなかったのと作る元気もなかったので、「何を食べる?」と聞かれても作って
もらって食べられるものがなかなか思い浮かばず、インスタントラーメンとオレン
ジジュースと後何かちょっと(年末に日本から来た臼井さんに貰ったインスタント
味噌汁等)で何日かをしのぎました。
今は、少しは食欲も出てきて、それに自分でご飯が作ることが出来ます。カトマン
ズで「ゲストが病気になったら何か作ってあげよう」と買っておいた日本米が大活
躍。初日は豆ご飯と大根の煮物を炊いて、「やっとご飯にありつけた!」という感
じでした。友人がカトカンズで買ってくれた味噌としょうゆ(共にネパール産)と
昆布だしがあるので、いろいろ作れそうです。と言っても野菜に限りがあるし(今
はジャガイモとカリフラワーを体が拒否するので、大根と菜っ葉、キャベツ、たま
ねぎぐらい)、肉や川魚はぶつ切り骨付き状態で売られているし高いし、少量では
買えない(買いにくい)ので、ご飯と親が持ってきてくれた梅干、レパートリーの
少ない野菜料理と卵料理です。一緒にネパール語を勉強している友達も同じからだ
の状態なので、何が作って食べられるか、日々話し合っています。今月末に日本か
ら友達が来てくれるので、いろいろ持ってきてもらおうと思っています。ついこの
間までは日本食をほとんど恋しいと思わず友達に持ってきてもらうものも何もない
と思っていたのに、凄い変わりようです。でももともとこちらに来る時から食事は
作ろうと思っていたので(ダルバートが美味しく飽きなかったので流れていたが)
、初心に返っただけです。
私が病院に行った日からスラジは結婚の手続きのためにカトマンズに行ってしまい
1週間帰って来れなかったので、私は淋しかったのですがスラジは私の情緒不安定
に付合わされずによかったのかもしれません。(手続きをはじめて2ヶ月以上経っ
たがまだ終わらない。)
とにかく、大きな波はおさまり、元気になったじゅんこです。ご心配なく。

今回は病気報告のようになってしまい、お見苦しく失礼しました。こんな日記のよ
うなポカラ通信と語学の弱い私ですが、今年もよろしくお願いします。
では、また。

Namaste!    ’98.12.24
お日様が出ている時はとても暖かいのですが、日が落ちるととたんに足元から冷え
てきます。今夜は庭で焚き火(Fire)をして暖をとり、体がとても温かです。
今日はクリスマスイブ。日本の街は賑やかで、友達同士・恋人同士・家族でケーキ
を前に歌を歌っているのでしょう。このメールを読んでいる方で、二日酔い・ケー
キの食べ過ぎで気持ち悪くなっている方はいませんか?ここ、ポカラでは私達の近
くにクリスチャンもいないので、静かないつもとなんだ変わりのない1日です。ツ
ーリスト向けに、レストランやビール会社などがパーティーを企画したりしていて
、ツリーが飾られていたり、チケットが出まわったりしてはいます。皆さんは、ど
んな1日でしたか?
12月中旬に3ヶ月共にすごした長期旅行者の家族(美鳥ちゃん一家)がカトマン
ズに行きました。彼らと入れ替わる様に、昨年私が働いていた舎爐夢ヒュッテの家
族が逢いに来てくれました。舎爐夢ヒュッテの事を美鳥ちゃん一家に話していたの
で、彼らはカトマンズで入国した舎爐夢一家を迎えてくれました。みどりちゃんの
おばあちゃんは舎爐夢一家に昨年インドで会っていたので再会です。縁があるもの
です。
久しぶり(半年ぶり)に臼井家(舎爐夢一家)に逢う事が出来、ポカラの空港では
自然と涙が出ていました。朋子さんのお腹は妊娠で大きくなっていて、子ども達(
仁君・愛美ちゃん)の背も高くなっていました。おじいちゃん(朋子さんのお父さ
ん)も思いきってきてくれて、一年ぶりにおじいちゃん独特の温かさを感じました
。健二さんはいつも素敵な臼井さんです。「思っていたより綺麗なところだ」とい
ってもらえ、ホッとしました。愛ちゃんは1日目は「この人誰だった?」と私を指
しても「知らない」と言って、お母さんの足の後ろに隠れていましたが、2日目か
らは「じゅんちゃん、じゅんちゃん。」に戻ってくれました。おじいちゃん、臼井
さん、仁君はノーダラからサランコット・ポカラまでの1dayトレッキングを楽しみ
ました。愛ちゃんは3日目から調子を崩しましたが、病院とチベタンビレッジのヒ
ーラーのような人のところに行って診てもらい、帰る頃には随分元気になりました
。1週間、みんなでのんびりとポカラを楽しめたようで嬉しいです。
臼井家と入れ替わる様に、日本人のゲストと伊藤一家が訪れました。伊藤一家は安
曇野の北・大町を東に入っていった八坂村に住んでいます。今年6月に八坂村に住
む友人の家を訪ねたところ、「近くにネパールの女性が日本人と結婚して住んでい
て、友達だから紹介してあげる」と言われて出会ったのが伊藤一家(等さん・Sherpa
...Jangmuさん1才半のユリカちゃん)です。5年ほど日本に住んでいるJangmuさん
は普通の日本人のように日本語を話し、顔・姿も日本人と同じなので、うちにいたゲス
トの日本人は彼女を日本人と間違えるほどです。夏に会ったときに「年末にポカラ
に行くので会いに行く」と言っていたのですが、まわりにいつも日本人がいてくれ
たので来る事を、思い出す事がなく過ぎていたので、びっくり・嬉しい再会です。
私の周りにはこの4ヶ月・いつも日本の素敵な人達がいてくれて、日本にいるみんな
とはEmailでお話も出来るので本当に寂しくなく過ごせれています。今年は私が始め
てネパールを訪れた年であり、surajに逢った年であり、沢山の素敵な人々に逢った
年であって、とても素敵な・心豊かな一年でした。皆さん、今年1年ありがとうござ
いました。楽しい年末年始(休暇?)をお過ごし下さい。
では、また来年に。


ポカラ通信11 ’98.12.5
Namaste!
パインユーと呼ばれている日本の桜にとても似ている花が咲いています。畑に菜の
花も咲いていて、冬になるというのに昼間は早春のようです。

10日ほど前から、ネパール語の教室に通い始めました。こちらに来たばかりの9
月には独学でテキストを開いていたものの、結婚式のあとからサボっていたので、
気合の入れ直しです。近くのホテルに滞在している日本の女性(千鶴さん)と一緒
にです。彼女も来年の3月ぐらいまではここに滞在するので、長期コース。日本語
で教えてもらえるので(先生はネパール人。スラジの日本語の先生と同一人物です
)、とても解かりやすいです。
始めの2、3日は独学の成果もあり楽チンだったのですが、この2日間は1〜10
0までの数字の暗記で、ついていくのが大変です。日本語の様に1〜10まで覚え
れば、それを繋げて出来るというものでなく、ある程度の規則性はあるものの微妙
に発音が変わり50〜100まではほとんど暗記の世界です。日本の数え方の様に
30(さんじゅう)+1(いち)が「さんじゅういち」という表わし方でなく「い
ち、さんじゅう」という順番で言うと31になる所も違います。50は「パチャー
ス」1は「エク」なのに51は「エカウンナ」になります。スラジは「覚えなくて
も英語でいい」といいますが、とりあえず一回は覚えてみようと思います。使って
ないとすぐに忘れてしまうでしょうけれど。
数字以外は日本語と語順が同じなので、その点はとても嬉しいです。例えば「あな
たの名前は何ですか。」だと、「タパイ(あなた) コ(の) ナム(名前は) 
ケ(何) ホ(ですか)」となります。
ネパールも日本同様、英語が日常の単語になっているものもあります。スクール、
チケット、レストラン等、多少発音が違ったりしますが英語で通るものもいくつも
あります。まーここ・ポカラは観光地なので充分英語だけで暮らしてもいけるので
すが。英語が出来れば。英語が苦手な私にはネパール語はとっつきやすいです。

2日前、近くの長期旅行者と誕生日会+フルムーンパーティーをしました。お料理
好きな彩ちゃんが5日前からチャンという濁酒に似たネパールの地酒を仕込んでく
れて、日本人好みのカレーとバフチリ、スープ、サラダ、お浸しを午前中から着々
と準備し、食事も豪華。チャンはお店で飲むものよりもかなり美味しく出来ていま
した。美鳥ちゃんの7ヶ月の誕生日とそのお母さんの11日後の誕生日、彩ちゃんの
13日後の誕生日、に加えて、たまたま誘った千鶴ちゃんのホテルに泊まっていた
智恵子ちゃんが、丁度その日誕生日で、賑やかな宴でした。満月もとても綺麗に見
える夜で、焚き火をしながら月見をしました。
この日スラジは、1年半前に一緒にトレッキングに行った二人の日本人が再度訪れ
てくれ、御指名のガイドでダンプスに泊りがけで行き、一緒には楽しめませんでし
たが、ダンプスで飲んで歌って楽しい夜を過ごしたそうで、よかったよかった。

毎回、繋がりがない通信になっていてすいません。
では、また。

Namaste!1998.11.10.
2日前にとった庭のパパイヤは、完熟。見事な美味しさでした。最近はジョムソン
という山の上から真っ赤なりんごが飛行機でポカラに送られてきます。このりんご
を食べて私はネパールりんごを見なおす事になりました。普通に売っているりんご
は、日本で言えば「あーはずれたー」と言う味なのですが、このお山のりんごは美
味しい!とっても甘い!満足です。やはり、寒いところで作ったほうが甘いのです
ね。南国のフルーツと寒い地域のフルーツが輸入でなく両方楽しめます。
うちの周りのコド(シコクビエ)も収穫の時期を迎え、毎日何所かで女性が何人か
で刈り取る姿が見られます。秋です。

私のまわりには日本からきた素敵な人々がいます。今回何人か紹介したいと思いま
す。
先ずは、トットちゃん、うどんこさん、美鳥ちゃん一家。長期旅行者です。美鳥ち
ゃんは、先日6ヶ月の誕生日を迎えたばかり。インド生まれのふくよかな男のこで
す。最近ハイハイを覚え、部屋の中を動き回っています。毎日お父ちゃんの弾くギ
ターの音やお母さんの歌声を聞いているので、太鼓等の楽器にとても興味がありま
す。彼らが散歩をしているとあちこちのネパール人やチベット人が声をかけてきて
、抱いて遊んでくれます。服や帽子、アクセサリーを作って、くれたりもします。
このあたりではちょっとした人気者です。その分少しの距離の買い物に行くのにも
、とても時間が必要です。
彼らはいろんなことを感じる力が強く、心を見透かされているように思うこともあ
ります。また、周りを幸せにしてくれる感じもします。
私達の結婚式にもとても良くしてくれました。日本人の結婚式なんだからと、赤飯
をたくさん炊いてみんなに振舞ってくれました。次の日には楽しい事をやろうと夕
方ギターを持ってきて、何が始まるのかなと思ったら、結婚行進曲を弾いてくれま
す。結婚式(披露宴)日本バージョンの始まりです。Surajはこの曲を聞くの
も初めてで、何人もの日本人に見られているので(出席者は彼らと私の両親、友達
、旅行者3人と私達)終始恥かしがっていました。その後思いつくままに「二人の
紹介、三三九度、両親の持ってきてくれた日本酒で乾杯、友人のスピーチ、『乾杯
・てんとう虫のサンバ』を歌い、父親の長唄、両親への言葉、両親からの言葉」な
どをして、盛り上がりました。前回報告したように、日本人には次に何が起こるの
か解からなかった結婚式だったので、とても訳のわかる結婚式はなんて良いものな
のだろうと思ったのは私だけでなく、両親も深く心に残る物だったに違いありませ
ん。彼らがいなかったらこんな素敵な時を持つ事はできなかったでしょう。とても
感謝しています。
その後もずっと近くのゲストハウスにいるので、いろいろおしゃべりしたり、相談
に乗ってもらったり、美味しいものをつくって食べたり、(美鳥ちゃんと)遊んだ
りして、今の私にはとても大きな存在です。トットちゃんのお母さんにも1度会っ
たのですが、ものすごくエネルギーを持っていて、常にプラス思考で、周りの人に
もエネルギーを与えてくれる人でした。今はインドに行っていて、一家も半月ほど
したらインドに行くそうです。

今週、もう一組家族に出会いました。
最初に友達になったのは7歳の銀河君。私も久しぶりに体力を使って遊びました。
その後お母さんの佐藤さんと眠りから覚めた3歳の萌真ちゃんとおしゃべりしまし
た。それから毎日銀河君はうちの宿に遊びに来てくれます。(最初に遊んだ日の夜
から熱が出たのでダイナミックな遊びは出来なくなりましたが)お父さんは日本に
おいてきて3人の旅です。チベットに2ヶ月程居て、ヒッチハイクでネパールに渡
ってきて一ヶ月、もうすぐ日本に帰るそうです。チベットで子ども達は一度風邪を
引いたそうですが、「風には蓮根」と蓮根料理で治ってしまったそうです。その他
にも「腫れにはあの草、傷にはこの草」と知っています。銀河君は小学校に行って
はみたものの、「あれしなさい。これしなさい。」と命令され、理由を尋ねても納
得できる答えは返ってこない日本の学校に馴染めずにいるようです。萌真ちゃんは
物怖じしないやりたがりや。おしゃべりや素振が大人をオッと言わせるほど的を得
てたりします。

今回は家族特集にしましょう。
歩いて30分ほどのところにある水島美佳さん、3歳の美奈ちゃん、Deu Gu
rungさん一家。ネパール人のお父さんは、カトマンズに用事で出かけていて未
だ会えていません。4年前に結婚して2人で日本に行って、2ヶ月前に帰ってきた
そうです。田んぼを買ったのでしばらくは農業をして暮らしていくそうです。美奈
ちゃんはとーても恥かしがりや。人に触られただけでも悲しくなります。もちろん
おしゃべりは家の中だけ。そとでは寡黙にネパールを観察しているようです。でも
自分のうちでネパールの歌「レッサン フィリリ」がかかると踊って歌い出すお茶
目な子です。お母さんは娘にパンケーキを焼いてあげたりお芋を蒸かしたり。その
時も母のそばを離れません。早くお友達が出来るといいねー。長いお付き合いにな
りそうです。

うちのゲストにも楽しい人はたくさん居ますがまたの機会に。
では、また。

こんにちは、じゅんこです。1998.11.5
11月3日が過ぎ、平日は一桁になってきましたか?
といっても、やる事はいっぱいで、事務・会計仕事もやらなければいけないし、忙
しくしている事でしょう。桑の葉っぱは、今年もあっという間に落ちましたか?朝
、霜は下りていませんか?
こちらも寒くなってきて、朝は布団から出たくなく、夜はジャケット、靴下が必要
です。朝露もとても多くなりました。
そんな寒い日の夜中でも、昨日は満月だったので、湖にボートでくりだす日本人が
、たくさんいます。私達は庭から眺めて「綺麗だねー。一ヶ月たったねー」と語り
ました。

おじいちゃんも来ると聞いて、とても楽しみです。みっちゃんはバリとか暖かいと
ころに行くのかな?朋子さんの体調はいかがですか?
私の両親の来た時を考えると、おじいちゃんは環境も変わって食べなれないものが
続くと身体が無理をしてしまい、疲れてしまうでしょう。環境はどうしようもない
事が多いですが、食事は何とかできます。が、こちらで手に入るのがキッコーマン
のしょうゆぐらいです。梅干は両親が持ってきてくれたものがたくさんあります。
  臼井さんは毎日ダルバートでもいいでしょう。
環境も、停電をするうちの宿より、1泊100ドルででっかいプール付きの豪華な
ホテルに(ここ何年かで2、3件建っている)泊まる事で解消できる場合もありま
す。ご検討ください。

欲しいものを考えました。花・野菜の種、しいたけの菌(こちらで木に打ち込めば
育つと思うので)、朝・夕にかかってると気分のよさそうな曲(か歌)のテープか
CD。空港で解かると没収されてしまいそうなものばかりですね。
持ってこれそうだったらお願いします。
Surajに聞いてみると、「(独身のスタッフのために)年頃の女性をつれてき
て」と冗談で終わってしまいました。本人は本気で言ったのかもしれませんが。

ところで、「下村きみこ」という人を知っていますか?サイババのアシュラムで逢
ったと思われるのですが。何度かメールの中で出てきた長期旅行者の夫婦(結婚式
に赤飯を炊いてくれたり…)のお母さんです。私も一度逢いました。細身のとても
元気のいい女性です。その夫婦の赤ちゃんが耳切れしている事からアトピーの話に
なり、彼女がお母さんから「アシュラムでアトピーが治った子がいた」という話を
聞いていたのです。きみこさんは現在、1ヶ月半前からアシュラムに行っています

また、ポカラで貧しい子どものために学校を開いた岸本さんという人(身体が不自
由で車椅子で生活しています)が、うちの宿に泊まっていたゲスト(拓ちゃん)と
共に2週間ほどアシュラムに行き、拓ちゃんがおとといポカラに帰ってきたので、
最近よくサイババの話が出ます。

では、また。

Namaste!1998.10.29
朝夕は寒いと思わせる程涼しくなり、とても過ごしやすくなりました。
大きなお祭りが終わり、皆、通常の生活に戻っています。

うちのゲストハウスでもやっとみんな仕事をする気になり、芝を刈ったり(草刈機
がないので植木バサミと鎌でこつこつと刈っています)、レンガで花壇を作ったり
、ツーリストも増えたのでお迎えに行ったりと、頑張っています。刈った芝は近所
の牛を飼っている人が持っていってくれたり、隣の空き地においておけば野良牛が
食べていってくれます。花壇のための土を掘り起こしていると、「よし、私も」「
こうすると綺麗に出来あがる」と知り合いが立ち寄っては助言や手助けをしてくれ
ます。もちろんこういった仕事は、日中の太陽の照るつける時間帯にはやらず涼し
い朝夕に限って、何日かかけて行います。

最近、Surajの日本語教室のクラスメイトの女性が、よく遊びに来てくれます
(彼女は旦那さんが日本人で、今は日本に居て1、2ヶ月あとに迎えに来るそうで
す)。昨日は乾燥させたとうもろこしを持ってきてくれ、その皮の部分で人形の作
り方を教えてくれました。サリーを着て草木をしょったネパールらしいお人形です
。私が作ると何故か自分に似たずんぐりむっくりの人形になってしまいました。作
った後は、実をポップコーンにして食べました。これがまた美味しい!弾けない実
もあるのですが、それも噛み応えと甘味があって病み付きになって食べました。ネ
パールに来てさらに太ってしまった気がします。気を付けよう…。

おとといからポカラに、日本から31人の団体が来ています。彼らは、長野県駒ヶ
根市(職員)の方々で視察に来ているようです。何の視察かというと姉妹都市にな
るのに適しているかどうか、見に来ているのだそうです。そのため街のあちこちに
「WELL COME」と書かれたゲートや幕が掲げられています。Bestシーズンの来て五
つ星のホテルに泊まっているので、近いうちに姉妹都市になる事でしょう。ここ2
、3日は本当に綺麗にヒマヤラが見られます。
そう言えば、1ヶ月ほど前にレイクサイドで行われていたお祭りに女優(タレント
)の室井滋が飛び入り参加していたのですが、最近日本のテレビ番組で放映された
ようです。見た人がいるかしら?

では、また。

こんにちは、じゅんこです。1998.10.25
最近、Eメールは書いているものの、その分手紙を書いていないので宇佐美さんと
その同居人にも連絡していない事が気になっていたのです。また来たら、よろしく
お伝え願います。

さて、ご指摘戴いたcc:の件なので、多分アドレスが判ってしまうのだろうと思
っていたのですが、私のはいっているHimalayan Computersに
BCC:が存在しないのです。そして、電話回線が良くないのか、送信速度・受信
速度がかなり遅いときがあり、1つのメイルを送るのに、1分以上かかってしまう
事もあって(オフィスの人に見てもらったのですがこれ以上の改善は難しそう)、
一人一人別々に送るのは大変なのです。良い方法はないかなーと思いつつもそのま
まにしてしまっています。みんなに、舎爐夢のホームページをチェックしてもらう
のがいいのかもしれませんね。

両親が日本から梅干や味噌を少々持ってきてくれたのですが、美味しいダルバート
に満足して出番がないこのごろです。日本食のメニューも作ろうかと何度も考える
ものの、きちんとするには限界があるので、病人がいた時のおかゆ程度にとどまっ
ています。ネパールで出来た日本米を手には入れたのですが。
最近は、要らない布などで座布団カバーを作っています。
大まかな経営は彼に任せているのですが、この2ヶ月はオフシーズンからオンシー
ズンへの変わり目と、私達の結婚式があったのとでゴタゴタしていて、まだ軌道に
乗っていません。もちろん日本では当たり前の事が、ネパールでは通じない事もあ
るのは(その逆もしかり)当然ですし、12月になっても充分なおもてなしは出来
ないとは思いますが、逢えるのを楽しみにしています。

長野は台風でりんごの被害があったと聞きました。穂高のあたりはどうですか。そ
ろそろジャム作りが話題になる頃だと思ったのですが。日本のりんごの味に慣れて
いる私には、果物はりんごよりバナナやパパイヤが口に合います。

では、また。

こんにちは、じゅんこです。1998.10.21
新しい命の宿りに心が踊ります。冬季休業までは忙しいので朋子さんはもちろん皆
さん体に気を付けてください。愛ちゃんのお姉さんぶりが楽しみ。
臼井さんのネットワークもどんどんと広がりを見せているようですね。毎回毎回の
カントリーメールで、日本のあちこちががどんどんと繋がっていく様子が伝わりわ
くわくします。

くり拾いははじまっていますか?昨年、久栄ちゃんや芳江ちゃんと宇佐美家の庭や
穂高のあちこちで拾っては、仕事の後にムシャムシャと「止まらないやめられない
」と親指のつめを黒くして食べていたのを思い出します。こちらにもくりに似た木
の実は在るようですが山へ出かけなければ在りません。栗というよりもしいのみで
す。
先日雨の日は寒かったのですが、その後は晴れが続いて日中は、暑いです。

では、また。

では、また。

Namaste!1998.10.21
明日までの3日間(私から見れば5日間はあるがメインは3日間なのだそうだ)は
”ティハール”というお祭りです。女神ラクシュミーを家に迎え、富と繁栄を祈り
ます。本当にお祭りの多い国・ネパールです。

夜になると蝋燭をいっぱい買ってきて(1日に100個以上)家(宿)の入り口、
部屋までの道、建物の手すりなどに、ズラーと立てて灯りをともします。1日目は
着け終わった頃にちょうど停電になり、小さな灯りが家全体を浮き立たせ、なんと
も美しい光景です。街には、豆電球で店を飾ったり、七夕飾りのような仕組みの丸
い飾りや、きらきらしたカラフルなレイを飾っていて、楽しさを盛り上げています
。ロケット・ボンと呼ばれている打ち上げ花火(花輪開かないが)を上げたり、爆
竹を鳴らしたりして遊びます。ネパールに花火はないと勝手に思っていた
私は、かなり嬉しく、「たまやー」と大声を出して楽しみました。

子ども達が10人ぐらいのグループで家々を訪れ、太鼓をたたいて歌を歌い踊って
見せてくれます。そして少しのお金〔2ルピー(4円)ほどのお小遣い〕やお菓子
を貰います。踊りが上手だとお小遣いも弾んでもらえるようで、集まって練習して
いる風景にも出会います。夜にはそのグループの年齢も高くなっていき、10代後半
のグループが現れ、昨日の最後はおばさんおじさんのグループで、このグループは
普段道路が崩れたりすると直してくれるアリガタイ人達らしく、踊って歌ってはか
なり高い額のお金を要求します。使い道を聞くと納得できますが、夜遅くに(11
時半過ぎている)来て、カセットを大きな音でかけて大声で歌うので、「お客さん
もいるので何とかならないかなー」と言ったのですが、「お客さんには、お祭りだ
と説明してあるし、うちだけでなく全部のうちを回るのでどうしようもない。年に
一回の楽しいお祭りだ。」そうです。確かにティハールは年に一回なのですが、こ
ういった類の言葉でいつも踊ったり飲んだりが、日常です。本とに陽気なお国柄で
す。

始めにも書いたとうり、富と繁栄のお祭りなので、ラクシュミの絵を祭って、財産
(今もっているお金全部と、金銀財宝)を出してきて、ティカや花を供えたりして
、欲しいものを唱えます。新聞には、銀行など大きな企業が「ハッピー デワウリ
」とティハールを祝う広告が載せられます。

次の日には犬に、次の日には牛にティカをしたり、ご馳走したりします。
また、家族の長寿や無事を祈る祭りでもあり、最後の日には、女の姉妹から男の兄
弟へティカやプレゼントが送られる兄弟姉妹の祭りでもあります。

以前書いたダサイン祭の続きで、最後のブランコ遊びを楽しんだり(私も近所に遊
びに行って、乗せてもらいました。)、トランプに小銭をかけてゲームをしたりも
します。とにかくみんなとても楽しく日々を過ごします。(もちろん公の機関・学
校、一部の店は休みです。)

私には初めての事ばかりなので、全部を一度に受け入れる事は出来ないので、好き
な部分だけをかじって楽しませてもらっています。もともと日本でも、行事やお祭
りをする習慣がほとんどなかったので普通に人よりも抵抗があります。でも人間の
基本的な楽しみ方なのでそのうち馴染むでしょう(?)。

では、また。

Namaste!
10月5日、ポカラのお寺で式を挙げ、ついに結婚しました。(籍はまだですが)ネパール式の結婚式・披露宴は単にヒンデゥー教の結婚式と言うものではなく、いろんな面でネパール式でした。ポカラにいたツーリストが訪れてくれたり、Surajの友達が日本人の彼女を連れてきてくれたり、友達になった長期滞在の夫婦が赤飯を炊いてくれたりと、日本人が家族だけでなくたくさん来てくれて嬉しかったです。
細かい報告は又今度ゆっくりします。
今日は式の片付けをし、明日は両親・友達とチトワン国立公園に行って、象に乗ってきます。カトマンズ経由で帰ってくるので次回のメールは1週間ほどしてからになります。
では、また。

1998.10.19 Namaste!
今日は朝から久しぶりの雨。昼間は過ごしやすくて気持ちよかったのですが、夕方になると肌寒く、シャツを1枚羽織りました。これから気温は下がっていくにつれ、ツーリストは増えていくようです。

結婚式から瞬く間に2週間が過ぎました。特に大きな生活の変化はなく、家族の帰った今は以前の生活に戻ったにすぎません。忘れてしまう前に結婚式の様子をつたえたいとおもいます。

はじめに、この文章は日本人的なまた、個人的な物の見方で書かれていることを断っておきます。
前日までに聞いていた結婚式当日の大まかな流れは、「6時から身支度をして、7時に4kmほど離れたお寺にタクシーでゆっくり進みながら行き、儀式を2時間ぐらいして正午ぐらいに帰ってくる。午後は、知人・友人が次々にお祝いに訪れてくる。5時から皆にディナーを摂ってもらい、7時からカルチャープログラム・ネパールダンスをみんなで見よう。」というものでした。式の詳しい内容を聞いても「初めてだから僕も知らない」のだそです。

当日、5時20分に合わせた目覚し時計で1度は目を覚ましたものの起きることが出来ませんでした。というのも、前日の夜surajの親戚・友人と共にたまねぎやにんにくの皮をむいたり、おしゃべりをしていて、それも親戚とはネパール語のみの会話のためかなり神経も頭も使っていました。1時少し前に「主役は早く寝なければいけない」の言葉で私は部屋に帰ったものの、surajはまだ準備・打ち合わせをしていて帰ってきたのは3時過ぎ。3時半過ぎに私の兄がカトマンズから車で到着して出迎えに起き、横になったと思ったら朝。二人して「もうちょっと…。」と思っていたら6時5分前。飛び起きました。
私達より遅くまで起きていた人々も(寝ていない人もたくさんいる)、もはや集まってきていました。1時間で仕度が出来るかしらと、私は少々焦っていました。が、実際にサリーが着られる状態になってみると、「まだ着るのは早い。もうちょっとしたら着せてくれる人が来るから。」とお預け状態。
部屋の外では楽隊が来て結婚の曲を次々に弾いています。日ごろ見ているネパールの太鼓や笛でなく、吹奏楽の原型といったようないろんな形のラッパが高い音階で奏でています。また、全員が赤色のティカが額にもらっています。その様子を扉の隙間から垣間見ているとsurajの妹や親戚の一部の人が部屋へ来て、私のヘヤースタイルを「ああだ。こうだ。」言いつつ整えてくれます。ネパールの女性はみんな髪を長く伸ばしています。私は肩までの長さで、さらに前髪は眉毛の下までしかないという異なったスタイルのため、前髪を真中で分けぴったりとピンで留められました。今まで額を見せる髪形にした事がないので私の友達(日本人)から見ると「へん」。されるがままにされていると、親戚の中の別の一人がやって来てサリーを着せてくれました。彼女はビューティーセンターの人と付き合いがあるらしくてきぱきと装いを整えてくれます。ピンで留められた前髪も下ろしてくれホッ。ス
パンコールのついた透けた布をかぶり、赤い靴(スリッパ)を履くと、頭の先から足の先まで真っ赤に覆われました。みんなが口々に綺麗だと言ってくれます。が自分自身では、赤で覆われた姿が見慣れないので「美しい」とは言えず、「サリーが綺麗だし、こんなもんかな」って感じでした。この時surajはまだTシャツにGパンのまま。時間は9時になろうとしていたと思います。彼は忙しく立ちまわり、「新郎は後で着替えて別々に寺院に行くからいいのだ。」言い、私と私の家族、surajの一部の親戚は寺院へと向かいました。普通の車の速さで。
ビンドゥバシニ寺院に着くと、たくさんの人が来ています。皆手に手に籠やお盆に布がかけてあるものを持っています。ダサインの最終日であるこの日は様様な物を捧げる日のようです。
surajが来るまで家族でフォトタイム。書き遅れましたが日本から来てくれた友達はカメラマン。今回は結婚式のカメラマンと、いつか(何年後かに)、彼女と彼女の事務所の先生がやっている写真教室で(以前私も通っていた)撮影会に来るための下見を兼ねています。
surajがやってきました。友達や親戚、楽隊も大型のバスに乗りあって来てくれました。「さあ、儀式の始まり、まずはどうすれば…。」と思ったのはつかの間。ここからが凄いのです。何が凄いのって、まるでツーリストバスから下り立ったネパールの観光地。経験のある方は想像できると思いますが。みんなが寄って戦って私達に「次はこうしてああして」と言ってきます。教会で言えば牧師さんのような人がいるのだけれど、誰がその人か見分けが着かないくらい見たことのない人達までが私達を取り囲み、両親でさえ割ってはいって式のやり取りをは不可能な状態。すべてネパール語で説明されるので私はもちろん彼も言われるがまま、示されるがままに、新芽で作られたレイや指輪の交換、前頭の髪の分け目にティカ、深いお辞儀、寺院の祭ってある中に入ってお布施やティカ。ふと後ろを向くと両親同士がティカやプレゼントの交換をしている。帰りのタクシーに乗るまでがまさにバスパーク。値段の交渉がないのが違うくらいでしょう。とりあえず1つの宿に決めてタクシーに収まった状態とかなり似ているものがありました。「これで夫婦になったんだー」とか思いに浸る暇もなく、嵐は過ぎ去ったのでした。車の中でやっと二人で微笑めました。
タクシー4、5台とバス、バイク10台ほどが連なってポカラの中心地をとおりながらパレード気取り。バスの上には楽隊と踊り好きな友人が乗り、華やかに演出してくれます。街の人々は曲の感じで結婚式だとわかるようで手を振ってくれたり、微笑みかけてくれます。
ゲストハウスに戻ると何人もの人が残って食事(ディナー)の準備をしてくれているのが見えます。昨日の夜までいた6等のやぎたちの姿は一見見当たらなくなっていました。時間は正午過ぎ。ん〜予定どうり!?
朝から何も口にしていなかったので「あなかがすいたー」とほっとできる時間を楽しみにしていると「今日は何にも食べてはいけないんだ。飲むのはいいけど。」と聞かされ、まさに「えっー!うっそー!」。「ディナーも?」と聞くと「ん〜8時ぐらいになったらいいかな〜」と何でもなさげに言うので、「今日はそういう日なのか。たまの半断食も体にいいや」と思い直すと少し落ち着きました。そして「5時まで自由時間だ」と告げられました。1時間ぐらいは昼食を食べる人や声をかけに来てくれる人がいたのですが、その後は暇でどーしよー。明日日本に帰る兄は土産を買いに母と出かけていきました。暇だとお腹がすいている事が気になってしまうので何かないかなーと思っていると、今朝サリーを着つけてくれた人がビューティーセンターの知り合いをつれてきてくれて、髪を整えてくれると言います。広い友達の部屋へ行き日本髪のように髪を結い、メイクをしてくれました。そのメイクというのがまた凄い。このサリーにはとっても合っているのですが、ネパールのガイドブックに載っている‘クマリ‘なのです。アイラインの目元がグッと上がっていて濃く、サリーに少し緑が入っているのに合わせて緑のアイシャドーをたっぷりと付けてくれました。ネパール的な美的感覚がわかって面白いものです。お色直しといったところでしょうか。
その後、またお祝いに駆けつけてくれた人にティカをもらいました。(これはこの後もずっと途切れ途切れに続く)だんだん額に肌色の部分がなくなっていきます。
未だティカになれきっていないのでたれてくる液が気になりはするものの、多くの人が喜んでくれているのがとてもうれしいひとときです。
ディナーの準備が出来ました。5、6人の親しいコックさんか主になって友達らがみんなで用意してくれました。1メートル級のなべに7、8つ湯気を立てています。炊き込み御飯、肉の煮込んだもの2種、野菜のカレー炒め2種、マサラ味の金時豆、アチャール(辛い漬物のようなもの)、生野菜のサラダ、フルーツのヨーグルト合えと盛りだくさん。私達2人がお皿とスプーンを一人ずつに手渡し、それぞれの料理の前のよそってくれる担当の人からビュフェ式に料理が盛られていきます。
来てくれた一人一人と直接言葉が交わせます。近くの宿に長旅をしていて友達になったトットちゃん、うどんこさんが赤飯をたくさん炊いて持って駆けつけてくれました。日本に披露宴ではなかなか出来ない手作りの心のこもったもてなしです。この1日の中でもっとも心が満たされたひとときです。1週間顔見られなかったヒマラヤの山も顔を見せました。披露宴の様子を見に来たようです。
みんなが一通り食べ終わると私達も食べても言いといわれ、周りを気にせずいっぱい食べました。(言い忘れましたが、お色直しのときに果物と牛乳は食べてもよいといわれりんごを1個食べることができました。)
夜がふけ、ライトがともされます。宿の建物に3日ががりで取り付けた豆電球が、花火大会のナイアガラのように輝きました。
予定ではダンスが始まる時間になってもグループが来る気配がありません。ネパールタイムに慣れてきている私でも、ライトが当てられてみんなに顔が見られている中で笑顔を保つには2時間は長かったです。隣にsurajがずっと座っていれば話は別なのですが、彼は今日1日の指揮をとるのに忙しく、私とまともに話す時間は、ほとんどありませんでした。本当ならば父親の役目なのだそうですが、家を出て10年以上も経ってポカラという別の土地に住んでいるので、お父さんは何を誰に言えばいいのかわかるすべもなく(と言っても、ずっとみんなが気持ちよくすごせるように気配りをしてくれていました)、必然的に彼が動き回るほかないのでした。もちろん、私もうちの家族は手も足も出せませんでした。(申し訳ないです)
2時間、日本人であるうちの家族やポカラにいてお祝いに来てくれた旅人は、予定の時間を過ぎても説明も何もなくどうすればいいのかわからなくてイライラしていたのですが、ネパールの人々はこういう時間の使い方がうまく(慣れていて)9時過ぎダンススチームが現れるまで、おしゃべりを楽しんだり、歌を歌って踊ってみたりして楽しんでいます。
ダンスが始まるとどこからともなく人が増えて、気がつけば庭中、人でいっぱい。
空を見上げれば満月が輝いています。そうです。ダサインは新月から始まって満月で終わるのです。この日の満月は今までになく、美しく見えました。
ネパールダンスは結婚バージョンも含めて10種類ほどの踊りを見せてくれました。後半になってくると会場から踊り出す人が増えてそのグループが帰った後も内輪でのディスコ大会が始まりました。そして、これで終わりますという司会の言葉はもちろんなく集まった人が、満足した人から(眠くなった)引き上げる、と言った感じで長い1日に幕がおりました。

長々と読んでいただきありがとうございました。これでも随分と端折って流れを追って書いたのでそのうちいろんな機会に触れたいと思います。そして、お祝いのメッセージをくれた皆様、最後になりましたが、ありがとうございました。
私達が笑い、みんなも笑う。みんなが幸せ、私達も幸せ。
ありがとうございました。
では、また。

NAMASTE!
ダサインの11日目、Mr.SURAJ(彼の名前)の実家へ行ってきました。ポカラからバイクで45分、それから山道を下り、川岸を歩き、幅50cm程の木の橋で川をを渡り、もう1つの川は人力ロープーウェイで渡り、原っぱを歩き、さらに山道をを登り、計1時間30分ほどでとても眺めの良い彼のうちに着きました。
初めての私にはビューポイントいっぱいの楽しい道のりです。最近建てたネパール式の小さな家に、牛、山羊、鶏、(猫、)を飼い、とうもろこしの畑と、裏に(見えなかったが)田んぼがある田舎のお家。(彼がここで育ったのではないのですが。)すぐに解かったのは会った事のあるお父さんだけ。SURAJIのお母さん、妹、お父さんの妹、お姉さんの旦那さんとその子ども達を紹介してもらいました。
私達の後に何人か親族が来て繋がりを聞いたのですが、とても長くいまいち良くわかりませんでした。

みんな既に、おでこにティカをしていました。部屋の1つをもう一度ティカが出来るように整えてくれ、ベットの一方にお父さんが座り、もう一方に私達が座り、ティカの始まりです。お盆にお米と色の粉(ライスティカ)、水(?)を混ぜたものと、とうもろこしの発芽したもの、名の解からない草(雑草)がのせてあります。Surajのお父さんがお祈りのようなものを唱えながらライスティカ投げかけてくれます。その後、ライスティカをお父さんと隣にいるお母さんが額全部に大きく付けてくれます。これは、家庭によって色や大きさが異なり、街を歩いているといろんなお家柄があるのがわかり面白いです。ちなみにSurajの家はピンクでした。そしてとうもろこしの若葉、草をトピーにはさんだり、髪に挿したり耳に挟んでくれます。手を合わせて終わりです。
Surajは頭をお父さんの股の間に置くようにお辞儀をしていました。私達の後に他の大人そしてその子どもたちが次々とティカをお父さんからもらいます。子供たちが受けた後は、お父さんのほうが子ども達の足に付けるようにお辞儀をし、5RS程度のお金(お年玉)を貰っていました。
子ども達はその事も理由なのか何度も喜んでティカを受けています。多くの事が日本の年末年始に似ていて発見するのがとても面白い。後に聞いた話だと(年末の)大掃除をやってる所も会ったそうです。ティカが終わると食事が出されます。バナナ、シェルローティー、タルカリが一皿とヨーグルトです。額からピンクのお米を落としながら戴きました。14歳の妹さんがいろいろと世話をしてくれるのですが、ずっと恥ずかしげな笑顔で現れ、SAYなところはSURAJといっしょです。家族の中で一人、お父さんのお姉さんだけが白いティカをしていて不思議に思い聞いてみるとご主人が亡くなったからだそうでした。彼が家族とおしゃべりをしていると、そのうちロキシー(ネパールのお酒)、マス(お肉)、バート(ご飯)などが次々と出されます。30分ほど前に食べたばかりなので少しだけ戴きましたが、やはり日本の正月だなーと感じます。
ゲストハウスの事も気になり、私達は早々に帰らせてもらいましたが、その日の夕方又別の親戚のうちでティカをしてもらいました。
あちらこちらに行く移動中、ダサインの遊びの1つであるブランコをあちこちで見かけました。その多くは、広い原っぱに竹が4本組んでありその上に木が渡してあり下までロープがたらしてあるものです。子ども達を中心に変わりばんこで乗っています。とても大きなものは6、7mはありとても気持ちがよさそうです。小さいものは木で作ってあったり、大きな木からロープ結んで作ってあるものもあります。来年は私も遊ばせてもらおうと思います。

明日はダサインの最終日、そして結婚式です。以前お伝えしたように準備がギリギリなのでこの3日間は追い込みです。このメールも丁寧に書けませんでした。多分おかしな文章だったと思います。次回は、結婚式の報告したいと思います。ほんとかなー?

では、また。

Namaste!

今日9月30日はダサイン10日目。

ダサイン5日目(25日)、首都カトマンズに行きました。買い物や彼の友達に会うために街を歩くと、人、人、人…。まさしく日本の年末の商店街のような賑わい(名古屋で言えば朝の柳橋)。衣類、靴、アクセサリー、玩具、そして鶏や七面鳥、紅白の小さい布(後日、自分の首に巻いたり、車に付けているのを見かけた)、ティカに使う色の粉…などの店が、人の歩くのを遮るように開かれています。歩いても車に乗っても身動きが取れなくなるぐらい。さらに埃と塵の臭いもあり、人疲れしてしまいました。が、結婚式のためのサリーを買うと今更ながらやっと「結婚式なんだ」と思えてきました。

ダサイン7日目(27日)夜、私の両親と友達1人が日本から来てくれました。(カトマンズにきた目的はお迎えです。)28、29日にカトマンズの近くを観光してまわりました。すると昨日まであったたくさんの出店がスー減り、定休日のない店も半分以上がシャッターを閉めてしまいました。年末の買い物が終わり、皆それぞれ年に一度の帰省をし始めたようです。ポカラに帰ってきても状況は同じ。レイクサイドの店もところどころ閉まり、ニューバザールと呼ばれている地元の人達の商店街は、嘘のように静かになっています。もちろん郵便局や博物館など公の機関はお休み。ダサインの初日と、8日目から15日目までは祭日なのです。

今日(10日目)、朝早くに山羊を1頭買って来ました。タクシーのトランクに入れられてきた白山羊は出されたとたんに「メーメー」と泣き叫び、庭の木に繋げると右に左にと激しく動き回りました。彼(山羊)の最後が1時間後だと知らされた私の両親や友達は、「私達をどこか他の場所に連れ出してくれ」と言い出し(私はどんなふうに解体されるのか興味があったが)4人でポカラの観光へと出かけました。(カトマンズ・ポカラの観光紹介は後日。前回の旅ではまったくと言ってよいほど観光しなかったため、私も今回が始めてのところばかり。)4時間後ゲストハウスに帰ってくると、何事もなかったように部位別に分けられた肉はキッチンにしまわれていました。その1部でもっとも美味しいと言われる首の肉と内臓の一部が、もはや調理され、スタッフとその友達のビールのつまみへと見事に変身していました。
お肉をあまり食べない私達家族とお肉をまったく食べない私の友達にとっては、珍しくはあっても、喜んで祝うのは難しそうです。

話が少し戻りますが、今日の観光コースにヒンデゥーの神院があり、そこにはカラフルなサリーを身にまとったネパールの女性がたくさん来ていて、そこに以前お話した’土を入れた器に大麦を蒔いたもの’の10日たって発芽したものが供えられていました。

明日はダサイン11日目、この日は誰もが家族・親族とティカを交わす日だそうです。私も彼の家に行き、ティカを交わさなければいけないそうです。その話は次回に。

では、また。

ナマステ!

ネパールは今日からダサインというお祭りが始まりました。季節的には秋祭りなのですが、1年で1番大きなお祭りなので日本の正月のようです。
15日間続くお祭りなので初めの1週間は年末のようなもののようで、本格的なのはあとの1週間のようです。人々は新しい服を買い求めたり、帰省の計画を立てたりしています。(宿の経営者の立場としては、多くの人が請求書を持ってやって来るし、スタッフに帰省のためのボーナスを渡さなければならないし、雨季のあとでお金が入ってこなかったし、大変です。)
今日は(本当は)お米をかめに入った土などに蒔き、1週間ほどして芽を出すのを願う日だとガイドブックで読んだ記憶があり、昨日尋ねたところ「そうだ」とは言っていたのでが、今日行うのを見る事はできませんでした。ここが観光地だからであって、みんなの実家ではしていているそうです。
夕方、ドーナツのような油で揚げたローティー(小麦粉で作ったパン状のものの総称)をたべました。お祭りが始まるからだそうです。

ダサインの最終日に私達の結婚式をするのですが、準備と言えば、招待状を書いたのとディナーの材料の一部を買ったくらいです。が、彼のお父さんが何度かやって来て彼と話している計画は、名古屋の結婚式もびっくりするくらい、義父さんが稼いだ財産すべて(日本の盛大な結婚にかけるような額があがっている)をつぎ込もうというもので、それほど大きな事をするつもりがなかった私達二人は、びっくりです。そのあたりは日本の一部の地域と同じようです。長いと3日間行うそうなのですが、1日だけなのでまだ良かったのですが。

日本と違うのは、準備が非常にゆっくりな事。衣装はもちろんの事、会場の準備の買い物もまだです。(まだ早すぎると言われる)招待状も遠隔地には人を会して渡す手はずをとったものの、ポカラの人々の分は「今渡すとみんな忘れてしまうから、3日前に配る」のだそうです。
ですから、結婚式の準備で忙しくしてはなく、のんびり暮らしています。
では、また。

1998年9月17日 晴れ23度

こんにちは、じゅんこです。
届いたようで、とても嬉しいです。
受信・送信のバイトが遅いときが多く、うまく接続できないので、まだ充分ではありませんがとりあえず、よかった。
では、また。
junko@mos.com.np

BLUE HEAVEN GUEST HOUSE
Gaurighat-6,Lake Side,Pokhara,Nepal
Junko Oshima

こんにちは、じゅんこです。
今のところ、フィルターウォーターを飲んでも下痢をする事もなく、元気に暮らしています。夜になると原因不明のかゆみに、悩まされてはいますが…。

今回は、私の住んでいる所の紹介をしようと思います。
北は中国チベット自治区、南はインドがある、ヒマラヤの国・ネパール。首都カトマンドゥから200km西に向かったここポカラは、アンナプルナをトレッキングする人々の玄関口。またインド・ネパールを旅する人の安やぎの土地でも在ります。
ペワ湖の東側・レイクサイドと呼ばれているところはまさに観光地。土産物店、スーパー、レストラン、ホテルが建ち並んでいます。そのレイクサイドの南よりにここ「BLUE HEAVEN GUEST HOUSE」はあります。
広い庭からは標高6998mのマチャプチュレ山が望め、朝食を摂ったり本を読んだり、ゆったりと時が流れるのを感じることでしょう。
スタッフは7人。ReceptionistのSanjib、GuideのGanesh、CookのParusuran、部屋のお掃除や雑務をしてくれるTara、食器や洗濯物を洗ってくれるMaya、経営者でありわたしの夫(になる)のSuraj、そして英語もネパール語もできないので役立たずな私、です。
私が帰ってきた9月初めはオフシーズンにもかかわらず学生の日本人が多く訪れてくれて満室の日々が1週間ほど続きましたが、この1週間は文字通りシーズンオフでのんびりしています。ポカラの街全体は10日ほど前から雨季が明けたようなので、少しづつツーリストが増えてきています。雨季の間はなかなか見られる事ができなかったヒマラヤの山々も、ほぼ毎日、見られます。日中は日差しが強く1時間外にいるとヘトヘトになってしまいますが日陰は涼しく、朝夕は心地よい風が吹きます。
街中はオンシーズンに向けて改装している店が多く、4ヶ月前にはなかったフルーツショップや楽器店などがいくつもあり驚きました。
あっという間に2週間が過ぎていき、1日2食のダルバートを美味しく食べています。
1週間前に土を耕して蒔いた豆や青菜の種が芽を出しました。毎日少しづつ大きくなるのが、日本にいるときと同様、楽しみの1つです。
では、またお便りします。

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