自然治癒力を考える 福田俊作さん講座
主にこんなお話の内容でした。
現代医療も、もともと自然治癒力に根ざしていた。
のち、デカルトが心身二分論を唱えた。ココロの部分はキリストたちに任せて肉体を探求しようとした動きだった。この流れののち、ウィルヒョーが細胞病理説を唱えた。視野を細胞の単位に限る動きとなっていった。これらを源流とする医療は急性病に対して特に有効だった。それが現代の主流となった。一方で慢性病にはなか
なか通用していかない。
1960年代後半、氏は自転車でアメリカを始点に世界一周をスタートした。くるりと巡ってみて振り返ると、アメリカとイラクでのもてなしが特に手厚かったことに気がついた。
インドにいたとき、チベット人と暮らし、チベット仏教に触れていた。
医の分野で仏教の考えが役に立つ、そう感じた。
インドを源とする仏教は中国を経て、既に複雑化したものが日本に導入された。
チベット仏教に触れてみると、仏教はもっと判りやすいものだった。
仏教の教えを簡単にしていくと、それは、生き方・ライフスタイルを変えれば苦難が去るという考え方になる。それが八正道。説きのもうひとつは無常性。
前段階のアメリカではガンに外科治療・化学治療・放射線治療以外の治療は認められてこなかった。ガンは増えた。ところが、それ以外の方法で治癒するケースに気がついた人たちがいた。ストレス、つまりネガティブな感情がネガティブな生体変化を及ぼしたのでは?と考えた人がいたのである。そうして精神神経免疫学に進化した。精神神経が免疫に関係することを「医療界」が取り込んだのだ。現在、アメリカではガンが減り始めた。
ただし、精神科といえども精神の基質的な部分はまだ治療プログラムとしては扱われていないのである。それが主流医療の現在なのである。
現代の主流医療を避け、次の解が東洋的医法だったとする。
症状によっては方法の相性があるし、同じ方法であっても人によって相性がある。
そして持続的に療法を行えることが「治療・治癒」となっていく。
適度な食事、適度な運動、適度な睡眠=つまり精神の安定。
非常に抽出した言葉だが、これが健全でいる三要素だ。
どんな健康法や療法も、やり方がその人にとって正しくないと効しない。
その人に適したとして、方法も正しくないと効しない。
現在、人々は疲労の取り去り方が、じつは上手ではないのではないか。
疲れを「上手」に取り除くコツを身につけよう。
やりすぎとやらなさすぎのバランスを持って。
独力での「治療」は成し難い。そこでパートナーが注目される。奇跡的といわれるような、主流医療が見放した難病の治癒に達した例には、サポート的にサポートするパートナーが存在していた。批判的なサポートをしないのである。そして、サポート側はサポート中にジャッジしないことが、治癒の障壁となるネガティブな感情を抑えていく。
本講後も、地下室のカーペットに思い思いの座で福田さんを囲み、夕食の準備が整
う18:30ころまで対話が続きました。福田さんとこうした時間を持てるのは、他の講
師の方もすべてがそうですが、シャロムの場ならではです。
begood vol14 お世話になりました。
瓦理論のような、場の展開、参加の回を重ねることで体感しました。
よろしくお願いします。
高 橋 登 ( kithut@mx5.et.tiki.ne.jp )
現代医療も、もともと自然治癒力に根ざしていた。
のち、デカルトが心身二分論を唱えた。ココロの部分はキリストたちに任せて肉体を探求しようとした動きだった。この流れののち、ウィルヒョーが細胞病理説を唱えた。視野を細胞の単位に限る動きとなっていった。これらを源流とする医療は急性病に対して特に有効だった。それが現代の主流となった。一方で慢性病にはなかなか通用していかない。
1960年代後半、氏は自転車でアメリカを始点に世界一周をスタートした。くるりと巡ってみて振り返ると、アメリカとイラクでのもてなしが特に手厚かったことに気がついた。
インドにいたとき、チベット人と暮らし、チベット仏教に触れていた。医の分野で仏教の考えが役に立つ、そう感じた。インドを源とする仏教は中国を経て、既に複雑化したものが日本に導入された。チベット仏教に触れてみると、仏教はもっと判りやすいものだった。仏教の教えを簡単にしていくと、それは、生き方・ライフスタイルを変えれば苦難が去るという考え方になる。それが八正道。説きのもうひとつは無常性。
前段階のアメリカではガンに外科治療・化学治療・放射線治療以外の治療は認められてこなかった。ガンは増えた。ところが、それ以外の方法で治癒するケースに気がついた人たちがいた。ストレス、つまりネガティブな感情がネガティブな生体変化を及ぼしたのでは?と考えた人がいたのである。そうして精神神経免疫学に進化した。精神神経が免疫に関係することを「医療界」(=探求は物体のみの世界)が取り込んだのだ。現在、アメリカではガンが減り始めた。
ただし、精神科といえども精神の基質的な部分は治療プログラムとしては扱われていないのである。それが主流医療の現在なのである。
現代の主流医療を避け、次の解が東洋的医法だったとする。症状によっては方法の相性があるし、同じ方法であっても人によって相性がある。そして持続的に療法を行えることが「治療・治癒」となっていく。適度な食事、適度な運動、適度な睡眠=つまり精神の安定。非常に抽出した言葉だが、これが健全でいる三要素だ。(*a)
どんな健康法や療法も、やり方がその人にとって正しくないと効しない。その人に適したとして、方法も正しくないと効しない。現在、人々は疲労の取り去り方が、じつは上手ではないのではないか。疲れを「上手」に取り除くコツを身につけよう。やりすぎとやらなさすぎのバランスを持って。
独力での「治療」は成し難い。そこでパートナーが注目される。奇跡的といわれるような、主流医療が見放した難病の治癒に達した例には、サポート的にサポートするパートナーが存在していた。批判的なサポートをしないのである。そして、サポート側はサポート中にジャッジしないことが、治癒の障壁となるネガティブな感情を抑えていく。
本講後も、地下室のカーペットに思い思いの座で福田さんを囲み、夕食の準備が整う18:30ころまで対話が続きました。福田さんとこうした時間を持てるのは、他の講師の方もすべてがそうですが、シャロムの場ならではです。
もしかして、ウツやガンが増えているのは、急性病の減少によって増えた「ように」見えてきたためかもしれない。人類一団の視野に立てば進化の過程だと、それは言いすぎだとしても、一方向に気を向け「過ぎた」時間をたどってきたとは言える。個々の症状に対する個々の対処・効果の探求は必要な時間だった。忘れていたのは、個々を想いつつもひとまとまりを目指す探求姿勢なのだろう。個人個人の特徴は必要で、これらを立体連鎖することで60点程度の不具合は解決でき、個人個人は無理な転換なしに快適化する。一個人の体内も同じようなことが言える。体の各部位の特徴は必要で、これらに不具合があった場合、部位間を立体連鎖的に観察していくと自己治癒の道筋が見えることがあるかもしれない。個々にとって100%の解決ではないかもしれない。でも、完全に達しなかったその何割かは、次の立体連鎖現象を促進するためのものだ。その何割かこそ、ひとつの不具合を100%解消するための原動力となる部分なのだ。持続動力の燃料なのだ。みなさん、具体的な例を、思い当たるのではないだろうか。
問題は解決だ!
ここでもパーマカルチャーの指向性が緊密でした。
自己治癒力を高める意識・努力は素晴らしいことだが、現代の主流医療も必要な場面があることを忘れないで。(エンディングセッション/山田氏の弁)
主流であっても亜流であっても、過ぎたることは病の元のようだ。
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