自然農 川口由一実践、学びの会
耕さず、肥料、農薬を用いず、草々、虫たちを敵にしない 自然の営みに沿った農。
草々が見せるいのちの世界は農を越えて私達に語りかけます。
本当に大切なものは何かを…………
お米の苗代は4月14日に種を下ろしたもの 今年は生育が悪く田植えの稲は温床で作ったものを植える。土手周りは耕して土手塗りをして大豆を蒔いてある。
田植えは南北に40p間隔で35p離して植える。耕さないところに鎌の先で穴をあけて一株ずつ植えていく。
草は決して敵としないがセリなどは除草しておく。苗の小さい頃は草に負けることもあるので除草も必要。草をかき分けての田植え 移植となる。
畑の畝の作り方の指導を受ける。まず草を刈ってどけておき 畝の溝を掘り少し真ん中が高いくらいのアーチ型にし 掘りとった土は砕いておく。刈った草などを畝の上に置き土が裸にならないようにしく。野菜の苗は穴に水をやりしばらくしてから移植をして刈り取った草を寄せておく。
人参大根などは草の部分を鍬で削り種を下ろしてやる。鎌などでたたいて土を覆うか けずったはじの土を寄せてやる。草に負けないように最初の頃は除草が必要。
小麦やソバなどは草の上からばらまきその後で草を刈ってやり 全体を草で覆う。
山菜ずくしの玄米食が用意され食事を食べながらの交流会ももたれました。
自然農 川口由一実践、学びの会 山梨長坂 野風草 1999.6.月8,9
野風草の館野さん中心で始まった 学びの会に35名の参加で行われ若い人が多いのが印象的でした。
苗代の稲の生育は順調 オケラとモグラの害があったようですがいい苗が育っていました。田んぼの畦塗りは まずシャベルで溝を入れて鍬で耕し泥状にして畦塗りをします。
陸稲の田植えをするために田んぼの草刈りをします。水田の場合は草刈りはしませんが水に強いセリなどは稲が負けないように刈ってしまいます。苗代より苗を鍬で土を付けて掘りとります。稲列は40p 稲間隔は25〜30程度で植え付けます。
畑の様子です。トマト 大豆 ニンニク サヤインゲン作物の近くは鎌でかってやり草に負けないようにし 刈り取った草は敷いておきます。すべて刈ってしまうのでなく1列おきに刈り 小動物のすみかを奪ってしまわない配慮が作物も共存できる環境を作ります。
タマネギの収穫 草の間で良くできていました。苗が小さな内は苗の周りを草に負けないように鎌で刈ってあげますが作物が大きくなれば草と共存させます。日照りが続いたときなどは草の保水力が水分不足を補います。人参 キャベツが草の中で育っていました。耕さず草も抜かない農法ですが見事に野菜が育っています。雑草も虫も敵としない21世紀の農法を目の当たりに見た感じです。近代農法はきわめて川口 福岡農法に近づいてきています。田植えも不耕機となり畝もそのまま使う方法も実践されています。草むしりもせず共存させる農法も一部では行われています。21世紀は自然農がメジャーになる予感がします。
農夫が種を蒔き、目的とする作物が元気に一生を全うできるように見守ります。収穫のために必要な物は、人が加えずとも、そこに用意されているのです、用意されていくのです。不耕起、不施肥の田畑、その実り。
農だけにとどまらず、巡り続ける完全絶妙な自然の営み。
草々が見せるいのちの世界は農を越えて私達に語りかけます。
本当に大切なものは何かを…………
自然農 映画 『川口由一の世界 1995年の記録』
20世紀もあと数年で終り、新しい世紀が始まろうとしています。
しかし、人類は今、世界的にみて大きな混迷の最中にあります。世界経済は危機的状況にあり、先進国と途上国の格差は深まるばかりです。流血をともなう民族紛争は至る所で多発し、地球環境の破壊はとどまるところを知りません。しかも現代の文明社会はこれらの諸問題について対処する何ら有効な手立てを打てないでいます。
一方では資源の大量消費と飽食が、他方では失業と貧困、そして疫病や麻薬の蔓延が並立しているのです。今こそ人類が築いてきた高度な科学技術文明の在り方を、自然と人間の原点に戻って根底から問い直すことが求められている時はありません。
この現代文明の対極に川口由一さんの自然農の世界があります。奈良盆地の桜井の地で、わずか7反に満たない農地を舞台に、川口由一さんが試みてきた自然農の実践は、20年にも及びます。川口さんは若い頃は、大量の化学肥料・農薬を使い農業機械も導入して多収穫をほこるこの地方でも有数の篤農家でしたが、その結果肝臓障害などの疾患が生じ、体がぼろぼろになってしまいました。現代文明の最先端技術によって生命が知らず知らずのうちに蝕まれていたのです。
このことが川口さんが自然農法に転換した直接的な契機でした。 川口さんは、自然農法の福岡正信さんの著書「自然農法−わら一本の革命」に出会ったのをきっかけに栽培農業の原点にかえるべく、「自然界の法に沿う農」の在り方を模索し、自然農の実践に踏み切ったのです。自らも含めて生きとし生けるものの生命が生かされている自然の摂理を信頼し、それに依拠する米づくり・野菜づくりに励みました。それはお米の命が自ら育む力を信じ、無農薬・無肥料、そして無起耕・草々、虫たちを敵にしないという徹底した自然農への取り組みでした。
そして、最初の2年間は7反の田畑で収穫ゼロという困難を乗り越え、今日では川口さんの田や畠には豊かな生命の世界が成立しています。たんぽではお米が雑草や虫・微生物等と共生し、すくすくと育っています。
本記録映画は、以上のような川口由一さんの自然農の世界を一年以上にわたって、米づくり・野菜づくりの両面から長期取材し、川口さんの農場で、自然の恵みのなかで何が起きるかを克明に記録しようとするものです。 抽象的な理念の世界ではなく、田んぼや畠で具体的な日々生起する事実のディテールをカメラとマイクで見つめていきます。 それによって、川口由一さんの自然農の世界から現代文明の混迷を乗り越えて、新しい世紀に生きる指針となるべきものを探り出したいと考えます。
実際、川口さんの田や畠を訪れると、自然の摂理により多くの生命が共生するミクロコスモスに触れることにより、現代人の病んだ心は次第に癒されてきます。それを求めて川口さんの田や畠を訪れる人々は毎年増えています。
この記録映画が、人間と文明の再生の為の一助になることを願っています。
作品概略
春たけなわの川口さんの田んぼでは、雑草が波打っています。この草ぼうぼうの田んぼの一隅の草を刈り、雑草の種や根を取り除き、種おろしが始まります。
1995年5月、川口さんは自ら編み出した自然農の方法で、この年19年目の水稲づくりをスタートさせました。畑でも、田んぼと同じように陸稲・オカボの苗代がつくられます。耕さない田畑には、18年分の草々の亡骸なきがらが積み重なり、様々な虫や雑草を育んでいます。
苗が15cm前後に育った6月末、いよいよ田植えです。苗よりも丈の高い冬草の中に、手で1本1本植えられてゆくため、一見頼りなげな苗ですが、生い茂る冬草はやがて夏草のお米にその場を譲ります。冬草と夏草の交代です。
オカボの畑の田植えの時、冬草の足元に真白な菌の塊が見つかりました。この菌は作物に良いからと他所から持ってきた物ではなく、その場その土地に相応しい生命活動から生まれました。
「ある種の菌や微生物が大事なのではなく、そういった生命を生み出す舞台が大事なのです。微生物によって朽ちた草々の亡骸は、自らの生命を次の草々に委ねてその生命を全うします」川口さんは語ります。
夏の盛り、勢いのよい稲の分けつ。自然農と言っても、全く放任して何もしないのではなく、苗床づくり、田植え等、要所要所で手助けをする農です。この時期、お米以外の夏草の勢いを弱めるため、根を切ってその場に置く作業をします。
8月末、在来種で一番広い面積を占めるトヨサトは分けつを完了し、幼穂を形成します。田の一隅には3種類の古代米(香り米、赤米、黒米)と改良種の栄光1号も成長を競い合っています。その中で早稲種の赤米が他の稲よりひと足早く開花しています。
9月になると、在来種のトヨサトも花の盛りを迎え、虫たちも交尾し、まくわうりや西瓜も食べ頃となります。陸稲は10種類育てられていますが、皆各々の特性を持ち、健やかに開花しています。食べ頃を過ぎて種の採り頃を迎えたキュウリが、畑で大きく黄色い身体を横たえています。
11月中頃、重く垂れた穂が風に揺れ、黄金色の波となり、稲刈りです。刈った稲は稲木に掛けられ、1ヶ月の天日乾燥に入ります。久しぶりに田んぼにやって来た川口さんのお母さんも作業に加わります。 12月中頃、田んぼでの脱穀は昔から使われている足踏み式の脱穀機です。もみすり、精米を経て、川口さん一家の夕方風景。やがて厳冬の中、空っぽの田んぼに一面にまかれた稲わらのすき間から、稲刈り後にまかれた麦の新芽が顔をのぞかせます。
映画は、鳥山敏子さんが田畑で川口さんと一緒に作業をしたり(時にはスタッフも加わって)対話する中で、川口さんの自然農を顕かにしてゆきます。
KEN said
いろんな意味で変革の時期を迎えているのだと思います
今まであまり見向きもされていなっかったことが重要であり見直されている時代なの
だなあと思います。
農業の分野をっとっても効率だけを考えると 草虫は敵で歓迎されるものではないと
されました。
しかし 全体 生態系 という高い視点に立つと人間がむしろ じゃまと思っていた
ものが役立っていたりします。
雑草も水分を保有し草マルチをして小動物のすみかとなります。そのことで作物だけ
虫に食われると言うこともなくなります。芽のでた頃は草に負けないように手を貸し
てやらねばなりませんが 少し大きくなると共生できます。それは人の成長と同じだ
と思います。子育ての頃は慈しみの心が必要ですが 自立してしまえば見守ってやる
だけで充分です。
草の根は大地を耕し肥沃の地を作ります。肥料も耕耘も必要でなかったのかもしれま
せん。
人も共生していけば生態系で孤立することもないのでしょう。
まあ人間もすべてのものの一部ですから
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