あずみの自然農塾 11/14(土)1日目のレポート 明石露香
朝から降っていた雨も上がり、清々しい空気の中11月の自然農塾のスタートです。
今日は蕎麦を脱穀、製粉した後、蕎麦処ふじもりさんで楽しみにしていた蕎麦打ちです。
雑談などをして遅れてくるメンバーを待ちながら、皆で先月刈ったお米を、生で食べてみました。
思っていたより固くなく、そして甘い!
(ご飯を良く噛んで食べてごらん、甘いから。と良く言っていた母の言葉を思い出しました。)
●蕎麦の脱穀
蕎麦、大豆の脱穀は晴れた日の午前中にするのが本当は良いそうです。
ハウス前に移動途中シャロムの畑を見て行きました。
先月蒔いたエンドウ豆、そら豆がフカフカのハコベのじゅうたんの中に芽を出していました。
シャロムの最新式?脱穀機の登場です。ビニールシートの上に脱穀機を置き、蕎麦の実が飛び散らないように
脱穀機もビニールシートで覆います。足踏みミシンのように足で踏んで歯のついたドラムを回転させます。
良く乾燥させておいた蕎麦を軽く歯にあてます。(カラカラといい音)
根元をしっかりと持ってまんべんなくあてます。最後に束を広げながら根元の方もあてます。
全体をあてたらシートの上で残っている蕎麦の実を、たたいたりして取ります。
皆で体験します。(やってみると見ているより意外とむずかしい。手元に集中すると足元がおろそかになり
ドラムの回転が落ちてしまう。足と手の別々の動作に慣れてない証拠。こういう作業ってボケ防止にいいかも。)
脱穀が終わったら上にシートをかぶせて足で踏み、残っている蕎麦の実を落とします。
大きな枝などを取り目の荒いふるいにかけます。
●唐箕にかける
ふるいにかけたものを唐箕という風選機にかけごみを飛ばします。
(シャロムの唐箕は燃料いらずの出してすぐ使える優れもの。)
ハンドルを回してプロペラを回転させてから落とし口を開けます。
だいたい蕎麦の実二つ分くらいの幅を開けます。
2回唐箕にかけます。
(大豆を唐箕にかけるときは土地の肥やしになるので、土のやせているところでやると良いそう。)
蕎麦の実くらいの目のふるいにかけて、ごみ、石、虫など落とします。
さらに細かい目のふるいにかけます。
最後にもう一度唐箕にかけて玄蕎麦の状態になります。
翌年の種にするときは1回水に沈ませて浮いたものは使わないようにする。
●石臼で曳く
石臼の穴に蕎麦の実を4,5粒ずつ落とし、反時計方向にゆっくり静かに回します。
ゴロっと回すとプチプチと音がして臼の横から粉が出てきます。
曳いたものを荒い目のふるいにかけ蕎麦殻と分けます。
さらに細かい目のふるいにかけ、ふるいに残ったものをもう一度石臼で曳きます。
300gの玄蕎麦から214gの蕎麦粉が出来上がりました。
温泉に行った後、蕎麦処ふじもりさんで、いよいよ皆が楽しみにしていた蕎麦打ち教室です。
まず、ふじもりさんに九一蕎麦を打ってもらいます。その後私達が二八蕎麦を打ちます。
●計量
粉、水ともデジタル計りで正確に計量します。加水率はその時の状況で変わります。
今日は粉に対して45%の量にしました。
●水廻し
粉にお湯を全量入れて20秒待ちでんぷんをのり化させます。
5本の指を立ててクルクル、すりすり、クルクル、すりすり。おから状にします。
残りの水を2回に分けて入れてまたクルクル、すりすり。団子状になったらまとめます。
●捏ね
数えながら100回捏ねます。捏ねたら菊練りをして、空気を抜きながら横方向にころがし
ぐっさんに教えてもらったお香の形のように大きな雫型にします。
上から手の平でつぶして玉の出来上がり。
●延し
玉のふちをつぶしていき、中央の山をつぶして平にしたら伸し棒で少しずつ伸ばします。
厚さ5ミリほどに伸ばしたら棒に生地を巻きつけてぺったん、ぺったん。
ぺったん、ぺったんを何回か繰り返して生地を四角くします。
さらに伸ばして1ミリの厚さにします。乾燥して生地がひび割れてくるので延しは20分を目標に。
伸ばしたら畳みます。
●切り
蕎麦の断面を正方形にしたいので1ミリの幅に切っていきます。
駒板をあて包丁を斜めに押しながら切ります。ふじもりさんのリズミカルな包丁の音。
そして見事に細く美しい蕎麦に皆歓声。
今度はいよいよ私達の番です。皆、真剣な表情です。延しの作業が難しく手間取ってしまい
生地が乾燥してまわりがひび割れてしまいました。切る作業もやってみると難しくなかなかリズミカル
にはいきません。太さはまちまちですが皆の蕎麦も完成しました。
●茹で
大きな鍋にたっぷりのお湯を沸かして、九一蕎麦だと20秒くらい茹でます。
水で洗って氷水でしめて完成。
曳きたて、打たて、茹でたての蕎麦の極意を味わうために要した時間、6時間。皆おなかペコペコ。
でも、自分達で作った蕎麦の味は格別の美味しさ。思っていたより上出来でした。
ふじもりさんが、ゆず切り、蕎麦団子、蕎麦豆腐の3品盛りの小鉢を出してくださり、いろいろな食感、香りを
楽しみました。美味でした、ご馳走さまでした。
新米と皆が持ち寄ったお酒、漬け物、煮物、和え物、焼きもの。それぞれの思いがこもった一品、みな美味しかったー。
食べて飲んで、皆の幸せそうな顔をみていたら、人間って身体動かして、おいしく食べて、ぐっすり寝る、
これだけで幸せになれるのに自分達で生きるのをムズカシくしちゃってるんだなーなんて思いました。
温かくやさしい笑顔のふじもりさんご夫妻、丁寧なご指導ありがとうございました。
シャロムに戻ってふと空を見上げると満天の星空。流れ星のプレゼントもあり幸せな一日でした、感謝。
11月15日(日) 2日目のレポート
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◆起床
◆田んぼでの苗代づくり
⇒苗代について/苗代の大きさ/苗代の場所/苗代づくりの手順
⇒田んぼへの麦やレンゲの種降ろし/稲架掛(はさがけ)/番外編:車のなかでの竹内さんの話
◆ブランチ(朝昼食)
◆お米と大豆の脱穀
⇒足踏み脱穀機/ふるい/唐箕(とうみ)/その他の脱穀方法
◆クラインガルテンでの野良仕事
⇒竹内さんからのアドバイス
◆2日間を振り返っての感想会
⇒みなさんの感想/竹内さんの話(まとめ)/12月の予定
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◆ 6:00 起床
朝の6時には、私たちの寝ている場所でヨガ教室が始まります。
そのため、それまでには起きなければなりません。
ヨガ教室に参加するふり(?)をして、隅で気配を消して寝つづけるという手もありますが…
8時までは自由時間なので、ヨガ教室に参加したり、畑に足をはこんだり、
はたまた場所を変えて二度寝する(M.S氏)といったように、朝のひとときを思い思いに過ごします。
外に出ると、晩秋の澄みきった朝の空気がすーっと体のなかに染み入ってきます。
晩秋から冬にかけての、この冷たくも少しずつ張りつめてゆく朝の空気の感触が、私はとても好きです。
落葉した色とりどりの葉が、足元の土を美しく蔽っています。
その形や色彩の多様さをとりとめもなくぼーっと眺めながら歩いていると、
その何気ない足元の景色のなかにも、奥行きのある世界が存在していることに気づかされます。
遠くに視線を移すと、御鷹山から美ヶ原にかけての空は、まだ淡いオレンジ色をしています。
新しい一日が始まろうとしています。
星野道夫さんの言葉が、脳裏を通り過ぎてゆきました。
無窮の彼方へ流れゆく時を、
めぐる季節で確かに感じることができる
自然とは、なんと粋なはからいをするのだろうと思います
一年に一度、名残惜しく過ぎてゆくものに、
この世で何度巡り会えるのか
その回数をかぞえることほど、
ひとの一生の短さを知ることはないのかもしれません
シャロムの自然農の畑を横目に歩いていると、草のじゅうたんの上に佇む白菜の姿が目に留まりました。
朝露で鮮やかな色を纏っています。傍らには、黄色い菜の花を咲かせているブロッコリーの姿もあります。
導かれるように、一面が柔らかな緑色に満たされたその畑の上に足を踏み入れると、
枯れてその一生を終えようとしている向日葵やアマランサス、いんげんの姿も浮かび上がってきました。
レタスは花芽を伸ばし、その一生を種の内に込め、その種には白い綿毛がついています。
その綿毛をつけた種がこぼれるように地表に落ち、またその新たな場所でいのちを紡いでゆくのでしょう。
そんな風景の只中にいると、それ自体ですでに完全ないのちや自然の営みのなかで、
お米や野菜を「つくる」「育てる」といった私たちの人為的な行為が、
ときに、何だかとてもおろかで、おこがましいことのようにも思えてきます。
「私」の意識や行為を越えたもっと深く拡がりをもった場所で、
この世界のいのちは、ゆらぎ、うごめき、めぐり、つながりあっているのかもしれない…
できることなら、そんないのちや自然そのものの懐へと還ってゆきたい…
そんな想いが「私」という場所を、すっと通り過ぎてゆきました。
畑にたどり着くと、すでにヒロさんとほしのさんの姿が。一か月ぶりに自分の畑と再会です。
7時をまわったところで、昨日欠席のフジさんとみっちゃんも畑に登場。
みほさんの畑からは、さつま芋のような二十日大根。
のんこさんは、朝から土にまみれ、ごぼう掘りに精を出しています。
ヒロさんの畑からは、ねずみに齧られたと思われる大根が…
皆さん、思い思いに自分の畑に向き合っている様子でした。とても楽しそうです。
そんな心地よい朝の畑でのひとときを終えて戻ろうとすると、北の空に虹が架かっていました。
はたして、私はあと何度、こんなに美しい秋の風景に巡り会うことができるのでしょう。
◆ 8:20 田んぼでの苗代づくり
8時にシャロムの玄関前に集合。竹内さんから今日の予定の説明がありました。
そのとき、がんさんが私たちの為に持ってきてくれたブロッコリーの苗についての説明もありました。
ブロッコリーをプランター(野菜や草花を育てるための鉢や箱のこと)で育てる場合には、
直径35センチ前後、深さ30センチ以上の鉢がよいそうです。
プランター用の土を買う場合には@野菜の土A野菜と花の土B花の土、の順でオススメとのこと。
花用の土は、たいてい遅効性の化成肥料が入っていたり、強すぎてアブラムシなどが湧きやすいそうです。
その後、いつものように車に乗り合わせて、田んぼへ移動。
<苗代(なわしろ)について>
今月の田んぼは、苗代(お米の苗を育てる場所)づくりです。
来年この田んぼでお米をつくる方々への、ささやかな贈りものでもあるとのこと。
苗代に種籾※を降ろすのは春先ですが、そのとき発芽する幼苗が元気に育つように、
秋から冬にかけてのこの時期からゆっくりその舞台を整えてゆくのだそうです。
※種籾 種用に、元気に育った稲を選んで保存しておいた、籾殻がついたままのお米
<苗代の大きさ>
田んぼの大きさは3畝※ほどで、苗代は2×3mほどの大きさでよいとのこと。
苗代の幅は、作業しやすいようにその両側から手の届く位がよいそうです。
参考までに、鏡山さんの『自然農・栽培の手引き』には、
1反※あたりの苗代の大きさは、だいたい25平方メートル程度とあります。
ちなみに、この大きさは40×25センチ間隔の1本植えの場合で、
田植えの間隔や一か所に植える苗の本数などによって変わってくるとのこと。
一般的には8本植えが主流だそうですが、それは稲の分けつ※に頼らない植え方。
一方、自然農の場合は、一か所に植える本数を少なくすることで、稲自身の分けつを促す植え方。
今年のように日照が不足した年の場合、分けつがあまり進まないため結果的には収量が落ちますが、
分けつというお米本来の力に委ねながら「まあまあ獲れる」を続けてゆくことのほうが、
長い目でみれば、より持続可能なあり方なのかもしれないとのことでした。
※1畝(せ)≒1a(アール)=10×10m 1反(たん)=10畝
※分けつ 稲や麦などで、根に近いところから茎がたくさん分かれて伸びてゆくこと
<苗代の場所>
毎年、場所を変えたほうがよいとのこと。より土の痩せたところに苗代をつくり、
それを年ごとに循環させてゆくことで、田んぼ全体のバランスを整えてゆくことができるのだそうです。
また昨年のレポートには、日当たりのいいところ、少し高くなっているところ、
水口(みなくち)から離れているところがよい、とも書かれていました。
<苗代づくりの手順>
@ 苗代をつくる場所に目印をつけ、ひもや棒などで囲う
A 表面の冬草や稲の切り株を地際で刈り(削り)、苗代の外側に出す
B 苗代のまわりに溝を掘り、その土を苗代全体が平らになるようにのせてゆく
C 平鍬などで土のかたまりを砕きながら、土の高さ、固さを一定に整えてゆく
D 平鍬の背などで鎮圧する(※苗代の側面も忘れずに、田んぼの元の土の固さへと戻してゆく感じ)
E 手で全体を抑えてゆき、元からある土と後からのせた土とを密着させて一体感を持たせる
E 米ぬかを、うっすらと地面が隠れる程度にふりまく
F 藁をきれいに並べて苗代の上に被せ、藁が風で飛ばないよう竹や木の棒などをその上に置く
畑の畝立てや苗床つくりと、かなり共通しているようです。
溝を掘ることでねずみやモグラ除けになるということは、畑で畝立てをするひとつの理由でした。
苗の育つ環境をできるだけ同じにすることで苗の生育のばらつきを少なくするということも、
畑で苗床をつくる際のポイントでした。
またここでも、はじめの地味(?)な作業をどれだけ丁寧にするかで、
のちのちの手間が大きく変わってくるとのことでした。
ふとこの一年を振り返ってみたとき、こういった手順自体を事細かく覚えるよりは、
そこで育つお米や野菜の一生を毎年注意深く眺めながら見守ってゆくことで、
お米や野菜にどう応じてゆけばよいのかということが、自然と観えてくるのではないかとも思いました。
<田んぼへの麦やレンゲの種降ろしについて>
田んぼには少し前に大麦やレンゲの種を降ろしたそうですが、まだあまり芽がでていない様子。
田んぼに麦やレンゲの種を降ろす場合は、稲刈りの前がよいのだそうです。
稲刈り前の稲と稲の間に麦やレンゲの種を降ろすのには、大きく2つの理由があるそうです。
ひとつは、種を降ろした場所の土が乾燥しにくく、種が発芽しやすいため。
もうひとつは、大麦やレンゲの種を食べる鳥などから見えにくくなるため。
<稲架掛(はさがけ)について>
稲架掛とは、刈り取った稲を「稲架(はさ・はざ)」と呼ばれる木や竹の竿に干すこと。
機械乾燥が主流になった今、このような天日乾燥を見かけることは少なくなりました。
田んぼに稲架掛されている稲は、全部で5種類(いせひかり、黒米、赤米、緑米、農林48号)。
この田んぼの大きさは3畝ほどで、例年1俵(60キロ)位のお米が獲れるのだそうです。
調べてみると、日本人が1年間に食べるお米の量が平均で60キロくらいだそうなので、
この田んぼでだいたい1人1年分のお米をまかなえる計算になるでしょうか。
ところで、稲架に架かった稲の根元の部分が、シートで覆われている光景を目にしますが、
これは乾燥中の稲束が雨などで濡れにくくなるようにしているのだそうです。
稲の茎はストロー状になっているので、雨が降るとその断面から水が入ってゆきます。
一方で、濡れた稲が乾燥してゆく際も、主にそのストロー状の断面から水が抜けてゆきます。
そのため、一概に「シートをかけたほうがよい」とは言えないそうです。
「この方法がよい」と囚われるのではなく、その場その場の状況を自身で見極め、
それに応じてゆくことができればいいですね、と竹内さん。
竹内さんの言葉で、タゴールの詩の一節を思い出しました。
道ができている場所では
わたしはわたしの道を見失う
大海には、青空には、どんな道も通っていない
道は小鳥の翼のなか、星のかがり火のなか、
移りゆく季節の花のなかにかくされている
そこで、わたしはわたしの胸にたずねる
おまえの血は、見えざる道の知恵をもっているか、と
最後に。「持ち込まず、持ち出さず」が原則の自然農。
田んぼ全体に藁をふりまいて戻してゆきました。
以上で、今月の田んぼでの野良仕事は終了。車に乗り合わせてシャロムへ戻ります。
<番外編:車のなかでの竹内さんの話>
最近、多くのひとが地に足がついていないような感覚、フワフワした感覚を抱いている。
それは文字通り、私たちが「地(土)」から離れてしまっていることに由来しているのではないか。
一方で、もともと私たちは、土から生まれ土へと還ってゆく存在であるにもかかわらず、
その土自体を、私たち自身でどんどん疲弊させ続けている。
それは、言いかえれば、私たち自身の疲弊を意味しているのではないだろうか。
他方、そんな今の人間のあり方に対して疑問を抱き、
自分なりにその問いと答えの形を抉り出し、世に問うた人がいる。
それが、「すべては無駄だった」と言いながらも、
自己の内に留まらずに多くの人のこころにその種を遺して逝った福岡正信さんであり、
自然農の川口由一さんであり、ケンさんであり…
私も、そんな今の私たち自身のあり方に何らかの違和感を抱いて、
こうして縁あって出会った人のこころに、少しでもなんらかの種を播いてゆくことができれば…
そんな素敵な話を、竹内さんにして頂きました。
さて、やっとごはんです!
◆ 10:30 ブランチ(朝昼食)
いつものことながら、ひと仕事終えたこの時間には腹ペコになっています。
食べること自体が、大きなよろこびであり…同時に、ある種のかなしみでもありますが…
ついつい忘れてしまいがちなそのありがたさを思い出す、そんな大切なひとときでもあります。
◆ 12:30 お米と大豆の脱穀
脱穀とは、収穫した穀類を茎からはずすことを言うのだそうです。
基本的には以下の手順で、お米だけでなく、豆類、麦類など穀類全般を脱穀できるそうです。
大まかな脱穀の手順は、@足踏み脱穀機→Aふるい→B唐箕(とうみ)
@「足踏み脱穀機」で、よく乾燥させた稲束の稲茎から籾を落としてゆく。
A 落とされた籾には稲茎や虫などが混じっているので「ふるい」にかけたり手で取り除く。
B「唐箕」を使って、ふるいにかけた籾から細かい藁くずなどを風で飛ばし、籾だけを選り分けてゆく。
※『自然農・栽培の手引き』の44ページなども参照してみてください。
<足踏み脱穀機>
足踏み脱穀機とは…
円柱状のドラムの表面に、歯(U字状の太い針金)をつけ、
その歯を回転させることで、籾を稲茎から外してゆく機械のことです。
足でペダルを踏むことでドラムが回転し、そのドラムについた歯に稲穂を当ててゆくと、
籾だけが稲茎から外れてゆく仕組みになっています。
足踏み脱穀機の使い方は…
@ シートを敷き、その上に足踏み脱穀機を置く。
A 脱穀された籾が飛び散らないように、脱穀機の上もシートなどで覆う。
B ペダルを踏み、ドラムの回転数を上げてゆく。
C 回転数が上がったところで、稲束の先の稲穂の部分を軽く歯にあてる。カラカラという軽い音が目安。
D カラカラという音がしなくなってきたら、稲束を少しずつ歯にしっかり当ててゆく。
E ひっくり返したり、広げたりしながら、満遍なく籾を稲束から落としてゆく。
ポイントは、まず片足でしっかりペダルを踏んでドラムの回転数をあげ、スピードが出てきてから、
回転しているドラムの歯に穂先を最初は「少しずつ」当てていくことだそうです。
最初から稲束を歯にしっかり当ててしまうと、稲束ごと引き込まれてしまうので注意が必要とのこと。
また、ドラムの回転する速さを一定に保つこともポイントなのだそうです。
みんなで交代しながら、順番で脱穀してゆきましたが、最初のうちは、ペダルを踏むこと・
ドラムの回転を一定に速さに保つこと・稲穂を適切に歯に当てること、という同時進行の作業が、
なかなかうまくできませんでした。手元に意識がゆくと、足踏みが疎かになり…といった感じ。
<ふるい>
足踏み脱穀機で落とした籾を手箕(てみ)ですくい、ふるいにかけます。
次の唐箕の作業では選り分けることのできない、籾より大きく重いもの(大きな藁くずなど)を、
ふるいにかけることで、あらかじめとり除いておきます。ここで、虫なども手で取り除きます。
<唐箕(とうみ)>
唐箕とは、脱穀した籾に混ざっている藁くずやゴミなどの軽い異物を、風をおこして吹き飛ばし、
籾だけを選り分けてゆく道具です。
また、風によって軽いものを飛ばし、重いものだけを選り分けてゆく作業を、
「風選(ふうせん)」というそうです。
実のつまっていない籾(しいな)や細かい藁くずなど、不要な軽いものだけを風で飛ばし、
しっかり米粒が入っている籾だけを選り分けてゆきます。できるだけ籾だけになるまで、
この作業を何度か繰り返してゆきます。
唐箕による風選にもコツがあり、あまり力強く羽根(風を起こすプロペラ状のもの)を回してしまうと、
籾自体も一緒に飛ばされてしまうため、程よい一定の速さで羽根を回し続けることが大切なのだそうです。
また、上から入れた籾が落ちてゆく調整穴は、籾の2倍程度の幅でよいとのこと。
<その他の脱穀方法>
より手作業にこだわるということであれば、千歯こきや、穂先だけを刈り取って手でしごいてゆく、
といった昔からの脱穀の方法もあるそうです。
また唐箕の代わりに、手箕を使っての風選もあるそうです。
以前、個人的にお会いした小諸の斎藤さんという方は、籾を手箕で風選しているとのことでした。
大変な手間ですが、秋の風を感じながらの手作業は、とても心地よい時間だとおっしゃっていました。
◆ 14:00 クラインガルテンでの野良仕事
クラインガルテン(各自の畑)での野良仕事も佳境をむかえています。
残った仕事は、収穫・次回12月に収穫するものの手入れ・片付けといったところでしょうか。
みなさん自分の畑と向き合いながら、わからないことは逐次竹内さんに質問して、
アドバイスをもらっていました。
<竹内さんからのアドバイス>
収穫したゴボウは、濡れた新聞紙で包み、その上をビニール袋で覆うとよい。
あるいは、穴を掘りゴボウを横か逆さまにしてその上に藁を被せ、更に土で覆うとより長く保存できる。
大根は今月収穫してもよいが、土寄せすることで来月(12月)の収穫もできる。
白菜は、ある程度結球したところで外葉を藁などでまとめて巻いて縛っておくと、より寒さに強くなる。
また、中心部分も白くなって柔らかくなり、より甘くおいしくなる。
◆ 15:00 2日間を振り返っての感想会
<みなさんの感想>
脱穀は初めて体験だったが、みんなで楽しみながら人力で行ってゆくことに、程よい心地よさを覚えた。
無理のない規模で、自然の理に適っている程度に留めておくことも大切ではないだろうか。
普段の生活では、頭や手しか使わないことが多いが、こうして自分の全体を感じながらの作業は、
難しくも楽しいひとときだった。
売っている大豆は、均一の大きさでつやつやしていて、保存しておいても虫が湧かない。
一方で、こうして脱穀を体験してみると、虫に食われているものがあり、割れているものがあり、
サイズもいろいろ。私たちが普段何気なく買っている大豆がどんなものなのかを顧るよい機会になった。
2か月ぶりに参加して、安曇野の空気や景色がまた変化していることを実感した。
脱穀や蕎麦打ちや綿の糸紡ぎなど、いろいろな手作業を体験でき、とても楽しい2日間だった。
最近読んだ本のなかで「学んだ人はそれを次に伝える義務がある」との一節を目にした。
私のなかで、自然農塾での学びを誰かに伝えてゆくにはどういったかたちや可能性があるのか、
そんなことを考えながらの2日間だった。
そばを育て、収穫し、乾燥させ、脱穀し、粉にするという作業を通じて、
普段何気なく食べている蕎麦というものが、改めてとてもありがたいものに感じられた。
蕎麦の種降ろしから収穫までの容易さに比べて、その実を脱穀し、粉にし、
蕎麦を打つまでの過程に気が遠くなったが、その蕎麦の味は格別だった。
蕎麦打ちの体験を通じて、そのシンプルな工程ひとつひとつに奥深さがあることを実感した。
無条件に楽しい時間と、その時間をみんなとシェアできる幸せを噛みしめた。
コンバインなどで自動的に行われている作業が、実際にはどうなっているのか、手作業で確認できた。
いろいろなやり方があるなかで、自分自身のやり方をこれから見極めてゆきたい。
足踏み脱穀機・唐箕・石臼(3種の神器?)がほしくなった。
石臼の形のなかに、その思想が表現させていることに驚いた。
昔からの道具は、石臼のように、その形に思想が表現されているのではないだろうか。
足踏み脱穀機も唐箕も石臼も、買おうと思えばたくさんのお金がかかる。
一方で、農家を回れば見つかることもある。機械を買おうとすると多くのお金が必要になり、
そのお金を稼ぐために、たくさん働かなければならなくなる。こうして仲間さえいれば、
ゆっくりでも、みんなでワイワイやりながら、楽しい時間を過ごすことができる。
<竹内さんの話(まとめ)>
道具には、人の手の延長上にあるものと、高度に複雑化し人の手から離れていってしまったものとがある。
後者の道具は効率や生産性を重視し、そこから労働や雇用が生まれる。そこでは、人間は排除されてゆく。
そんな今の世の中で、土に触れるという行為は原点回帰のようなもの。農という営みを通じて、
人と自然との均衡のとれた関係性をもう一度取り戻してゆくことはできないだろうか…
とのことでした。
<12月の予定>
来月は、野沢菜を漬けたり、味噌をつくったり、ぬかくどでご飯を炊いたりするそうです。
また、1人1品持ち寄りだそうです。種の交換会もあるそうなので、今年種を採って余分のある人は、
持ってきて下さいとのことでした。
以上、まとめ下手で長くなってしまいましたが、2日目のレポートでした。
河野佳弘
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