第3期
安曇野パーマカルチャー塾
第6回講座 「住」棟梁に学ぶ〜日本建築の基礎〜
<8月27日(土)快晴 第1日目> 記録 矢島朋子
講師陣:臼井さん、詩さん、梅さん、やっさん
今回の担当講師:棟梁の小杉さん
ゲスト:2期生の稲ちゃん(1日目の夜から参加)としぶかずさん(埼玉で有機農業を営んでいます)
残念ながら欠席:淳さん、スーさん、しんさん、水ちゃん、美穂さん、ナツキータ
1:30 シャロム集合
オリエンテーション
今日の予定と、ゲスト講師の小杉さんにひとりひとり簡単な自己紹介
14:00〜 【農業実習】
久々の畑は草がボーボーで作物なんて見えない状態。まるでジャングル。夏場は特に草の成長が著しいことを実感。
まずは自分たちの畑の草刈から開始。
注意!すべての草を刈ってはいけません。部分部分残しながら、虫の逃げ場所をなくさないこと。割合などは臨機応変に。←これが難しい!
*ジャガイモの収穫
じゃがいもは葉っぱが枯れ始めたら収穫する。このとき親芋は養分がすべて小芋に使われていて、皮だけの状態になっている(はず・・)。
もし親芋がまだ元気だったらもう一度土に埋める。秋に収穫できる。
※2度芋
春に植える→夏に収穫
夏に植える→秋に収穫 これは来年の種芋にもなる。
*7月に植えた白菜とキャベツ
きれいに芽が出たのに虫に食われて全滅。
原因は・・・
草の刈りすぎ?虫の住家がなくなって、柔らかくておいしい新芽に飛びついてしまうため。
サブシステム:何回かに分けて植える、苗床を作っておく等。リスクの分散をする。
<今月の収穫物>
ジャガイモ、トマト、ナス、きゅうり、とうもろこし、枝豆、インゲンetc….
その他の作物の様子
・もちキビ→ふさふさとした緑の穂をつけていました。とても美しい姿をしています。
・落花生→小さな花を咲かせていました。この花から弁が伸びて土の中に入ってピーナッツができるのですねー。
・花オクラ→大きなフリフリの白っぽい花を咲かせていました。これをサッとお湯に通してお浸しで食べたり、サラダにしたりするそうです
秋の種まき
*早生白菜
種を蒔く時期:8/中旬頃
植え方:点蒔きorすじ蒔き
今回は点蒔き
@
蒔くところだけ草を刈って土を出す。
A
1箇所に10粒くらいをぱらぱらと蒔く。
B
薄く土をかぶせて、手で軽く押さえて草お布団を掛ける。
C
これを40cm間隔で植えていく。
※夏野菜の足元など、陰になるところがよい。
※キャベツや白菜など結球する野菜はとてもエネルギーが要るので、地力が必要。
葉もの野菜の旬は秋!
秋は日本系のほうれん草がおすすめ。春に蒔くとすぐに花になってしまう。
西洋系のほうれん草は春蒔き。
*日本ほうれん草
植え方:すじ蒔き
@
蒔くところだけ草を刈って土を出す。
A
鍬で表面を根きりして、土を軽く押さえる。
B
種をぱらぱらと蒔く。ほうれん草の種は固い殻があるので、土をかけてあげる。土を刻んだだけではダメ!
C
土を押さえて、上から草お布団をはらりとかける。
*大根
その土地に合った品種を選ぶ。
植え方:すじ蒔き
@
蒔くところだけ草を刈って土を出す。
A
土にすじを作って、3cm置きに種を蒔く。
B
軽く土をかぶせて、手で押さえる。
17:00 【フリータイム】 温泉へ!
18:30〜 【晩ご飯】
今回はなんと、なんと「玄米手巻き寿司」!
そしてさらに驚くべきことに「菜食の宿」のはずなのに「刺身」が出ました。
いいのかな〜〜〜
ま、おいしければよいのです。食べ物に感謝しておいしくいただけばよいのです。
手巻きの具は・・・
しいたけ、高野豆腐、かんぴょう、揚げ、インゲン、きゅうり、アボカド、納豆、刺身などなど。それからすったごぼうを使って作った精進料理(?)のウナギもどきには感激しました。ごはんはもちろん玄米の酢飯。
アボカド納豆がおいしかった!それから、しいたけとか高野豆腐などの乾物巻き(勝手に名付けました)も見た目は地味ですが「慈味」でした。
みんなお腹がすいていたせいか、黙々と作っては食べ、作っては食べを繰り返していました。お腹がいっぱいになったところで、詩さん宅へいざ出発!
]
車4台で詩さん宅へ向かいます。途中ジャスコで座談会用のお酒を調達。その後、明科駅に途中参加の稲ちゃんをピックアップ。
20:30〜 【建築講義】詩さん宅にて 講師:小杉さん
*日本の建築について
現在の建築はほとんどが在来工法。
私たちがやっている建築実習で製作中のものと基本は全く同じ。
ここで一番重要なのが、「筋交(すじかい)」。これがないとグラグラして安定感がないため、地震のとき崩れてしまう。
詩さんの家は築75年の「伝統建築」。
在来工法と明らかに異なるところ・・・柱に梁(はり)が刺さっている。これによって強化され、安定感がでてくる。しかし、今の法律ではこの建築方法では建てられない。
水墨(みずすみ)とは・・・
梁に水平に付ける墨。これがあれば、どんな梁でも屋根を付けることができる。とても重要なものです。水墨の出し方は差し金を色々使って出せるそうですが、詳しく知りたい方は棟梁に弟子入りしてください!
差し金はすごい道具だった!
差し金はその使い方だけで1冊の本ができるほど。
「新しく家を建てるならどんなところがいいのですか?」という小杉さんへの問いに対して・・・
お寺と神社が近くにあって、東海道などの旧道があるところがおすすめだそう。これらのあるところは地盤が強い。ついでに、使う木材は地元の木で建てるのが好ましく、建て方も生えていたときと同じ方向を向くようにするとよい。
22:00頃〜 【フリータイム】
詩さんの家のダイニング(?)で、みんなでわいわい酒を飲みながら座談会。昼間に収穫したとうもろこしと枝豆をゆでて食べました。詩さんのお母様も参加して、楽しいひと時となりました。
<1日目の感想>
農業実習では、みんなの手馴れたのこぎりがまのさばきなどを見て、「みんな、もう農民なんだー」と思ってしまいました。収穫した野菜達も形はちょっぴり不細工でも味は素晴らしい!よくぞここまで育ってくれたと感謝しつついただきました。
それから、詩さんのお家。それはそれは素敵でした。誰かも言っていたけれど、住んでいる人そのものが出ている感じです。心地よい空間でした。(2階の図書館も気になるところです。懐かしい本や読みたい本がいっぱいありました。)
夜の「建築講義」で、小杉さんはもっともっと色んなことを教えてくださったのですが、うまくまとめられずごめんなさい。
<8月28日(日)晴れ 第2日目> 記録:こう・ぷみん
詩さん家で起床。夏なのにひんやり涼しい朝でした。今日も、つながりんぐと嬉し涙がありました。
畑がどんどん豊かになっていくように、この半年で、みんなもだんだんよくなってきている。
そんな想いが日に日に力強くなってきています。
6:20〜【詩さん家の畑ツアー】
家の中もステキでしたが、家のまわりもステキです。詩さんの案内で、畑ツアーに出かけました
庭には、
木の桶を利用した雨水タンク(ボウフラ防止でメダカを飼育)。
多摩美大生制作のコンポストトイレ。裏庭のキッチンガーデン。今年完成した池。温床。
やはり詩さん家にもシステムデザインがありました。
すぐ近くの斜面の畑では、
オクラ、トマト、ズッキーニ、ブロッコリー、ナス、ピーマンなどを栽培。
・
(自然農を実践していると)毎年、畑が豊かな方向になっていく
・
心地良さそうな野菜の声が聞こえてくる。
・
あきらめない。
→翌年になって、ブロッコリーやズッキーニが生えてきたこともあった。
・
株のまわりの草は刈るが、全部の刈らずに残す部分は明確に残す。
・
栄養はカツカツがよい。
・
栄養過多になったときは、刈った草を敷かないで持ち出す、外に出す。
坂を下って、畑にいきました。
おおくら大根、源助大根、パープルポット、穂高インゲン、トマト、春菊、
インゲン、キュウリ、オクラ、タイバジル、ニガウリなどを栽培。
・
砂漠の畑が回りにないので、虫害がない。
・
草むらを残す。→虫のすみか。
・
「草を刈らなくても大丈夫」がわかってくる。
・
だんだん草を刈る量が少なくなってくる。
・ 野菜の花は黄色が多い。
・ 色の多様性
ミニトマトの美味しそうな声が聞こえたので、みんなで頂きました。
畑でそのまま食べる野菜。美味しいですね。
詩さん家と畑との行く道で通った家々。どこの家も庭・畑ときれいに手入れされていていました。庭には、彩り豊かな花々。畑には、大根やナスなど(根元には、籾殻・わらが掛けてありました) 暮らしを自分にとりいれるなかで、おじいちゃん、おばあちゃんの知恵と経験に学ぶことは多くあるようです。詩さん、近所のおばあちゃんたちとも気持ちよく挨拶しあって、常日頃からよい人付き合いをされています。こんな日常の積み重ねが、すてきな暮らし方にも深く関係しているのでしょう。
詩さんのお母さんに見送られてシャロムへ出発。すてきな時間をありがとうございました。
7:50〜 【田んぼ見学】
コシヒカリ、アキタコマチ、ムラサキイネ、ミドリマイ、アカマイ
稲穂がすくすく育っていました。それぞれ色、形が違います。なんだか新鮮でした。収穫が楽しみです。
(草刈) 一面全部からない。一列置きに草を刈り、虫のすみかを残す。
(水量の調整)水を引いたり、あげたり。土に根はり。水が常に入っていると酸欠になる。
シャロムで朝食
9:20 【小祝慶子さんのお話】
小祝さん(みんなが持っている緑の本『パーマカルチャー・農的暮らしの永久デザイン』の翻訳者)にお話をお伺いしました。
・
パーマカルチャーとの出合い
筑波で農的な暮らしを家族で実践。その後、オーストラリア・ビスモアに移り住み、パーマカルチャーにであう。
・
翻訳されるに至った経緯
本屋で見つけた『イントロダクション パーマカルチャー』(緑の本の原著)。今までやりたかったこと、発想の持ち方がそのまま語られていた。日本の人にも伝えたいという想いが募る。出版社に日本語訳があるかどうか問い合わせたのがきっかけで、田口さんと共同で翻訳をすることになる。
・
ビル・モリソンさんとの対話
ビル・モリソンさんの第一印象は、「筑波でみたおじいちゃん」いつも裸足で生命力と力強さがある。
まわりの人たちの協力で一旦翻訳し終えたあと、ビルとの再会。
現地を案内してもらう。用地全体が見渡せる一番高い所から、全体設計の説明を受ける。
鳥瞰図→フォーカス(本の構成も同じ視点)
ダイナミックな景色を前にして、ふと、でた小祝さんの言葉。
「ビル、いいなこんなダイナミックな、こういうところで暮らしたい。」
・ビルからのメッセージ。
オーストラリアの広い農場でする、というのがパーマカルチャーではない。
パーマカルチャーは都会でもできる。与えられた空間でできる。
日本には、根付いている暮らしの文化があり、そこにこそ、継ぐべきものがある。
・
暮らしを継ぐということ
暮らしって代々語り継いでいくもの。
それなのに、普通に暮らしていること、が消えてしまう。
日本の暮らしが捨てられていくのは切ない。
パーマカルチャーを実践する過程で、
日本にこそ継ぐべきものがあるという想いがふくらむ。
暮らしを実践して、観察して、対話して、次に伝える。これが役目。
・
パーマカルチャーという切り口
パーマカルチャーには、いろいろな取り組み方がある。
農業で始まるものだけがパーマカルチャーではない。
パーマカルチャーの倫理・道徳(緑の本9ページ)が好きなところ。
切り口がいろいろある中で、発想がそうであれば、つながっていく。
その中で自分自身ができることを実践する。
今、している心の相談室もパーマカルチャーと思う。
あれもやっている。これもやっている。
暮らしにまつわることが好きでいい。楽しんでいい。
どういう経緯でパーマカルチャーにであったのか。
どういう生き方で。
そのパーマカルチャーを通して出会った人々。
そこに行き着くまで。
そこに行き着いてからこそ。
人柄が財産。
小祝さんのお話にみんなじっくり聴き入っていました。
今このときだからこそ、琴線にふれるものがあり、それぞれが、存分に巡らせる想いがあったのではないでしょうか。
ここにもつながリングがありましたね。うれし涙もありました。
感動があふれでること、そこに一緒にいること、本当に素晴らしい体験です。
小祝さん、みなさん、分かち合い、ありがとうございます。
ビル・モリソンの想い
「在野の賢人」
12年前、『Introduction to Permaculture』(現『パーマカルチャー〜農的暮らしの永久デザイン〜』農文協)の翻訳をやっと終えて、ビル・モリソンに、その内容の最終確認をしに行った時のこと・・・。
「机上での説明より 見た方が早いから・・・」と、ビルは私達をジープに乗せて、パーマカルチャー研究所の敷地をまわってくれた。デザイン中のその敷地・・・とは言ってもスケールが違う。
ジープに乗って、まず連れていってくれたのが、丘の一番上に造成中の貯水池だった。
その丘の頂上から、指さして「ほら、あの東の丘にうっすらと見える茶色い横につながる筋状に見える部分がスウェイルだ・・・丘の中腹にも何本か見えるだろう。
あの斜面を流れてきた雨水をスウェイルで貯めてゆっくり浸透させる・・・スウェイルに沿って、あそこにはマンゴーが植えてあるから、マンゴーにとっての水にもなるし、スウェイルがあるおかげで、降った雨が一気に丘をただ駆け下り、丘の土を浸食して土を流してしまうことがないんだ。」
「このレモングラスは土手が崩れないように植えたのさ。あっ、竹も植えたよ。ほら、あそこだ。(遠く先の土手を指さして)竹は、根を張って地をしっかり補強してくれるし、竹でいろんなものが作れる。
日本で、竹は様々なものに利用されている・・・っていうじゃないか。」
そんな会話をしながら約半日かけて案内してくれた。
今まで四苦八苦して翻訳しながら「スウェイル」だの「ダイバージョンチャンネル」だの・・・うまく訳せずにいた単語のイメージがやっとつかめた。
と同時に、ビルのダイナミックな発想と、それを実現化させた生き方にグッと惹かれていた。
私の心奥底にある野性的な感覚が呼び覚まされていくのを感じた。
ジープを降りて、研究所に戻り、原本の内容を一つ一つ確認していくうちに夕飯の頃になった。
ビルが、自分が漬けたぬか漬けだと言ってキュウリを持ってきた。
「日本の発酵文化はすごい。発酵文化もパーマカルチャーの大切にしたいところだ。
キュウリとぬかを発酵という過程を通してつなげると、キュウリそのもの、ぬかそのものよりも優れた栄養価を持つものになる。
どうだ、俺の漬けたキュウリは!!」私は、久し振りに(その時点で夫の仕事のために日本を離れてオーストラリアに来て1年経っていた)口にする「ぬか漬け」なるものに、懐かしさのあまり食らい付いた。
しかし、その味が・・・微妙で・・・・ただ飲み込んだ。
得意気なビルは、その「ぬか漬け」を美味しそうに食べていた。
私達は幼い頃から食べ慣れていて、その発酵したものの味を舌で知っている。
ビルには、ぬか漬けの到達すべき味が経験が無いゆえに分からないんだなぁ・・・と思った。
それでも、いいものならば新しい味に挑戦しようとするビルに、やってみて学ぶ姿勢を感じた。
「先達から学べ、観察せよ」
内容確認がほぼ終わり、ホッとした頃、「この翻訳本パーマカルチャーが日本の読者に渡る日も近くなったなぁ。
よかったな。嬉しいよ。」とビル・・・。
「きっと、多くの人に読んでいただけると思います。とても素敵な本ですもの。
日本の多くの人がこういう暮らしに惹かれていると思います。
私も早くどこかで、ビルのように暮らしをデザインしながら生きていきたいと思いました。
きっと、たくさんの日本人が、これからここパーマカルチャー研究所やクリスタルウォーターズを訪れ、勉強しに来るでしょう・・・。」と、私。
その発言に対しビルは、こう言った。
「そうか、歓迎するよ。でも、忘れてはならないことが一つある。
君達は、日本の先達から謙虚に学ぶことだ。
パーマカルチャーの翻訳本が出版されたとしても、それは単に、こういう暮らし方・こういう発想の”きっかけ”になるものに過ぎない。
「パーマカルチャー」に載っているデザインを、遥か日本の土地にそのまま持っていっても、そぐわない。
パーマカルチャーは、今では世界各地で実践されているが、中にはパーマカルチャーのシステム・倫理を深く理解せずに、表面的なデザインだけとって、作ってしまうパーマカルチャーデザイナーがいる。
しばらくして、そのデザインしたものがうまく機能しないと、パーマカルチャーはたいしたことないな・・・と、言われてしまう。困ったものだ。
その土地、その土地にあったデザイン・農法がある。その土地固有の農法には、訳がある・・・それは、人目を引くデザインではないかもしれないが、奥にパーマカルチャーシステムがきっとある・・・そのシステムを、認識することが大切なんだ。
まず土地に立って全体をゆったりと眺めること。
そして少しずつ視点を下げ、一つ一つの部分に向けていくこと。
「観察する」ことだ。じっくりとな。
そしてその土地の先輩の話に耳を傾けなさい。
引き継がれてきた暮らしの文化の底にあるパーマカルチャーを感じてほしい。」
「羨ましいよ。君達の文化には、はるか昔から綿々と受け継がれ熟成されてきたものがある。
オーストラリアの歴史なんて、それに比べたら、まだ始まったばかりのようなものだ。
手付かずの自然は広く、そのままの形を残してくれているが、人間がこの大陸に来て手を加えた所は無残なものさ。
木を切ってばかりで、まる坊主にしてしまった。
腐植土はすっかりなくなっちまったよ。
俺にとって、日本の暮らしの文化は魅力的だと感じているんだぞ。
今なら、間に合う。そういう暮らしをしている人達が、ひっそりと、まだ日本のあちこちにいるから。
そういう貴重な暮らしの文化の先達たちが、しっかり語ることができるうちに、君達の世代が、それを聴き、実践し、君達の新しい発想も加えながら、次の世代に伝えていくんだぞ。
伝承は、ただ形だけでなく、その内にある認識も・・・だ。
そこが、パーマカルチャーの大切なところだ。
いつか日本に行くからな。」 そう言って、ビルの視線は窓を通り抜け、遠いところに流れていった。
ふと気づくと、すっかり外は暗くなっていた。
はっとして、自分に戻り、抱っこしていた長女櫻子(当時2歳)の寝息が、スースーと耳に聞こえてきた。時計を見ると、深夜12時を過ぎていた。
帰り際、玄関で、「今日一日、本当にありがとう。ビルの話は、心に刻んで帰ります。日本の読者にも伝えます。」と、言って握手した。ビルの手は本当に厚かった。
帰りの車の中、私達はずっと黙ったままだった。
浅い認識の中で浮かれていた自分を感じていた。
パーマカルチャーを深く理解したいと思った。
それを理解するためには、何事もじっくりと観察し、先輩の話を聴き、自ら実践し、試行錯誤しながら生きることだ・・・と思った。
Challengingな人生が、この先に広がっていくような気持ちがした。
オーストラリアの広大さとビルのダイナミックな生き方に刺激され呼び覚まされつつあった私の心の底の野性的な感覚は、そのまま日本の土地で、開花されていく予感がした。
訂正に、訂正を重ねた翻訳原文を握りしめながらこのパーマカルチャーが与えてくれるであろうものの深さに、私は、すごいものに出会ってしまった、と改めて思った。
見上げた南半球の夜空にはたくさんの星が輝いていた。 小祝 慶子
安曇野パーマカルチャー塾にビルモリソンのパーマカルチャーを翻訳した小祝さんに来て戴きビルモリソンからのメーセージを伝えて戴きました。
以下小祝さんからのメーセージです。
パーマカルチャー塾の皆さんに出会えたのも、嬉しかった。 あそこは、ほんとうに、つながリング(安曇野パーマカルチャー塾ではこの言葉が挨拶代わりに使われています。)の場です。 私も、入れてもらえて、嬉しい! それから、13年前のあの時翻訳してよかった・・・って、思いました。 皆さんに、あんなに喜んでいただけているなんて・・・。 私まで、嬉しくなって、ちょっと涙腺がゆるみました。
思えば、最初パーマカルチャーを訳し始めた頃、出版社も決まっていなかったし、売れるかも分からなかった、ましてや翻訳料をいただけるなんて想像もしなかった。田口先生も、いい本だから・・・すばらしいメッセージを持っている本だから、翻訳して、日本の友達に紹介したい・・・それだけ・・・という方だった。 なのに、今では、パーマカルチャーのおかげで、こんなにもたくさんの出会い・幸せな気持ちをいただけている・・・! でも、私に限らず、パーマカルチャーは、それに関わると、様々なところで・・・人と人、人と自然、自然と自然の間で、投げかけたもの以上のものを廻らせてくれることが、ほんとうによくあるような気がします。 想像もしなかった発展・つながり・幸せなきもち・生きてる実感・・・・・などなど!
本当に沢山の気持ちを、ありがとう 小祝慶子
10:30〜【建築実習】今日の目標:土台据え、建前、タル木打ち、鼻隠しです。
小杉さん指導のもと、建前にとりかかりました。
・まずは、小杉さんから、土台の組み立て方の説明。
・ボルトで基礎の枕木と土台をとめ、組み立てていきます。
・土台の組み立てが終わり、順番に柱を立てていきます。
・
柱の上に、梁と柄を組んでいきます。
・今まで作り上げた部分部分が、つながって、形になっていく様は感動です。
・掛矢を振るい、ほぞに納めます。
・柱の垂直を確認。サゲフリを垂らし、垂直を確認。
・柱を押して、垂直にし、筋交で仮止めします。
ランチタイム 冷しそばとピザ
小祝さんご一家もご一緒に。
13:30〜【建築実習のつづき】
・垂木を斜めに釘を打ち付けます。垂木の先端 端(はな)の部分は切断
・端(はな)隠し・破風を打ち、野地板を打ち付けていきます。
・その上に、ルーフィングを敷きます。
・筋交、金具(かすがい、ねじり金具、羽子板)で補強します。
・間柱を入れて完成。
・みんなで記念写真。やればできるものですね。自信がつきました。
今回も舞台裏で支えていただきました
小杉さん、ケンさん、梅さん、詩さん、やっさんに感謝です。
見えないところで、事前に土台基礎の準備をしていただきまして、ありがとうございました。
【ふりかえり】 みんなでふりかえり
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収穫の喜び
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詩さんの家、畑、暮らし
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小杉さんのお話
・
小祝さんのお話
・
建前の感動
・
仲間について
すばらしい仲間に巡り合えて、感謝です。ここにある自分にもありがとうの気持ちです。畑だけでなく、人も、より豊かになるのが自然なんだ。分かち合えることが、喜びに豊かさにつながっていく。そんな素晴らしい体験をしています。
また、次回お会いしましょう。 こう・ぷみん |