東京都下、元禄から300年以上続く百姓の家に生まれる。TBSテレビに10年間勤務。ディレクターとしてドキュメンタリーを中心に制作。取材で北極圏から南極大陸まで世界五大陸を旅し、遊動生活を続ける。その後、アマゾンの先住民と出会うことで、自分本来の土に根差した生き方を模索すべく退社。百姓・庭師修業、主夫業の傍ら、パーマカルチャーを学ぶ。個人の映像制作工房「アトリエ
旅する木」を主宰。アマゾン先住民の知恵を語り歩き、百姓の知恵を再発見しながら、土と共に生きる場を探索中。
http://homepage.mac.com/walkinbeauty/
Permaculture〜Native
Culture〜
Hyakusho Culture
パーマカルチャー
ネイティブカルチャー
百姓カルチャー
文=森谷 博
パーマカルチャーと先住民文化
ぼくはドキュメンタリーの撮影の中でアマゾン先住民と出会い、彼らの暮らしのクオリティに圧倒された。そして自分の暮らしを自分の手で作りたくなり、仕事を辞めパーマカルチャーを学んだ。やがてパーマカルチャーの基本的な理念と先住民の暮らしの知恵とに多くの共通点があることを知った。
Profileパーマカルチャーの3つの理念、「母なる地球を大切に、人びとのことを大切に、分かち合いを忘れずに」。これらはアマゾンに暮らすインディオにとっては日々の暮らしの中で当たり前のこと。もちろんインディオはパーマカルチャーなどという言葉は知らない。パーマカルチャーの創設者ビル・モリソンは、パーマカルチャーの最終目標を「世界をジャングルで埋め尽くすこと」と言った。アマゾンの森とひとつになって暮らしているインディオは、自ずからパーマカルチャーの到達点そのものである。先住民の暮らしとパーマカルチャーと私たちとを結ぶ糸を、少々紐解いてみたい。
森の哲学者メイナク族の知恵
ブラジル・アマゾンに暮らす先住民メイナク族。いまだ伝統的な暮らしを守りながら森の奥で暮らす人びと。彼らと一ヵ月間生活を共にしながら取材するにつれ、その深い生きる知恵にぼくは打たれていった。
身土不二の知恵
生きて行くのに必要なものは、数キロ四方の森から手に入れる。主食となるイモは森の中の畑で栽培し(育て方は自然農そのもの)、サカナは近くの川で釣り、バナナやパイナップルなどの果物は森の中に収穫に行く。時々はサルやバクなどのほ乳動物を狩る。半農半狩猟採集生活。
家を建てるための木材は一本一本どこから採ってきたのか知っている。柱は樹皮で結束し、もちろん釘などは一本も使わない。屋根はバナナやヤシの葉で葺く。5年ほどすると屋根材は腐り、いろいろなところが痛んでくるので、家は取り壊され、新しい家が建てられる。取り壊された家の残骸はまた森に返され、土に戻る。家を建てるのは男の仕事で、家を一人で建てられるようになると一人前の男として認められる。
アクセサリーは鳥の羽や木の実を利用し、ボディペインティングに使う染料は植物の種と油を混ぜて作る。陶器は特別な粘土に秘密の「つなぎ」になる粉を混ぜ野焼きする。野焼きに使う薪は、ムラのない焼き上がりにするためきれいに灰となって燃え落ちる樹皮を使う。このようにすると野焼きのような低温焼成でも割れにくい、水が漏れない陶器が焼き上がる。
言葉を持たない
メイナク族のリーダーにインタビューすると、彼らのシンプルなボキャブラリーの中には、私たち現代文明人が普通に使っている多くの言葉が存在しないことがわかった。
まず彼らの言葉には「自然」がない。西洋文明のように「自然」を自分と異なる存在として破壊したり、手付かずのまま保護したりする対象として見ていない。ヒトがいて、動物がいて、森があって、川がある。それらが有機的に利用し、利用され、影響し合い、変化しながら共にいのちを育んでいるのがこの世界で、「自然」という人間と離れた別の存在などあり得ないのだ。
インディオは「自然」の一部となり、ヒトという役割を果たし、アマゾンの森をより豊かにしている。アマゾンの広大な森の3割はインディオの手が入っているとも言われる。パーマカルチャーで言うところの、「耕された生態系」をアマゾンを舞台にインディオは作り上げてきたのだ。
彼らは「しあわせ」、「ふしあわせ」と言う言葉も知らない。しあわせな状態が当たり前だから。長老は「みんなが仲良く元気でいることが強いて言えば『しあわせ』と言うことだ」と言った。村人はいつも笑顔だ。ぼくは「ひとりだけのしあわせはないのですか?」と聞き返した。すると長老はぼくを指さし、「ではお前ひとりだけがしあわせで、他の人間がみんな悲しい顔をしている。それでお前は本当にいいのか?」と問い返した。「世界全体が幸福にならなければ、個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治の言葉が頭をよぎった。その質問はぼくの胸にぐさりと刺さり、そして返事ができなかった。なぜならぼくは家族との関係を絶ち、自分だけが好き勝手に生きればいいという生き方をしていたから。
「専門家」という言葉もない。そもそも職業という概念がない。皆一人ひとりの人間であって、農民も、大工も、芸術家も、医者も、宗教家もいない。いや、一人ひとりが、農民、大工、芸術家、医者、宗教家の全てでもある。自分の全ての可能性を思いきり開花させ、一部の自分でなく自分全体で生きている。
パーマカルチャーについても同じことが言える。パーマカルチャリストは、暮らしに関係する全てをデザインの対象とするので、自分の能力を広範囲に渡り最大限発揮して生きる必要がある。しかし、それをどっちつかず、器用貧乏、などと評する人もいる。ビル・モリソンがパーマカルチャーを体系づけた時、専門家たちは激怒したらしい。農学と林学、林学と畜産学、建築学と生物学などを融合してとらえていたので、専門家としての自負を傷つけられたのだろう。しかし、専門家には見えないことが、全体の関係性を見据えることによってわかることもある。
文明はどうして絶滅する?
ここに二つの興味深い研究結果がある。
「…ひとつは人類学で、もうひとつは生物学。それぞれの執筆者はお互いの内容についてまったく知らなかった…人類学者の方は、絶滅した種族について…生物学者の論文の方は、絶滅した生物種について、知られているすべての事例史を研究していた。つまりこのふたりの科学者は、絶滅の共通原因を追っていた…
この研究者たちが発見したそれぞれの原因というのが、実は同じものであることが判明した。どちらも、絶滅は過度の専門分化の結果であると、結論を出していたのだ」(『宇宙船地球号操縦マニュアル』バックミンスター・フラー著、芹沢高志訳、ちくま学芸文庫より)
フラーは「過度に専門分化」した現代文明社会の持つ危うさを指摘し、もう一度人間が本来持っていた「包括的な能力」を取り戻すことが必要だと言っている。この「包括的な能力」とは、まさに先住民が持っている能力であり、パーマカルチャーの「森羅万象の関係性をデザインし、自分の暮らしを立てる能力」と言ってもいいだろう。つまりただひとつの専門性、手段に依存して生きるのではなく、自分の能力を最大限に発揮し、多様で重層的な生き方をすること。インディオの生き方はそのお手本だろう。しかし…。
インディオも絶滅の道へ?
ふと考えることがある。「過度の専門分化」が種の絶滅の原因だとすると、インディオも絶滅することになるのではないている。森に住んでいた動植物が絶滅して行くように、インディオも絶滅してしまうのか。
彼らは今、二つの選択肢のどちらかを選ぶ岐路に立たされている。@文明社会と隔絶した森の暮らしを守りながら絶滅して行くか、A文明社会と折り合いをつけながら生き残って行くか。彼らはこの二つの道のどちらかを選択するしかない。生き残ろうとするインディオたちは、新しい環境に適応しようとさまざまな試みを始めている。現金を使い始め、ポルトガル語やブラジルの社会事情を学び、自分たちの存在をアピールし、先住民ネットワークを作るためにインターネットを導入しようとしている。それらの試みは彼らの文明のある部分を壊して行くことになる。もう二度と、彼らの伝統的な暮らしに触れることが出来なくなるかも知れない。しかし、彼らの無垢な文明が変化して行くのを悲しむのは、現代文明人の身勝手な郷愁でしかない。なぜなら彼らを滅ぼそうとしているのは、そしてアマゾンの森を破壊しているのは、他ならぬ私たちであるから。
アマゾンから得られる資源(木材、牛肉、大豆、鉱物等々)で日本人の暮らしは成り立っている。私たちの暮らしはアマゾンの森の一本一本の木のいのち、そしてインディオ一人ひとりのいのちを奪ってできている(これはアマゾンに限ったことでなく、他の地域についても言える)。
もし私たちの生活が自給自立したものであれば、アマゾンの森にもインディオにも迷惑をかけることはない。彼らを保護したり、支援したりするのはおこがましくて、彼らに迷惑をかけないような暮らしを作ることが、まず私たちがしなければならないこと。
2005年再びアマゾンを訪れ、森林伐採の拡大を目の当たりにし、私たちに残された時間はいよいよ少なくなってきている危機感を体感した。イギリス気象局は数年前の予測で、2050年にはアマゾンは砂漠化すると言っている。この地球にサハラ砂漠の他にもうひとつの巨大な砂漠が誕生することになる。かつてちで遊び、走り、散歩する
ぼくが制作したメイナク族のドキュメンタリー・ビデオを見たあとこの文章を読みあげると、聞いた人は「ああメイナクの人びとは昔から同じような暮らしを続けてきているのだ。このまま変わらずこの暮らしを続けて行ってほしい」というような感想を持つ。しかし、実はこの文章はインディオのことを書いたものではない。100年以上前、つまり江戸時代末期の日本の一般民衆の姿を当時日本を訪れた西洋人が書き残した文章なのだ。現代日本人とは全く違う姿がかつてあったというこの事実を、私たちはどう受け止めれば良いのだろうか。100年前の日本の普通の人びとは、インディオのような「しあわせ」や「自然」と言う言葉を知らない世界に生きていたのではないか(実際に「自然」という言葉は「Nature」の翻訳語として明治以降入ってきた)。インディオの暮らしを見て、懐かしさを感じるのは当然である。自分自身のDNAに刻み込まれた暮らしを見ているのだから。この文章の引用元である『逝きし世の面影』(渡辺京二著、葦書房)という本を読むと、日本人が失ってしまった、忘れてしまったものの大きさに涙が出てきてしまう(そして、自分たちの祖先が培った素晴らしき文化にも)。
あの時代、それは仕方なかったのかも知れない。西洋列強の軍事力、経済力に対抗するため、日本は富国強兵、近代化という至上命令のもと、江戸文明とも言える洗練された有機的なあり様を捨てて行った。そして現在、インディオが物質文明の侵略に対抗するため、自文化を変質させながらも知識と技術を持って立ち上がろうとしている。生き残りをかけて。
インディオも絶滅の道へ?
ふと考えることがある。「過度の専門分化」が種の絶滅の原因だとすると、インディオも絶滅することになるのではないている。森に住んでいた動植物が絶滅して行くように、インディオも絶滅してしまうのか。
彼らは今、二つの選択肢のどちらかを選ぶ岐路に立たされている。@文明社会と隔絶した森の暮らしを守りながら絶滅して行くか、A文明社会と折り合いをつけながら生き残って行くか。彼らはこの二つの道のどちらかを選択するしかない。生き残ろうとするインディオたちは、新しい環境に適応しようとさまざまな試みを始めている。現金を使い始め、ポルトガル語やブラジルの社会事情を学び、自分たちの存在をアピールし、先住民ネットワークを作るためにインターネットを導入しようとしている。それらの試みは彼らの文明のある部分を壊して行くことになる。もう二度と、彼らの伝統的な暮らしに触れることが出来なくなるかも知れない。しかし、彼らの無垢な文明が変化して行くのを悲しむのは、現代文明人の身勝手な郷愁でしかない。なぜなら彼らを滅ぼそうとしているのは、そしてアマゾンの森を破壊しているのは、他ならぬ私たちであるから。
アマゾンから得られる資源(木材、牛肉、大豆、鉱物等々)で日本人の暮らしは成り立っている。私たちの暮らしはアマゾンの森の一本一本の木のいのち、そしてインディオ一人ひとりのいのちを奪ってできている(これはアマゾンに限ったことでなく、他の地域についても言える)。
もし私たちの生活が自給自立したものであれば、アマゾンの森にもインディオにも迷惑をかけることはない。彼らを保護したり、支援したりするのはおこがましくて、彼らに迷惑をかけないような暮らしを作ることが、まず私たちがしなければならないこと。
2005年再びアマゾンを訪れ、森林伐採の拡大を目の当たりにし、私たちに残された時間はいよいよ少なくなってきている危機感を体感した。イギリス気象局は数年前の予測で、2050年にはアマゾンは砂漠化すると言っている。この地球にサハラ砂漠の他にもうひとつの巨大な砂漠が誕生することになる。かつて熱帯雨林だったサハラ砂漠がたどったと同じ歴史を今アマゾンがたどろうとしている。
生き残るために
ここで100年以上前に西洋人たちが書き残した文章を紹介する。
どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいのかもしれない
この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である
誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったりと融けあう。彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見つけてじっと感心して眺めているとき以外は、絶えずしゃべり続け、笑いこけている
赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことはめったになく、私はいままでのところ、母親が赤ん坊に対して癇癪を起こしているのを一度も見ていない
彼ら(子供たち)にそそがれる愛情は、ただただ暖かさと平和で彼らを包み込み、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます
子供は歩けるようになるとすぐに、弟や妹を背負うことをおぼえる…彼らはこういういでた
て精神化・身体化してきた文化があったことを。その文化を「百姓」と呼ぶ。百姓とは農民のことではない。百の仕事と、その仕事のあり様を支えた文化である。一人ひとりが多様な職能を持ち、それらの人びとが周りの環境と有機的につながりあって暮らしを作り上げていた重層的な文化。里山や里地を活躍の場としていた、それが百姓である。まさに農を基本とした自給自立の暮らしを体現していた人びと。
オーストラリア、ニュージーランドのパーマカルチャリストたちが口々に言う「日本にあった素晴らしいパーマカルチャー」とは、まさにそのことなのだ。あえて言うなら、Hyakusho
Culture。
明治維新、文明開化という近代化の名のもと、それ以前の百姓文化は「封建制度の中で自由もなく虐げられていた存在」として封印された。しかし、百数十年の時を経て、今百姓文化に光が当たっている。百姓はもっと自由で自立した存在だったと。日本人のDNAの中にはそのしたたかな百姓の記憶がしっかりと刻み込まれている。数世代前の先祖は皆、百姓だったではないか。
私たちが目指すのは、輸入物のシステムの真似ではなく、自分のDNAに深く刻み込まれた百姓文化を覚醒させ、精神化・肉体化すること。その時、私たちはパーマカルチャーという言葉を必要としなくなり、日本のNative
Peopleとして、この世界とひとつになって生きているだろう。あのアマゾンの先住民のように
だろうか。なぜならグローバリゼーションが席捲した現在の世界の尺度でみると、インディオの暮らしはアマゾンの森という環境に特化(専門分化)した暮らしである。お金という価値は意味を成さず、モノを多く所有することも関係なく、誰かと競争するという意識もない。そんな彼らは、森という環境がなくなったら生きられない。今、その森が潰されて行っ
頭をよぎった。その質問はぼくの胸にぐさりと刺さり、そして返事ができなかった。なぜならぼくは家族との関係を絶ち、自分だけが好き勝手に生きればいいという生き方をしていたから。
「専門家」という言葉もない。そもそも職業という概念がない。皆一人ひとりの人間であって、農民も、大工も、芸術家も、医者も、宗教家もいない。いや、一人ひとりが、農民、大工、芸術家、医者、宗教家の全てでもある。自分の全ての可能性を思いきり開花させ、一部の自分でなく自分全体で生きている。
パーマカルチャーについても同じことが言える。パーマカルチャリストは、暮らしに関係する全てをデザインの対象とするので、自分の能力を広範囲に渡り最大限発揮して生きる必要がある。しかし、それをどっちつかず、器用貧乏、などと評する人もいる。ビル・モリソンがパーマカルチャーを体系づけた時、専門家たちは激怒したらしい。農学と林学、林学と畜産学、建築学と生物学などを融合してとらえていたので、専門家としての自負を傷つけられたのだろう。しかし、専門家には見えないことが、全体の関係性を見据えることによってわかることもある。
Hyakusho Culture の復権
明治維新に体験したそれまでの文化の喪失という経験をもとに、私たちがインディオの文化と共に生き残る道はないのだろうか。今、私たちにできること。ひとつの答えは、農を基本とした自給自立の暮らしを一人ひとりが目指すこと。その道筋を照らしてくれる一条の明かりがパーマカルチャーである。しかしパーマカルチャーはあくまでも道先案内に過ぎなかった。
パーマカルチャーと出会ったことで、ぼくは気づいたことがある。パーマカルチャーは30年前にさまざまな分野を有機的に結びつけた学問として体系づけられた。しかし、日本には2000年に渡って精神化・身体化してきた文化があったことを。その文化を「百姓」と呼ぶ。百姓とは農民のことではない。百の仕事と、その仕事のあり様を支えた文化である。一人ひとりが多様な職能を持ち、それらの人びとが周りの環境と有機的につながりあって暮らしを作り上げていた重層的な文化。里山や里地を活躍の場としていた、それが百姓である。まさに農を基本とした自給自立の暮らしを体現していた人びと。
オーストラリア、ニュージーランドのパーマカルチャリストたちが口々に言う「日本にあった素晴らしいパーマカルチャー」とは、まさにそのことなのだ。あえて言うなら、Hyakusho
Culture。
明治維新、文明開化という近代化の名のもと、それ以前の百姓文化は「封建制度の中で自由もなく虐げられていた存在」として封印された。しかし、百数十年の時を経て、今百姓文化に光が当たっている。百姓はもっと自由で自立した存在だったと。日本人のDNAの中にはそのしたたかな百姓の記憶がしっかりと刻み込まれている。数世代前の先祖は皆、百姓だったではないか。
私たちが目指すのは、輸入物のシステムの真似ではなく、自分のDNAに深く刻み込まれた百姓文化を覚醒させ、精神化・肉体化すること。その時、私たちはパーマカルチャーという言葉を必要としなくなり、日本のNative
Peopleとして、この世界とひとつになって生きているだろう。あのアマゾンの先住民のように。
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