自然界にはゴミはない
前半の一ヵ月半でオーストラリアの何ヶ所かのパーマカルチャーサイトを訪ねたあと、ニュージーランドへ渡った。残りの一ヵ月半は、レインボー・バレー・ファームで過ごすことにしていた。レインボー・バレー・ファームへは、数ヶ月前に手紙でウーフをさせてもらうことを予約してあった。その頃でもすでに、レインボー・バレー・ファームは世界でも有数の完成されたパーマカルチャー農場として人気があって、早めに予約しなければウーフはできないと言われていた。
レインボー・バレー・ファームはニュージーランドの北島、オークランドから北へ車で2時間ほど行ったマタカナという村のはずれにある。農場を経営するのはオーストリア出身のジョー・ポラッシャーさんと、ニュージーランド出身のトリッシュ・アレンさん夫妻。農場の面積は約20ヘクタールと、日本人にはちょっと想像しがたいほどの広さで、その名前の通り、虹のよく見られる谷あいにある。ジョーさんたちは、この土地を購入する時、「こんなゴミの土地を買ってどうするのか」と言われたそうだ。
ニュージーランドの多くの土地がそうであるように、ここも、もともとは豊かな森林だったところを切り開いて羊や牛の放牧に使ったために、表土が失われてやせてしまい捨てられた土地だったのだ。しかし、すでにパーマカルチャーを学んでいた彼らは、この土地にさまざまな可能性を感じたという。敷地内の一番高いところにきれいな湧水があったことも、彼らがこの土地を買うことに決めた大きな理由だった。
1988年、彼らは一面帰化植物であるゴースというとげのある潅かんぼく木とキクユグラスという雑草に覆われていたこの土地を購入し、毎年1000本もの樹を植え続けた。
パーマカルチャーの考え方のひとつに「Problem is
solution」直訳すると「問題は解決である」というものがある。問題から解決を導き出すという考え方で、彼らは、普通なら厄介ものとして嫌われるゴースとキクユグラスも貴重な資源と見て、刈ってはそれを堆肥にする作業を繰り返した。ゴースというのは豆科の植物なので、これがこの土地を肥やすための大きな役割を果たしたのである。ものごとにはすべて両面あり、ゴミだと思っているものも、違う見方をすればすべて資源となるのだ。ジョーさんはよく言っていた。「自然界にはゴミというものはない」と。
毎年1000本もの樹を植え続けたおかげで、表土の流出も食い止められるようになり、土地は徐々に豊かになっていった。気候が温暖なため、日本と比べて植物の成長が早いせいもあるが、私が訪れた時には、森の中に家があり菜園がある、といった状態になっていて、十数年前には何もなかったということがまったく想像できないほど、豊かでいのちあふれる農場になっていた。
観察すること
パーマカルチャーデザインで一番大事なことは、「観察すること」である。ジョーさんたちも、初めの一年半はトレーラーハウスに寝泊りし、開墾作業をしながら土地の観察を行なった。その後、今はゲストハウスとなっている仮住まいの小さな家を建て、果樹園、菜園、いくつかの池、防風林、牛や羊の放牧地などの場所を、日当たりや水の流れ、風向き、土地の傾斜などを考慮して決め、農場を整備していった。そして、今の母屋が完成したのは、土地を購入してから11年後のことである。
つながりを持つ配置
パーマカルチャーでは、ゾーニングという考え方にしたがって土地をデザインする。これは世界各地にも、そして日本にも昔からあった伝統的な土地利用の方法でもあるのだが、風向きや太陽の動き、土地の傾斜など、自然のエネルギーの流れを考慮に入れつつ、家を中心として、訪れる頻度の高いものは近くに、そうでないものは遠くに配置するのである。
レインボー・バレー・ファームでもこの考え方をベースに、農場のあらゆる要素が配置されている。まず、第一ゾーンの母屋は、敷地内で一番日当たりのいい北向き(南半球なので)のゆるやかな斜面に建てられており、背後には、冬の冷たい風を防ぐための防風林が設けられている。この母屋は、ジョーさん自身が設計し、およそ6年かかって、彼がほとんどひとりで建てたという。家を建てた材料は、ほとんどが敷地内でとれるもの(木や粘土など)、あるいはリサイクルのもの(古い柱など)で、いつかこの家が壊れた時にはすべてが土に還るように、自然の素材のみが使われている。
屋根は草屋根でハーブや花が植えられているが、これは、家を建てるために奪った緑を取り戻すという意味がある。また、見た目に美しいだけでなく、断熱効果があるので、家の中は、冬は暖かく、夏は涼しくなる。さらに家自体が太陽光や風などの自然のエネルギーを最大限に利用できるようにデザイン(パッシブソーラー)されており、化石燃料をまったく使わなくても、一年中快適に過ごせる家なのである。
母屋の目の前には、摘み取り用の野菜の菜園(キッチン・ガーデン)がある。その日使う野菜は台所から数歩歩けばすぐに収穫できる場所に植えられているのだ。さらに母屋から西に少し行ったところには、鶏小屋併設の温室・遮光ハウス・育苗室・薪小屋・堆肥トイレなど毎日のように訪れるものがあり、これらは第二ゾーンに当たる。
ジョーさんはまず朝起きると台所の野菜くずを持って鶏小屋へ行って鶏にやり、隣の育苗室で苗に水をやり、そのあと堆肥トイレに行って用を足し、帰りに冬なら薪を一束、そして鶏小屋から卵を持って帰り、菜園で朝のサラダ野菜を摘んで家へ戻る。その動きは流れるようでまったく無駄がない。ひとつひとつの要素が、すべてお互いに何らかのつながりを持つように配置されているのである。これも、パーマカルチャーデザインの基本的な考え方のひとつである。第三ゾーンに当たる場所にはあまり手のかからない作物のための畑や果樹園、池、養蜂箱、道具置き場などがある。さらに第四ゾーンとして牛や豚、羊の放牧場がその先につながる。
そして、一番外側の第五ゾーンは、まったく人の手の入らない自然な状態の森となっている。今では少なくなってしまったが、日本にも集落の中に神の宿る場所として、人間が手を入れない自然のままの植生の、鎮守の森というものがあったことを思い出す。
循環の中へ
レインボー・バレー・ファームを訪れた人は誰もがその美しさに驚くだろう。楽園というのはまさにこういう場所のことだ、と思わせる風景が目の前に広がっている。
特に、色とりどりの花が咲き乱れ、雑草と害虫のコントロールのために鶏をはじめとする何種類もの鳥たちが放し飼いにされ、自由に歩き回っている果樹園での仕事はとても楽しい。ちょっと顔を上げると、たわわに実ったリンゴやナシや桃、ブドウ、プラム、ブルーベリー、イチジクなどが目の前にあって、それらはみんな食べ放題なので、食べては草を刈り、また少し働いては食べてのどの渇きを癒す、という具合いなのである。
また、草刈をしている時、藪の中に、しばらく姿を見せないと思っていた鶏が巣を作って卵を温めている場面に出くわしたりもした。その後卵から孵ったヒナたちがヨチヨチとお母さん鶏の後をついて歩く姿はなんともかわいらしく、ほほえましいものだった。
飼っている鳥以外の野生の鳥もたくさんやって来て、他の鳥たちに混ざって一緒に果樹園で働いて(除草と害虫駆除)くれていた。鳥たちは除草と害虫の駆除をし、腐って落ちた果実を食べることで病気を防ぎ、糞を落として土を肥やす。そして果樹は彼らに果実を与え、また、巣作りに最適な場所も提供するという関係である。レインボー・バレー・ファームは、野生の鳥たちにとっても、とても居心地のいい楽園なのである。
レインボー・バレー・ファームに長く滞在すると、その美しさは、表面的な美しさではなく、奥の深い本物の美しさであることがわかる。日本へ帰国してから、私は、あの心地よさは一体何だったんだろうと考えた。そして思ったことは、農場では全てのものがつながり循環していて、私は自分も自然の一部であることを身体で実感していた、ということだ。
私たちは、農場内で採れた野菜や、果物、卵、ミルク、肉、ウナギ(農場内で釣れる)などを食べ、農場で一日汗を流して働き、堆肥トイレへ行って用を足す。堆肥トイレのバケツが一杯になったら、スペアのバケツと差し替え、一杯になった方のバケツにはミミズをひとつかみ入れておく。一、二ヶ月もするといい堆肥になっているので、それを農場内のバナナの木の足元などに施す。おしっこの方は、たまったら水で薄めてかんきつ類の木などの足元へかける。(ちなみに、この堆肥トイレは単純かつ大変うまいしくみになっていて、固体と液体が別々になるようになっているので、日本の「ぼっとん便所」とは違って匂いがまったくしないし、はね返りもない。後の処理もとても手軽にできる。)
野菜くずや残飯は、鶏や豚にやる。鶏や豚は地面を突っついたり引っかいたりして土地を耕し、糞をして土地をさらに豊かに肥やしてくれる。家から出る養分を含んだ排水も大事な資源で、これは浄化槽で一旦処理されたあと、土中に埋められた無数に穴のあいたパイプを通って、果樹園の中へじんわりと染みていく。
そして私たちはまた、その鶏や豚のいのちを感謝していただき、果物や野菜を感謝していただく。一日働き、堆肥トイレで用を足し、そして……。
自然の一部であることを
身体で実感
このようにレインボー・バレー・ファームでは、農場内に暮らす私たち人間も含めた循環ができあがっていて、そこに長く滞在することで、私は自分も自然の一部であり自然に生かされているのだということを、知識としてではなく身体で実感していたのだ。私は、自然の中に包まれて暮らすことがどんなに心地よく安心なことなのかを、ここに滞在することで知った。
昔の人びとは、多分、皆、そんな安心感の中で暮らしていたのだろう。そして、人は自然とつながっていたので、自然を汚すことは自分たちを汚すことだということを誰もが知っていた。レインボー・バレー・ファームでは、農場を汚すことは、すなわち私を汚すことだということが、目に見える状態になっていた。
今の物質的な豊かさと便利な生活を求めてきた私たち現代人の暮らしを振り返った時思うことは、私たちはこの自然から大きく切り離されたシステムの中で、常に何かしら不安を感じながら生きているのではないかということだ。自然とのつながりだけでなく、人間同士のつながりさえも希薄になっている私たち。そんな私たちが、もう一度自然や人とのつながりを取り戻し、すべてが有機的につながる、本当の意味での人間らしい豊かな暮らしをつくるための方法のひとつがパーマカルチャーなのだと思う。
人とのつながり
自然との関わり方の他に、私が学んだもうひとつのことは、人とのつながり方である。レインボー・バレー・ファームでは、隣人や地域の人びととの、お金を介さない、物や労力の提供のし合い(分かち合い)で暮らしの多くの部分が成り立っていた。昔の日本でいう、「結ゆい」のようなものである。例えば、魚釣りが趣味の隣人からは、時々釣りたての魚が届く。こちらからは、卵やミルク、肉などをおすそ分けする。また、家を建てることのできるジョーさんは、その技術を、誰かから何かをしてもらったお返しに、その人に提供する。農場で育てた苗木や花をあげることもある。
レインボー・バレー・ファームに泊り客がたくさんある時には近所からトリッシュさんの友人が、食事作りの助っ人にやって来る。料理が得意な彼女もまた、何かの時に友人たちを助けている。そこには、お金のやり取りはなく、助け合い、分かち合いの精神があるだけである。日本でも、つい最近までそのような暮らし方が営まれていたはずだ。そして、それはお金がたくさんあることよりも、ずっと安心なことなのだ。いざと言う時、何かあった時に必ず誰か助けてくれる人がいるという安心感。私たちは、知らない間に、その安心な暮らしをどこかへ忘れてきてしまったのではないだろうか。
暮らし方の提案
パーマカルチャー的な暮らしをするのに、何も、山奥へ引っ越さなくてはいけないわけではない。例えば、小さなアパートの狭いベランダで、プランターにミニトマトの種を蒔く。それが芽を出し、少しずつ大きくなっていくその姿を知るだけでも、自然とのつながりを感じることができる。さらに、台所から出る生ゴミを堆肥にしてプランターに施せば、そこには小さな循環が生まれる。今までゴミとして捨てていたものが、貴重な資源に変わる。
そして、自分で育てた作物は、たくさん採れるとなぜか人にあげたくなるので、できたミニトマトを隣の人におすそ分けする。人とのつながりも生まれる。そして…。
今の暮らしを少し変えてみると、きっと違った世界が目の前に広がっていくことだろう。パーマカルチャーは学問ではない。自然や人とのつながりを取り戻し、本当に豊かで持続可能な未来を作っていくための具体的な方法であり、暮らし方の提案である。
おじいさんやおばあさんの
暮らしから学ぶ
ここでは、海の向こうでの体験を書いたが、何もパーマカルチャーは海外へ行かなければ学べないものではない。むしろ、日本に住む私たち日本人は、少し前の、私たちのおじいさんやおばあさんたちがしていた暮らしから学べることがたくさんある。いや、そこから学ぶべきだと思う。
幸運なことに、オーストラリアやニュージーランドと違って、日本は非常に豊かな自然に恵まれている。また、日本には長い歴史があり、長い年月の中で培われ、受け継がれてきた素晴らしい知恵や伝統文化、技術がある。伝統的な土地利用の方法、自然のエネルギーを生かした家の建て方、その地域の気候に合った作物の栽培方法、生活排水の処理法など、世界に向けて発信できるほどの素晴らしい知恵や技術を持っているのである。
今危うく失われつつあるこれらの知恵や技術をもう一度見直し、「不便で貧しかった」昔の暮らしを、違った視点から再評価する必要があると思う。昔の日本人が当たり前のようにしていた、自然とつながり、すべてのものが無駄なく循環していた暮らしこそがパーマカルチャーであり、そこから私たちが学ぶべきことはたくさんある。
レインボー・バレー・ファームでの滞在を終えた時、私が一番強く思ったことは、早く日本に帰ってお年寄りの話を聞きたい、いや聞かなくては、ということだった。
レインボー・バレー・ファームから帰国して二年後に、私は、山の中の、17軒ほどしかない小さな部落の中に移り住んだ。この村での暮らしは、想像以上に心地よく、初めて私は、「暮らす」ということの意味を知った気がする。自然や隣人とのつきあい方を、あちらのおばあさんやこちらのおじいさんから教わりながら、その知恵に感心し、そして昔の人はこんなにもゆったりと安心で心地よい暮らしをしていたんだなあと思うのだ。そしてそれと同時に、それらの素晴らしい知恵を私が受け継いでいかなければ、と思うのだ。彼らの、その生きる姿勢そのものに、学ぶべきことはとても多い。
春、ここは、桃源郷になる。思わずため息をついてしまうほどの美しさだ。楽園は、ここにもあった。青い鳥というのは、いつも自分の近くにいるものなのだ。
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