考えさせられるふたつの「答え」
モモからのメッセージ ミヒャエル・エンデ
何年かまえ、中米奥地の発掘調査に出かけた研究チームの報告を読んだなかに、こんなことがありました。
調査団は、必要な機器等の荷物一式を携行するためにインディアンのグループをやとった。調査作業の全行程には完壁(かんぺき)な日程表ができていた。そして初日から4日間はブログラムが予想以上によくはかどった。運搬役のインディアンたちは屈強で従順で、日程どおりにことが進んだのだ。ところが5日目になって、彼らは先へ行く足をぷっつり止めた。
だまつて全員で輸になり。地べたに座りこんで、もうテコでも荷物をかつごうとしない。調査団の人たちは賃金アッフを提案したが、だめだった。叱(しか)りつけたり、ついには武器まで特ちだして脅したりしてみたが、インディアンたちは無言で車座になったまま動かない。学者たちはお手上げの状態で、とうとうあきらめた。日程には大幅な遅れが生じた。と、とつぜんー2日後のことだったーインデイアンたちは同時に全員が立ち上がった。荷物をかつぎあげ、予定の道を前進しだした。賃金アップの要求はなかった。調査団側から改めて命令したのでもなかった。このふしぎな行動は、学者たちにはどうにも説明のつかぬことだった。
インディアンたちは、理由を説明する気などまるでないらしく、口を閉ざしたままだった。ずっとあとになって、白人のグループの数人と彼らとのあいだにいくぶんの信頼関係が生じてから、はじめてひとりが答えをあかした。
「はじめの歩みが速すぎたのでね」という答えだった。
「わたしらの魂(ゼーレ)があとから追いつくのを待っておらねばなりませんでした」この答えについて、私はよく考えこむことがあります。
工業化社会の文明人である私たちは、未開民族の彼らインディアンから、学ぶべきところまことに大きいのではないでしょうか。
私たちは、外的な時間計画“日程をとどこおりなくこなしていきます。が、内的時間、魂の時間にたいする繊細な感情を、とっくに殺してしまいました。私たちの個々人にはもはや逃げ道がありません。ひとりで枠をはずれるわけにいきませんから。私たち自身がつくってしまったシステムは、容赦なき競争と殺人約な業績強制の経済原理です。 これをともにしないものは落伍(らくご)します。
昨日新しかったことが、今日はもう古いとされる。先を走る者を、はあはあ舌を出しながら追いかける。すでに狂気と化した輪舞なのです。だれかがスピードを増せば、ほかのみんなも速くなるしかない。この現象を進歩と名づける私たちです。
が、あわただしく走り続ける私たちは、はたしていかなる源から遠ざがりゆくのでしよう?私たちの魂からですって?そう、私たちの魂は、もうはるか以前に路上に置き捨てられました。それにしても魂を捨て子にしたことで、肉体が病んでいきます。だから病院や神経治療施設は、ひとびとであふれています。
魂不在の世界 これが私たちの走りゆく目的地だったのでしょうか?
もうほんとうに不可能でしょうか、私たち全員が狂気の輪舞をいっせいに中止して、おたがいに車座になって大地に座る、そして無言で待つ、ということは?
もうひとつの「答え」のことは、文化人類学者の友人から最近聞いたばかりです。
これもひとりのインディアン女性の口から出ています。 その友人が旅先で出かけた山の頂上にインディアンの村があった。その地方一体には水源がたった一カ所にしかなくて、それは山のふもとの井戸だった。村の女たちは、毎日半時間の坂道をおり、帰りは重い水がめを肩にして一時間、山をのぼっていく。
友人は、女たちのひとりにたずねた「いっそ村ごと、ふもとの水源近くに移したほうが賢明ではないかね」 女の答えはこうだった。「賢明、かもしれませんね。でも、そうしたら私たちは、快適さという誘惑に負けることになると思います」私たち文明人には、この答えはさきほどの答え以上にいぶかしく聞こえるのではないでしょうか?快適であることが、なぜ誘惑と呼ばれるのか?
私たちが手にした洗濯機、自動車、エレベーター、飛行機、電話、ベルトコンベヤー、ロボット、コピューター、要するにおよそ現代社会を構成するすべてのものは、快適な生活のためにつくられたはずです。それとも?
これらのモノは、暮らしをらくにします。骨の折れる仕事から私たちを解放し、もっと本質的なことのために時間をめぐんでくれる。そうではなかったでしようか、私たちを解放するんでしょう?そうです、確かに−。
ただ、何から解放するのでしょう?ひょっとして、まさに本質的なことから?だとしたら、いったいどうなっているんでしょう?私には、あの奇妙な言葉を口にしたインディアン女のほうが、ほんとうはこの私たちのだれよりも、ずっとはるかに解放されて自由なのだ。という思いがつきまとって離れません。
聖書にも、これに似たふしぎな言葉があります。「人は、たとえ全世界を手に人れても、自分の魂(ゼーレ)を失ったら、何の益があろうか。(マタイ伝16・26)」
何、言ってる、魂がどうのこうのだって!そんなもの、我々はどこかの路上にとっくに置き忘れてきたよ。未来の世の中は徹底的に快適で、完全に本質不在の世界になってるさ。
あなたはそう思いませんか?ま、新年に乾杯!
ミヒャエル・エンデ1929年、西ドイツ生まれの作家 主な著書に『モモ』『はてしない物語』『サーカス物語』『鏡のなかの鏡−迷宮』『森の賢者ヒダエモン』など。シュタイナー学校の卒業生
朝日新聞元旦号に掲載された文章です。
大海と ひとしずく 臼井健二
我々名を持った個人は川にたとえられると思います。
滴が集まり川になりますがここで初めて名前が付きます。
名を持つことによって区別が生まれます。
本当は同じ物なのに分別が生まれます。
ジョンレノンは国がないことを想像してごらんと歌います。
そうなのです。全てが同じ命なのです。
川の名は「あなた」という名かもしれません。
この名を持つことによって自我が形成され執着を生み出します。
自我は個別性を生み 多様化し 創造を生みます。
人が成長するときには必要であり重要です。
急流だった川も大きくなることによってゆっくり流れます。
平野を潤し役にも立ちます。
人の晩年かもしれません。
川は海に入ることによって名前がなくなります。
たくさんの命が海で一緒になります。
表層にいるものは風にあおられ波となります。
でも深海にいるものは嵐の影響も受けずに深海で心静かにいられます。
悟った人の姿かもしれません。
そして光に導かれ見えない天空に行く命もありまた地上に来る命もあります。
これが輪廻転生です。
目に見えない蒸気は空気中に存在します。
川と同じ時空にいるのです。
ある時太陽 光に導かれ水滴となり命を育みます。
今度は私になるのかもしれません。
水滴には海、光と同じ記憶があります。
宇宙意識 純粋意識 深層心理 仏 大いなる命なのかもしれません。
命はつながっているのです。
あなたと私は繋がっており 海は神の世界です。
山と海 すべてを結ぶももの それは海の記憶を持ったあなたの心なのです。
地球の生きとし生けるもの 宇宙は一つなのです。
ジョンレノンは歌います。国がないということを想像してごらん。
それは決して難しい事じゃない。
個別の宗教も殺し合うということも必要ない。
みんなが幸せに生活している事を想像してごらん。
人生は川なのかもしれません。短い川もあり長い川もあります。
澄んだ川もあり濁った川もあります。
激流もあればとうとうと流れる川もあります。
暴れ回るときもあれば大地を潤すときもあります。
でも全て時が来れば大海と一緒になります。
命はひとつです。
人生には山もあれば谷もあります。
暗いときほど小さな明かりが見えるものです。
順風漫歩よりも寄り道もいいものです。
焦ることはないよ そして頑張らなくても良いんだよ
あるがままを愛しなさい。
世界がどんなふうに見えるかは、
100パーセント、あなたのバイブレーションのレベルで決まっています。
あなたのバイブレーションが変わると、
全世界がそれまでとは違って見えてきます。
ちょうど、あなたが幸せだと、みんながあなたに微笑みかけてくれるように感じるのと、同じです。
タデウス・ゴラス(なまけもののさとり方)
がっかりして、めそめそして、 どうしたんだい。
太陽みたいに笑う君はどこだい。
やりたいことやったもんがち青春なら
つらいときは、いつだってそばにいるから
夢はでかくなくちゃ つまらないだろ
胸をたたいて 冒険しよう ヘイヘイ
そうさ 100%勇気
もう頑張るしかないさ
この世界中の元気抱きしめながら
そうさ 100%勇気
もうやりきるしかないさ
この世界中の元気抱きしめながら
そうさ 100%勇気
もうやりきるしかないさ
僕たちが持てる輝き
永久に忘れないでね
ヘイヘイへい
何が君の幸せ 何をして喜ぶ
わからないまま終わるそんなのはいやだ
目を閉じて何も見えず
悲しくて目を開ければ
荒野に向かう道より
他に見えるものは無し
ああさんざめく なもない星達よ
せめて密やかにこの身をを照らせよ
我はゆく果てしない荒野に向けて
我はゆくさらば昴よ
昴とは大きな星に群れている小さな星のことです。
反自然という意味でもあります。
体制 大都会を捨てて歩み出すとき 自然に帰るとき
荒野に向かう道より
他に見えるものは無い
でも心の命ずるままに
その道を歩むという歌です。
夢を削りながら
年老いていくことに気がついたとき
始めて見える空の青さに
日はまた昇る どんな人の心にも
ああ生きてるとは 燃えながら暮らすこと
息絶え絶えに涙を流す
あなたを愛す。
息絶え絶えに涙を流す
あなたを愛す。
谷村新司 の詩はいいですね。 |
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また来たい安曇野
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